山本夏彦 1993年 文春文庫版
丸谷才一が随筆のなかで、「山本夏彦さんが好きである。」「自分の喜劇性を自分でかなりよく知つてゐて、上手に使ふ。」「文章が小気味よく、言葉の選び方がいちいち適格だからである。」てな具合でホメているので、読んでみなくてはと思った。
どれがいいのか全然わかんなかったんで、なんか有名そうなのにすることにして、この古本を夏ごろに買った、読んだの最近。
失敗した、期待してた随筆系ぢゃなかったんである。
無想庵っていうのは山本氏自身のことぢゃなくて、武林盛一という人の号であった、そのひとの生涯を書いたもの。
明治13年生まれで昭和37年に亡くなったその作家は、著者の父で明治12年生まれの山本三郎、号を露葉の友人だったという。
そんで昭和5年に無想庵が訪ねてきたとき父は既に死んでいて、中学生の著者をみて父に似ていると言われ付き合いがはじまり、すぐにいっしょにパリにつれてかれてメエゾン・ラフィットで一年くらい居候することになったという関係。
>無想庵と露葉の仲をとりもったのは酒であった。生田葵山が大酒飲み同士を飲ませたら見ものだろうと(略)(p.161)
という縁だったらしいが、仲はよかったらしい。
無想庵というひとは「希代の物識り」だったと記されている、谷崎潤一郎とか芥川龍之介より上だったとされると感心するが、幸田露伴の話し相手がつとまるとか言われても、それはちょっとどのくらいすごいのかわからないけど。
でも、あんまり書いたもののこと聞いたことないなあと思うんだが、
>無想庵は行くところがない。働くところがない。原稿を書いても発表するところがない。発表しても満足できたためしがない。人のまねはしたくない。さりとて新機軸はだせない。(p.121)
という人だったらしい、そんで若いときから酒を飲むわ遊郭に行くわという生き方。
ほかにも、「ジャーナリズムのセンスがない」とか、「武林は元来流行とは無縁の人で、流行を認めない人である」(p.306)とかって言われてて、まあ頭はよかったんだろうが、売れることはできなかったんだということか。
美男であって女好きってだけぢゃなくて、札幌の写真館の養子だけどその家土地の売買のトラブル起こしたりとか、ほんと波乱万丈。
奥さんの女性が、わをかけてムチャクチャなタイプで、ほかの男とすぐくっつくわ、目先のカネが好きだとかで、無想庵はふりまわされて、最後は別れるけど。
無想庵は晩年目が見えなくなって、それでも新しい家族に口述筆記させて「むさうあん物語」というのをつくる、これが時系列になってなくて思い出した順だからわかりにくいってことで、整理したのが本書っていうけど、それでも重複箇所いろいろあってくどく感じるのは雑誌連載のせいか。
そうそう、無想庵というのは号だけど、当時、っていうのは明治39年だが、ものを書くには号ぢゃなきゃって考えがあったらしく、一年だけ勤めた京都新聞でつけられたんだという。
明治の文章っていま読むとかなり難しいと思うんだが、気になったことには、著者自身は父露葉の影響で、
>私は半年かかって父の書き残した新聞雑誌の切抜と四十巻にあまる日記全部を読んでしまっている。明治の語彙のほとんどをおぼえたつもりでいる。
>(略)私の父はなるべく江戸時代から伝統のある言葉しか使わなかった。また明治時代からある料理屋にしかあがらなかった。(p.259)
とあるんで、そういうひとが昭和に何をどう書いたんだろうと思うと、やっぱ他のものももう少し読んでみたくなった。
(まあ、明治の語彙と江戸の伝統の言葉にくらべれば、料理屋の格式は関係ないんだけど、なんか勢いで抜き書きしてしまった。)
どうでもいいけど、本書のなかに、
>ロバは旅をしても馬になって帰ってくるわけではないという私の大好きな諺がある。(p.311)
ってとこがあるんだけど、初めて聞いた、それ。