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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

忘却の河

2024-09-18 19:59:52 | 読んだ本
福永武彦 昭和四十四年 新潮文庫版
これはことし5月の古本まつりで買った文庫、最近やっと読んだ。
もとはというと、百目鬼恭三郎『風の文庫談義』読んだときに、やたらホメられてたんで読んでみたくて探してた。
いま、そっちをあらためて見直してみると、福永小説の特色は読者を小説世界へひきこむことだとして、本書の一節をあげてみて、
>かくのごとく直截に読者の心をとらえる文学作品はきわめて稀であり、私の知る限りでは、斎藤茂吉の短歌、萩原朔太郎の詩と、福永の小説だけなのである。(『風の文庫談義』p.158-159)
なんて言っている、私は福永作品これまで読んだことなかったんだけどね。
読んでみると、第一章では会社の社長やってる年配の男らしい「私」が一人の部屋でこれを書いているって話なんだけど、ある台風の夜に道で具合悪そうにしてる見知らぬ女性を助けるんだが。
いろいろ回想してくんで、時間がよく過去に飛んで、子どもんときのこととか、戦争に行ってたときのこととか、戦後にまだ若いのに身体を悪くしたときのこととか、なんかグダグダしてんなあって気がしてくる、自分の体験を自分の友人の話として語りだしたりすると、おいおい良くないよとか思ってしまい、なんか楽しく感じない。
男は家族からは冷たい人だと言われてたりするんだけど、
>人は他人の見るようにしか見られないし、他人によって見られることの総和が、つまりその人間の存在そのものであるのかもしれない。私は格別異を立てるつもりはない。(p.46)
とかって、冷静というか開き直った感じである。
そういう冷たいというか、感情に流されないような人になったのには、それにはそれなりの体験があったからなんだけど、そういう過去含めて、かなわんなあ、この調子でずっと独白聞かされるんかい、って思ってるとこで第二章に入る。
そしたら、ガラッとおもしろく感じる、第二章では男の娘、長女が中心になって話が語られてく。
長女の母はよくわからない病で自宅で寝たきりなんで、長女がめんどうをみる役割を担ってる、父は冷たい人だしね。
母を置いて家を出るわけにもいかないんだけど、それでも両親からお見合をしろと言われて、するにはしたがやっぱ結婚する気にはならない、などなど現在の話もありながら、彼女には彼女の気になる記憶があったりして、それ突き止めようと行動を起こしたりしてくると、なんか物語は興味深くなってくる。
そうすると、第三章では次女が中心になる、まだ学生でサルトルの戯曲の芝居の稽古に忙しかったりして。
第四章ではふたりの娘の母、寝たきりの病人の「わたし」の想いが語られる、
>おそらく誰でも、ひとは忘れている時間のほうが長く、ときたま思い出せばそれまで忘れていたことを忘れるのだ。いつもいつも思い出しつづけていたようにつごうよく考えるのだ。(略)それにしてもわたしたちはどんなに多くのことを忘れて行くことだろう。(p.143)
とか、なんか刺さってくるものある。
第五章は長女と交友のある美術評論家の視点で語られて、第六章ではふたたび次女が中心になり、最後の第七章ではふたたび二人の娘の父が自分の内面を語ることになる。
ひとの内面を(とくに自身が)あーだこーだ書き連ねてく小説は、以前(ってのは若かりしころ)に比べて好きぢゃなくなってきてんだけど、娘さんふたりの視点から書かれてるとこがあるから、深みでて良くなってる気がする、性格もちがう長女と次女それぞれが、自分は両親のホントの子ぢゃないのかもしれないなんて思ってるとこ、なかなかいい。
コメント
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