忌野清志郎 二〇〇〇年・二〇〇九年新装版 河出文庫
これは、もちろん存在は昔から知ってたんだけど読まずにいて、いまさら読む気もないって感じでいたんだけど、ついこないだ街の古本屋で見かけて買った。
オフィシャルによれば、「忌野清志郎が青年期に綴っていた詩や日記をまとめた一冊。」ということになる。
最初の単行本刊行は1987年、ソロアルバム(「RAZOR SHARP」)出したころかあ。(どうでもいいけど、2009年6月新装版って、亡くなったから出したのか…。)
なかは、それよりずっと前のことで、ほかの登場人物から「二十三にもなって」みたいに言われてるから、清志郎が23だとしたら1974年ころってことか。
そのころって、あとがきに「あの頃はほんとに、ヒマだったんだな。」って清志郎が書いてるけど、なんか不遇時代なんぢゃなかったっけか。
気になったんで、『愛しあってるかい』をひっぱりだして、調べてみた。
1972年には、アルバム2つ『初期のRCサクセション』『楽しい夕に』と、シングル3つ『ぼくの好きな先生』『キミかわいいね』『三番目に大事なもの』を出したんだけど、売れなかった、そのあとの時期でしょ。
>しかしチャボとの感動的な出会いの後、グループ自体は仕事が減り、第一期低迷期に突入する。後に百恵で大儲けするホリプロと契約していたのだが、その契約内容は、「月給3万。コンサートの売り上げで利益が予想を上回った時に限り、歩合としてその40%がもらえる」という実に情けないものであった。食えるわけがない。売れるわけがない。(略)
>さて、当時井上陽水やモップスがドドッと抜けた後のホリプロに契約の問題でひとり(ホントは3人だが)残されてしまったRCはその後どうなったかと言うと、やっぱり全然売れなかったのである。売れないグループに出資するほどプロダクションは甘くはないぜ。
>で、74年から75年にかけての1年間、彼らが受けた仕事といったら…受けた仕事といったら…え~と…仕事といったら……と…、あ、何もないや。何も仕事がなかったんですねー。(『愛しあってるかい』p.106-108)
ってころだよね、そうそう。
なかみは、そういうわけで、詩と日記とかなんだが、詩というよりつぶやきに近そうなのもあるし、日記もみっちり記録ってよりも感情をメモったようなとこあって、なんか読んでもフワッとしてる感じ。
のちに実際にレコーディングされた曲の詞の原型のようなものもあるけどね。
そんななかで気になったのは「やさしさ」について書いたものがあったとこ。
>「やさしさ」っていうものに
>ちょっとした 反抗の気持をこめて
>ぼくが やさしいとか
>ぼくの歌にやさしさがあるとか
>もしも まちがっても
>言われないように、
>そんな 赤面するような
>恥しい評価をされないように、
>「やさしさ」を 勝手に
>押しつけられないように、
>「やさしさ」という歌を作った。(p.127)
だって。これって、1976年のアルバム「シングル・マン」に入っている「やさしさ」のことでしょ。
誰もやさしくなんかない
で始まる「やさしさ」は、おとなしい歌かと思わされてると、急に激しい調子になって、
(ずるい、ずるい、ずるい、ずるい)
責任のがれ 君の荷物さ それは
ぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくに背負わせないで
って、すごく訴えかけるものある曲なんだよね、けっこう好き。 ぼくのじゃない のとこはマネしてシャウトしたくなること請け合い。
なんか年の瀬になるとキヨシローを聴きたくなったりするんだよね、なんでかわからないけど。クリスマスはRCの武道館コンサート、って時代があったからかなあ。
これは、もちろん存在は昔から知ってたんだけど読まずにいて、いまさら読む気もないって感じでいたんだけど、ついこないだ街の古本屋で見かけて買った。
オフィシャルによれば、「忌野清志郎が青年期に綴っていた詩や日記をまとめた一冊。」ということになる。
最初の単行本刊行は1987年、ソロアルバム(「RAZOR SHARP」)出したころかあ。(どうでもいいけど、2009年6月新装版って、亡くなったから出したのか…。)
なかは、それよりずっと前のことで、ほかの登場人物から「二十三にもなって」みたいに言われてるから、清志郎が23だとしたら1974年ころってことか。
そのころって、あとがきに「あの頃はほんとに、ヒマだったんだな。」って清志郎が書いてるけど、なんか不遇時代なんぢゃなかったっけか。
気になったんで、『愛しあってるかい』をひっぱりだして、調べてみた。
1972年には、アルバム2つ『初期のRCサクセション』『楽しい夕に』と、シングル3つ『ぼくの好きな先生』『キミかわいいね』『三番目に大事なもの』を出したんだけど、売れなかった、そのあとの時期でしょ。
>しかしチャボとの感動的な出会いの後、グループ自体は仕事が減り、第一期低迷期に突入する。後に百恵で大儲けするホリプロと契約していたのだが、その契約内容は、「月給3万。コンサートの売り上げで利益が予想を上回った時に限り、歩合としてその40%がもらえる」という実に情けないものであった。食えるわけがない。売れるわけがない。(略)
>さて、当時井上陽水やモップスがドドッと抜けた後のホリプロに契約の問題でひとり(ホントは3人だが)残されてしまったRCはその後どうなったかと言うと、やっぱり全然売れなかったのである。売れないグループに出資するほどプロダクションは甘くはないぜ。
>で、74年から75年にかけての1年間、彼らが受けた仕事といったら…受けた仕事といったら…え~と…仕事といったら……と…、あ、何もないや。何も仕事がなかったんですねー。(『愛しあってるかい』p.106-108)
ってころだよね、そうそう。
なかみは、そういうわけで、詩と日記とかなんだが、詩というよりつぶやきに近そうなのもあるし、日記もみっちり記録ってよりも感情をメモったようなとこあって、なんか読んでもフワッとしてる感じ。
のちに実際にレコーディングされた曲の詞の原型のようなものもあるけどね。
そんななかで気になったのは「やさしさ」について書いたものがあったとこ。
>「やさしさ」っていうものに
>ちょっとした 反抗の気持をこめて
>ぼくが やさしいとか
>ぼくの歌にやさしさがあるとか
>もしも まちがっても
>言われないように、
>そんな 赤面するような
>恥しい評価をされないように、
>「やさしさ」を 勝手に
>押しつけられないように、
>「やさしさ」という歌を作った。(p.127)
だって。これって、1976年のアルバム「シングル・マン」に入っている「やさしさ」のことでしょ。
誰もやさしくなんかない
で始まる「やさしさ」は、おとなしい歌かと思わされてると、急に激しい調子になって、
(ずるい、ずるい、ずるい、ずるい)
責任のがれ 君の荷物さ それは
ぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくに背負わせないで
って、すごく訴えかけるものある曲なんだよね、けっこう好き。 ぼくのじゃない のとこはマネしてシャウトしたくなること請け合い。
なんか年の瀬になるとキヨシローを聴きたくなったりするんだよね、なんでかわからないけど。クリスマスはRCの武道館コンサート、って時代があったからかなあ。