文化祭などのイベント等では、動く人間と動かない人間の差が出ます。工業系の男子では一部の生徒がひたすら鬼ごっこをしていました…。残念ですが全くわかりません。何が目的なのか?
クラスに関してもなかなか動けない者もいます。逆に自分が何とかしてやろうと頑張れる者もいる。先程も書きましたが部活動との関係も大きいと思います。練習に関して何のためにやっているのかを考えないままダラダラやっている者は「とにかく終われば良い」という感じでとらえていますから、何とかしようという気持ちが芽生えてきません。何とかしようとする者はこれからやっていくためには何が必要なのかをある程度考えるようになります。そこから行動自体が変わってくる。
苦しい場面から逃げてしまうというのは簡単ですが、そこと向き合って乗り越えなければいけない。目標がしっかりとしていればそこを乗り越える事ができる。そう感じています。部活動ではそういう話を繰り返し出来ますが、クラス運営ではなかなか伝わりません。私は生徒の前で話すことがかなり多いと思います。それでも部活動ほどの「強い目標意識」を持った生徒ばかりではないので実感としては全くわかないという状態でした。だからあえて突き放す。クラス企画が上手くいかなかったら大変ですから最終的には生徒も動きます。早い段階で手を貸してしまうと意味がなくなります。
そう考えるようになったのはある学校の取り組みを聞いてからです。一部の教員のこだわりから半強制的に何ヵ月もかけて準備をしていくそうです。明らかに教員主導で準備を進めていき、生徒はそのお手伝いという形。誰のための文化祭なのかわからなくなる。確かに「頑張った」という気持ちにはなるかもしれませんが、自主的に動いたわけではありませんから生徒にはほとんど「力」は付きませんし、とにかく「頑張った」という記憶しか残りません。話を伺った方も「あれでは意味がない」と言われていました…。だから私が主導権を握らず、生徒自身にやらせたいと思ったのです。もちろん簡単な事ではありませんし、間違いなくゴタゴタが生じるだろうということは予測されました。今考えるともっと的確に役割分担をするくらいはやっておけば良かったかなとは思いますが…。
自分で判断して動ける者、動けない者がいます。でもこれから社会人となって動いていくためには動けなければ困ります。特定の人物としか一緒にいないというのも誰かに頼っていることの現れですから今後困ります。集団で何かをするときには必ず文句を言いまくる人間も出てきます。部活動だったら繰り返し話をしていくことが可能ですが、クラスではそのような状態が頻繁に起きるわけではありません。こういう機会を生かして自分と向き合ってもらいたかった。
もちろん全ての生徒に理解してもらえるとは思っていません。それでも機会を与える事は必要。片付けの時に不満を言いながらやっている者がいた反面、自ら動いたり面倒な仕事を文句も言わずに仕事をしていた者もいます。少しずつ成長していく事が大事ですから。
他のクラスは全て終わっていましたが(2時間近く前に…)うちだけは終礼をしました。このblogに書いたような内容を伝えました。文化祭で何かをやるために、みんなのために下準備をしてくれた人間がいることをもう一度理解させたかったので。その人達がいたから自分達が文化祭の準備が出来たことを忘れてはいけない。逆に計画するだけでは何もできない。みんなの力があったから出きることだったということ。何をしていいか分からない状態では人は動けない。それぞれに役割があって目標を持ってその事に取り組めれば必ず人は輝ける。学校生活も社会人としても単に時間を過ごすのではなく、自分のやりたいこと、目標を持ってやっていければ必ず輝けるのです。ダラダラ時間を過ごすような人間にはなって欲しくない。そして、自分の事だけではなく周りを考えながら動ける人間になって欲しい。そんな話をしました。
楽しいだけで終わらせたくない。学校は生徒が様々な成長をする場です。勉強さえできればいいとは思いません。担任としてポリシーを持って生徒と接していきたいと考えています。ウザいと思われるかもしれませんが、強くそう思います。こういう場で苦しんだりした生徒のサポートもしっかりしていきたいと。リーダーシップを発揮するだけが担任としての仕事ではない。最近特にそう思うようになりました。生徒のために、生徒と一緒に活動ができる教師になりたいと強く願います。それが私の目標です。まだまだ遠いですが進んでいきたいと思います。
クラスに関してもなかなか動けない者もいます。逆に自分が何とかしてやろうと頑張れる者もいる。先程も書きましたが部活動との関係も大きいと思います。練習に関して何のためにやっているのかを考えないままダラダラやっている者は「とにかく終われば良い」という感じでとらえていますから、何とかしようという気持ちが芽生えてきません。何とかしようとする者はこれからやっていくためには何が必要なのかをある程度考えるようになります。そこから行動自体が変わってくる。
苦しい場面から逃げてしまうというのは簡単ですが、そこと向き合って乗り越えなければいけない。目標がしっかりとしていればそこを乗り越える事ができる。そう感じています。部活動ではそういう話を繰り返し出来ますが、クラス運営ではなかなか伝わりません。私は生徒の前で話すことがかなり多いと思います。それでも部活動ほどの「強い目標意識」を持った生徒ばかりではないので実感としては全くわかないという状態でした。だからあえて突き放す。クラス企画が上手くいかなかったら大変ですから最終的には生徒も動きます。早い段階で手を貸してしまうと意味がなくなります。
そう考えるようになったのはある学校の取り組みを聞いてからです。一部の教員のこだわりから半強制的に何ヵ月もかけて準備をしていくそうです。明らかに教員主導で準備を進めていき、生徒はそのお手伝いという形。誰のための文化祭なのかわからなくなる。確かに「頑張った」という気持ちにはなるかもしれませんが、自主的に動いたわけではありませんから生徒にはほとんど「力」は付きませんし、とにかく「頑張った」という記憶しか残りません。話を伺った方も「あれでは意味がない」と言われていました…。だから私が主導権を握らず、生徒自身にやらせたいと思ったのです。もちろん簡単な事ではありませんし、間違いなくゴタゴタが生じるだろうということは予測されました。今考えるともっと的確に役割分担をするくらいはやっておけば良かったかなとは思いますが…。
自分で判断して動ける者、動けない者がいます。でもこれから社会人となって動いていくためには動けなければ困ります。特定の人物としか一緒にいないというのも誰かに頼っていることの現れですから今後困ります。集団で何かをするときには必ず文句を言いまくる人間も出てきます。部活動だったら繰り返し話をしていくことが可能ですが、クラスではそのような状態が頻繁に起きるわけではありません。こういう機会を生かして自分と向き合ってもらいたかった。
もちろん全ての生徒に理解してもらえるとは思っていません。それでも機会を与える事は必要。片付けの時に不満を言いながらやっている者がいた反面、自ら動いたり面倒な仕事を文句も言わずに仕事をしていた者もいます。少しずつ成長していく事が大事ですから。
他のクラスは全て終わっていましたが(2時間近く前に…)うちだけは終礼をしました。このblogに書いたような内容を伝えました。文化祭で何かをやるために、みんなのために下準備をしてくれた人間がいることをもう一度理解させたかったので。その人達がいたから自分達が文化祭の準備が出来たことを忘れてはいけない。逆に計画するだけでは何もできない。みんなの力があったから出きることだったということ。何をしていいか分からない状態では人は動けない。それぞれに役割があって目標を持ってその事に取り組めれば必ず人は輝ける。学校生活も社会人としても単に時間を過ごすのではなく、自分のやりたいこと、目標を持ってやっていければ必ず輝けるのです。ダラダラ時間を過ごすような人間にはなって欲しくない。そして、自分の事だけではなく周りを考えながら動ける人間になって欲しい。そんな話をしました。
楽しいだけで終わらせたくない。学校は生徒が様々な成長をする場です。勉強さえできればいいとは思いません。担任としてポリシーを持って生徒と接していきたいと考えています。ウザいと思われるかもしれませんが、強くそう思います。こういう場で苦しんだりした生徒のサポートもしっかりしていきたいと。リーダーシップを発揮するだけが担任としての仕事ではない。最近特にそう思うようになりました。生徒のために、生徒と一緒に活動ができる教師になりたいと強く願います。それが私の目標です。まだまだ遠いですが進んでいきたいと思います。