前の記事に「不器用の利点」という内容を書いた。何がキッカケなのか分からないが頭の中に当時のその場面が思い浮かんだ。これは「覚悟の磨き方」という本に記載されている内容。吉田松陰の言葉や考え方を現代風に理解しやすく書いてある。
親しい方から「ブックマーカー」を頂いたのもあり、もう一度「覚悟の磨き方」を読み直してみようという気になった。元々本を読むのは好き。ことタイミングでどうしても読み直したくなった。特別な事があるわけではなく「日常的なこと」ではあるのだが。なぜかその記事が思い浮かびその本を読みたくなった。
吉田松陰は若くしてこの世を去った。が、その教えは今も尚この世に残っている。30歳で命を失う。短いと思うのかどうかは本人次第なのだろう。「夏の蝉の命は短く御神木の命は長いと誰が決めるのか」と書いてある文章があった。蝉にとっては1週間という時間が短いかどうかは分からない。逆に何もせずに無駄に生きている事に「意味があるのか」と問う。30年という時間をどれだけきちんと使えたのだろうかという部分に「意味があるかどうか」の判断基準があるのだと思う。
「使命」を持っているかどうかで生きる意味が変わってくる。何がなんでも成し遂げたいと思うほどの「熱い想い」を自分が持っているかどうか。これまで通りにやっておけば良いやという考え方では何も生み出さない。その「使命」のために自分の人生を賭けられるか。
上手く行く時もあれば上手くいかない時もある。上手くいっている時だけ近づいてくる人もいる。また順調にいっている人に対して「批判」をする人も出てくる。自分が「正しい」と信じる道を進むときにはそういう第三者からの意見を聞き入れるかどうかというのは難しい。たいていの場合は「目立つから意見する」という場合と「出来るわけないのに何を偉そうに」という雑音のような話。やってもないの「マイナスにとらえる」話を聞き続けると一歩踏み出すことさえもできない。やるのは外野ではなく自分自身。
そんなことが様々な角度から書いてありました。これって本当に「タイミング」なんだと思います。ここ最近手にとっていなかった本を読み直してみようと思うのには何かしらの「キッカケ」が存在する。その「キッカケ」が「偶然」なのか「必然」なのかは分かりません。その時の私に必要だから神様がそのチャンスをくれるんだと思います。
この1年間思い悩んだこと。その解決策になるかどうか分かりませんが「背中を押される」感じありました。私は自分に出来ることをやる。それしかないのだと改めて思いました。世界平和を願うというほど大きなことはできません。私に出来る事なんて本当に少しの事しかない。まずは周りに対して出来る事をやる。必要としてくれる人達のために。求められているからやるのではなく、「自分がやるべきだと思うからやる」のです。それが常識外れだと言われても「何も生み出さない日々」に埋もれてしまう事の方が怖いと思っている。
私自身が評価される事なんて正直などうでもいい。そこにエネルギーを使うのであればもっと他の部分に使いたい。私が悪評をされる事で選手にマイナスになるのであれば考えないといけないとは思っている。しかし、本当にその評価が「天から見た評価」なのか「私情を挟む評価」なのかで行動自体も変わってくると思う。そこを過剰に意識してしまって「自分がやりたい事」を失ってしまったら意味がなくなってしまう。
吉田松陰のような生き方ができるかどうか。「日本を守る」という視点から行動を起こせるか。そんな大きなことはできないと思います。それでも私には私なりの「使命」があり、その「使命」を果たそうとする事で何かが変わる。そう思っている。敵を増やしたとしてもきちんと味方がいてくれる。それがいつの日か生きた証となる。
うーん、本を読んでいると自分の心と向き合う事ができます。このタイミングで本を読む事には必ず意味があると思います。進むべき道は間違っていないと思っています。誰かに認めてもらうためにやるわけではないから。せっかく生きているのだからきちんとした事をやりたい。そう思います。
小難しい文章ですね。思った事をそのまま書きました。また本を読みます。
親しい方から「ブックマーカー」を頂いたのもあり、もう一度「覚悟の磨き方」を読み直してみようという気になった。元々本を読むのは好き。ことタイミングでどうしても読み直したくなった。特別な事があるわけではなく「日常的なこと」ではあるのだが。なぜかその記事が思い浮かびその本を読みたくなった。
吉田松陰は若くしてこの世を去った。が、その教えは今も尚この世に残っている。30歳で命を失う。短いと思うのかどうかは本人次第なのだろう。「夏の蝉の命は短く御神木の命は長いと誰が決めるのか」と書いてある文章があった。蝉にとっては1週間という時間が短いかどうかは分からない。逆に何もせずに無駄に生きている事に「意味があるのか」と問う。30年という時間をどれだけきちんと使えたのだろうかという部分に「意味があるかどうか」の判断基準があるのだと思う。
「使命」を持っているかどうかで生きる意味が変わってくる。何がなんでも成し遂げたいと思うほどの「熱い想い」を自分が持っているかどうか。これまで通りにやっておけば良いやという考え方では何も生み出さない。その「使命」のために自分の人生を賭けられるか。
上手く行く時もあれば上手くいかない時もある。上手くいっている時だけ近づいてくる人もいる。また順調にいっている人に対して「批判」をする人も出てくる。自分が「正しい」と信じる道を進むときにはそういう第三者からの意見を聞き入れるかどうかというのは難しい。たいていの場合は「目立つから意見する」という場合と「出来るわけないのに何を偉そうに」という雑音のような話。やってもないの「マイナスにとらえる」話を聞き続けると一歩踏み出すことさえもできない。やるのは外野ではなく自分自身。
そんなことが様々な角度から書いてありました。これって本当に「タイミング」なんだと思います。ここ最近手にとっていなかった本を読み直してみようと思うのには何かしらの「キッカケ」が存在する。その「キッカケ」が「偶然」なのか「必然」なのかは分かりません。その時の私に必要だから神様がそのチャンスをくれるんだと思います。
この1年間思い悩んだこと。その解決策になるかどうか分かりませんが「背中を押される」感じありました。私は自分に出来ることをやる。それしかないのだと改めて思いました。世界平和を願うというほど大きなことはできません。私に出来る事なんて本当に少しの事しかない。まずは周りに対して出来る事をやる。必要としてくれる人達のために。求められているからやるのではなく、「自分がやるべきだと思うからやる」のです。それが常識外れだと言われても「何も生み出さない日々」に埋もれてしまう事の方が怖いと思っている。
私自身が評価される事なんて正直などうでもいい。そこにエネルギーを使うのであればもっと他の部分に使いたい。私が悪評をされる事で選手にマイナスになるのであれば考えないといけないとは思っている。しかし、本当にその評価が「天から見た評価」なのか「私情を挟む評価」なのかで行動自体も変わってくると思う。そこを過剰に意識してしまって「自分がやりたい事」を失ってしまったら意味がなくなってしまう。
吉田松陰のような生き方ができるかどうか。「日本を守る」という視点から行動を起こせるか。そんな大きなことはできないと思います。それでも私には私なりの「使命」があり、その「使命」を果たそうとする事で何かが変わる。そう思っている。敵を増やしたとしてもきちんと味方がいてくれる。それがいつの日か生きた証となる。
うーん、本を読んでいると自分の心と向き合う事ができます。このタイミングで本を読む事には必ず意味があると思います。進むべき道は間違っていないと思っています。誰かに認めてもらうためにやるわけではないから。せっかく生きているのだからきちんとした事をやりたい。そう思います。
小難しい文章ですね。思った事をそのまま書きました。また本を読みます。