kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

読み直す

2016-02-16 | 陸上競技
前の記事に「不器用の利点」という内容を書いた。何がキッカケなのか分からないが頭の中に当時のその場面が思い浮かんだ。これは「覚悟の磨き方」という本に記載されている内容。吉田松陰の言葉や考え方を現代風に理解しやすく書いてある。

親しい方から「ブックマーカー」を頂いたのもあり、もう一度「覚悟の磨き方」を読み直してみようという気になった。元々本を読むのは好き。ことタイミングでどうしても読み直したくなった。特別な事があるわけではなく「日常的なこと」ではあるのだが。なぜかその記事が思い浮かびその本を読みたくなった。

吉田松陰は若くしてこの世を去った。が、その教えは今も尚この世に残っている。30歳で命を失う。短いと思うのかどうかは本人次第なのだろう。「夏の蝉の命は短く御神木の命は長いと誰が決めるのか」と書いてある文章があった。蝉にとっては1週間という時間が短いかどうかは分からない。逆に何もせずに無駄に生きている事に「意味があるのか」と問う。30年という時間をどれだけきちんと使えたのだろうかという部分に「意味があるかどうか」の判断基準があるのだと思う。

「使命」を持っているかどうかで生きる意味が変わってくる。何がなんでも成し遂げたいと思うほどの「熱い想い」を自分が持っているかどうか。これまで通りにやっておけば良いやという考え方では何も生み出さない。その「使命」のために自分の人生を賭けられるか。

上手く行く時もあれば上手くいかない時もある。上手くいっている時だけ近づいてくる人もいる。また順調にいっている人に対して「批判」をする人も出てくる。自分が「正しい」と信じる道を進むときにはそういう第三者からの意見を聞き入れるかどうかというのは難しい。たいていの場合は「目立つから意見する」という場合と「出来るわけないのに何を偉そうに」という雑音のような話。やってもないの「マイナスにとらえる」話を聞き続けると一歩踏み出すことさえもできない。やるのは外野ではなく自分自身。

そんなことが様々な角度から書いてありました。これって本当に「タイミング」なんだと思います。ここ最近手にとっていなかった本を読み直してみようと思うのには何かしらの「キッカケ」が存在する。その「キッカケ」が「偶然」なのか「必然」なのかは分かりません。その時の私に必要だから神様がそのチャンスをくれるんだと思います。

この1年間思い悩んだこと。その解決策になるかどうか分かりませんが「背中を押される」感じありました。私は自分に出来ることをやる。それしかないのだと改めて思いました。世界平和を願うというほど大きなことはできません。私に出来る事なんて本当に少しの事しかない。まずは周りに対して出来る事をやる。必要としてくれる人達のために。求められているからやるのではなく、「自分がやるべきだと思うからやる」のです。それが常識外れだと言われても「何も生み出さない日々」に埋もれてしまう事の方が怖いと思っている。

私自身が評価される事なんて正直などうでもいい。そこにエネルギーを使うのであればもっと他の部分に使いたい。私が悪評をされる事で選手にマイナスになるのであれば考えないといけないとは思っている。しかし、本当にその評価が「天から見た評価」なのか「私情を挟む評価」なのかで行動自体も変わってくると思う。そこを過剰に意識してしまって「自分がやりたい事」を失ってしまったら意味がなくなってしまう。

吉田松陰のような生き方ができるかどうか。「日本を守る」という視点から行動を起こせるか。そんな大きなことはできないと思います。それでも私には私なりの「使命」があり、その「使命」を果たそうとする事で何かが変わる。そう思っている。敵を増やしたとしてもきちんと味方がいてくれる。それがいつの日か生きた証となる。

うーん、本を読んでいると自分の心と向き合う事ができます。このタイミングで本を読む事には必ず意味があると思います。進むべき道は間違っていないと思っています。誰かに認めてもらうためにやるわけではないから。せっかく生きているのだからきちんとした事をやりたい。そう思います。

小難しい文章ですね。思った事をそのまま書きました。また本を読みます。
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スキップと専門練習

2016-02-16 | 陸上競技
続き。

早起きをしていますが結局blogを書いているので何のために早起きしているのかわかりません(笑)。まー良いんです。

練習の話。スキップをかなりやりました。前述のようにバリエーションを変えてです。さらには「トゥトレ」の形でチューブで引っ張りながらスキップを。これってメジャーな練習方法なのでしょうか?全くわかりません(笑)。結局は前に進むための「切り返し」や「膝の引き出し」「動きのタイミング」を身につけさせたいのです。スキップが上手くなるためにやっているわけではない。分かりにくい表現ですかね?結局は結果的に速く走れたらいいのです。あまりにもざっくり書くと語弊があるかもしれませんが(笑)。

速く走るために「こうでなければいけない」という決まりはないと思います。極論でいれば「何であれで速いの」と言われるような走り方でも「速い者が勝ち」なのです。効率の良い動きをするのが大切だと思っています。かといってこのような「地味な練習の繰り返し」をしなくても速い選手はたくさんいます。でも安定して強さを出すためには「ポイント」になる部分を身につけなければいけない。それは「速く進むための感覚」だと思います。結局「進んだ者勝ち」なら無理やりにでも進む経験も必要。何が本人にとって「良い感じ」なのかは分かりませんから。

スキップを繰り返してそのまま並走へ。4本走って今度は普通にトゥトレで引っ張る。かなりやりました。その後に長めの並走。課題としては高いスピードの中でバトンを渡すことです。これも練習あるのみ。まだまだ十分とは言えません。それでもやっていくしかない。時間が許す限りはこの手の練習をやっていきたいと思います。

ある程度やってから今度は「タイヤ引き」へ。さっきまで「アシスト」のように負荷をかけずに速く進む練習をしていたのにこの段階で「レジステッドトレーニング」にする(笑)。良いのか悪いのかはわかりません。3本やってタイヤを外して走る。ここの走りが重要だと思っています。負荷をかけていて外した後の動き。これが一番よくなる。こういう場面をひたすら作りたい。繰り返しになりますが「本人にとって何がいいのか分からない」からです。良い練習というのがどのようなものかは分かりません。私は「前より少しでも良くなること」だと思っています。その日やって疲れて満足するのではなく「目的をもってやる」ことが重要なのかなと。

少しの時間ですが専門練習を入れることにしました。スプリント系はハードル走。他の者はそれぞれ専門です。ハードル走は私の好きな練習です。跳ぶだけではなく接地のタイミングや重心の移動などを意識していけば身につけることができます。単純に跳べばいいというものではないですから。ハードルをやってからスプリント。この時に前に前に進む感覚が身についてくれると良いと思っています。

さらには高跳びの練習も。これも「個人が特定される」という話になるのかもしれません。批判を受けるのか?そうなったらこの記事は「削除」しますね。一旦出した時点で「それが問題だ」と言われるのかもしれませんが。前の記事の「投擲選手」は「知っている人が見れば分かる」と言われたらそれまでです。分かるでしょうから。大きな批判をするわけではないですし、誹謗中傷するつもりは一切ありません。予防線のようにこうやって書くこと自体「無意味」であり「非生産的」になるのですが・・・。

高跳び練習。本当に久しぶりです。変な動きの癖があるので「忘れるまで跳ばない」と決めていました。さらには「基礎筋力を上げる」ことが最優先事項だと思いそちらの練習が中心。前任校で学んだことを生かしています。本当であれば「専門練習をもっとやったほうがいい」に決まっています。が、その前の段階を飛ばして「小手先の技術」に走るのはどうかと思っていました。「急がば回れ」です。

本当に基礎的な動きをやりました。踏切からの動きの確認。とにかく「タイミングを合わせる」という練習です。踏み切った瞬間に「腕」が使えません。クリアランスの時に腕が使えない。身体を引き上げる動きができないのです。試合の時には支柱に当たってしまうくらい跳躍が流れます。上に行く力を作れないのです。そこの部分の動きを徹底していこうと思いました。

踏切に耐えられる筋力がついてきたかはまだまだ未知数です。それでも以前よりはずいぶん筋力がついてきました。それを跳躍の力に変えていきたい。正直、男子の高跳びは跳ぶ高さが高すぎて分かりません(笑)。女子もそれほど詳しくできるかどうかと言われたらできません。が、力学的にというか動きの部分から判断して必要な動きは分かります。最終的な専門分野はまた聞けばいい。まずはそこにたどり着くまでの「基本的な部分」を身につけさせたい。

この選手、前の記事に書いた部分と重なります。「不器用」です。それでも「悔しいから強くなりたい」という気持ちはあります。そこを何とかしていかないといけないのです。地道な練習の繰り返し。それをこれからは頻度を増やしていかなければいけません。前任校の時には「4継で勝負」と決めていましたから高跳び選手には本当に一切練習をさせませんでした。高跳びでインターハイを狙う確率よりもリレーで狙う確率のほうが圧倒的に高かったから。今の選手もかなり走れるようになってきました。が、「スーパーサブ」として考えています。「スーパー」が付くほどの強さではないですが(笑)。この子は走りよりも「高跳び中心」のほうが良いなと思っています。

30分程度付きっ切りで基本的なことをやりました。前に比べると自分の課題も見えてきています。最低でも県の表彰台。いかに身長を跳ぶことに近づけるかという気持ちでやっています。身長が跳べるようになると本当に面白くなります。もちろん簡単な話ではありません。遠い話ですがやるからにはそこを目標にしていきたい。身長が高いから高跳びをやっているといわれるのは嫌なのでそれに見合うだけの練習はさせていきたいと思っています。

少人数だからできることもあります。いろいろな刺激を与えながらやっていくことが理想。しっかりと考えていきたいですね。
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不器用の利点

2016-02-16 | 陸上競技
月曜日、この日までは2年生不在。1年生だけでやっていかなければいけません。少人数ですから活動しやすい部分もありますが同時に不便なこともたくさんある。道具の出し入れなどは人数が多いほうが効率よくできます。何往復もしなければいけない状況では無駄な時間が生まれてしまいます。これも仕方ないのですが・・・。

1年生だけということもあり午後の練習はアップとしてひたすらダイナマックス投げ。リレー形式でやったりラグビー走をやったり。元気が出ないといい練習はできないと思っているので。できることを一生懸命にやるしかないなと思っています。少しだけ話をしました。何か言ったときに返事ができません。正確に言うと返事をしているのでしょうが「小さくて聞こえない」のです。いいことではない。

今は「1年生」です。これがすあと1か月半で「2年生」となる。一番下の学年から「下級生の手本となる学年」となるのです。その時に今の状況では「手本」となりません。新入生が入ってきてきちんとできないのであればそれが「2年生」の指導不足だと思います。これまでと違って今の1年生は入学当初から「kanekoの指導」でやってきています。これまでの流れ云々は全く別物。道具の準備、練習中の行動などは上級生が手本を示さなければできません。もし「新入生」ができないという状況であれば私は「上級生」を注意します。返事や挨拶など当たり前のことができないというのは「流れ」がないという証拠だからです。

1から10まで私が指導していたらとても時間が足りなくなります。「チームとしてのルール」は上級生が教えていくことになる。陸上競技の指導の中で「日常生活のこと」「当たり前のこと」を指導している時間はもったいないのです。もちろん、そういう指導も必要ですし必ずやります。しかし、そればかりを私が指導していたら上級生の技術指導の時間は確実に減るのです。上級生が指導を受けたいと思えば下級生指導は自分たちである程度やっておかないと「効率的に時間が使えない」ことになります。

それでもなかなか声が出ません。ムードメーカーになる選手が必要になります。誰かが引っ張っていく姿勢が必要になる。練習に対してはある程度できるようになってきていますが、こういう部分も私としては必要不可欠な要素だと思っています。

ある程度アップをやってからすぐにスパイクを履く。いつも通りの流れでスキップ走を。バリエーションがいくつかあります。パスをしながらスキップ、ダイナマックスを持ってのスキップ、片足連続のスキップ。一つの動きだけではなくいくつかのパターンを組み合わせながらやっていくことで動きの感覚も変わってきます。「感覚を身に付ける」ためには繰り返しやるしかないのです。「感覚が鋭い」と言われるような選手は「なんとなくできる」のです。だから崩れたら戻りにくい。なぜ走れたいたのが分からないからです。

こうやって書いていて全く別の話を思い出しました。話が逸れます(笑)。このタイミングで「タイトル」さえ変えました(笑)

実践とは何か?

前任校での指導です。授業の中で話し合いをした時の事。詳しくは中身を読んでみてください。そこまでしなくてもという方は以下の要約をご覧ください(笑)


授業の中で本の抜粋を使って話し合いをさせました。「自分自身について振り返るため」です。

その中の一場面。「不器用の利点」という内容を読んで発表する者がいました。

~~~~~~~~~~~

発表の途中で「誰か自分から言ってみるか?」と投げかけるとある生徒が手を挙げました。陸上競技部の投擲の子です。「不器用の利点」について話し始めました。自分は中学校の時、競技力がなく全く活躍できなかった。高校に入ってみると自分のチームメイトに何をやってもある程度できる選手がいる。砲丸投げ、円盤投げ、やり投げ、何をやっても自分以上にやる。自分は不器用なので少しずつ少しずつやっていくことしかできない。1年生の間は「なんで自分はできないんだろう」と悔しくてたまらなかった。それでも「不器用なりにやる」という努力をしていった。それが少しずつ実を結んでいき2年生時には中国大会に進める。3年生の時には中国大会で2位となりインターハイ出場。近くに「器用な選手」がいたから「不器用な自分」に苦しんだ。でも、その子がいてくれたから自分自身も頑張ることができた。心から感謝していると。

不器用な子だから感じることはたくさんあるのだと思います。かなりの葛藤があったでしょう。でもそれを乗り越えることができたから今の自分がいる。更には本人を目の前にして自分がどんな想いだったのかを話す。そして、「感謝の気持ち」を伝える。多くの生徒の前でこのような話ができるというのは「すごい」の一言だと思います。不器用だからこそこういうことができるのかもしれません。感動しました。

~~~~~~~~~~~

この子は私が直接指導していたわけではありません。投擲選手ですが普段からよく話をしていました。この子の同級生は1年生の時から3年間インターハイに連続出場する選手がいました。その真横でずっと一緒に練習をする。すごく真面目な子でした。だからこそ「できなくて悔しい」という時間をずっとずっと過ごしてきたのだと思います。チームメイトを見れば「なんとなくできる」のに自分は「できない」のです。繰り返し繰り返しやっていく中で少しずつ力をつけて3年時には中国大会2位、インターハイ出場。普通できることではありません。それをやってのけた。できないからできるようになるまでやり続けるのです。この感覚。だから強くなる。

現実へ戻ります(笑)

スキップなどをやらせてもなかなか上手くできない選手がいます。当然なのです。前任校の高跳び選手、本当に不器用でした。私に何度も何度も怒られ、それでも「同じことをやり続ける」しかない。悪い意味でも「同じことを繰り返す」部分はありましたが(笑)。とはいえ、不器用だからこそ「出来るようになるまでひたすらやる」のです。簡単にできていたらその時は苦労しませんが実際に「上手くいかない」というときにどうしたらいいのか分からなくなります。結果、「言われたことだけ」しかできませんでしたがインターハイへ出場しました。こうやって手がかかる選手ほど「かわいい」と言われます。本当に私がそう思っているかは別にして(笑)。

できるようになることで確実に成長します。最初からできるほうが良い部分もあります。こう考えてみると「不器用だから良い」部分もあります。短期的に結果を求めるのではなく長い目で見た時に「良い経験になった」といえるようにならなければいけない。それを教える場が「陸上競技」の部活動にあると思っています。

話が飛びまくり(笑)。長いので記事は次へ(笑)。




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