kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

揺れる選考

2016-02-26 | 陸上競技
マラソンの女子代表の選考。もめます。毎回のことですがもめます。これには様々な理由があると思います。陸連に対する批判も出てきます。当然のことだと思います。

大阪マラソンで優勝した福士選手。強い。基準記録を突破して優勝です。が、すでに昨年の世界選手権で入賞した選手が「内定」をもらっています。これは最初の段階で明確に示してあったと思います。「世界選手権で日本最高順位で入賞した選手がオリンピック代表に内定する」というような文言がある。ここに関して「入賞」という条件が低かったのではないかという批判が出る。ここも「立場」が違えば見方も変わってくると思います。

夏の暑い中でフルマラソンを走る。明らかに健康に悪い。でもその時期に「世界大会」が開かれるのですからどうにもならないことです。世界選手権という「世界一」を決める大会ですから選手は「可能なら出場したい」と思うでしょう。この世界選手権の代表を決める選考レースには多くの選手が参加します。そして翌年にはオリンピックがある。それは分かり切っている事実だと思います。

私には縁遠い話ですが「世界選手権で優勝」と「オリンピックでメダル」であれば世間の評価は「オリンピック」にあります。だからといって世界選手権の選考レースを走った選手が「来年オリンピックがあるので暑い中で走るのは嫌だから辞退します」という話は聞かない。「ジャパン」のユニフォームを着れる選手というのは多くはありません。やはり「世界一」を決める大会に出場したいと思うのは当然のことだと思います。

「世界選手権で日本人トップで入賞」という条件をクリアした。だから内定を出された。そこに対して「記録が悪いのになぜ選ぶのか」という批判が出る。ここは少し違うかなと。単純に記録ではない。そういう部分がある。条件を先に提示ていてそれをクリアした。選手には一切の問題はないと思います。陸連がその基準を設けた時点でどうなのかという話になるのかもしれません。「選考基準」を決めるときに第三者機関を入れて決めるなどをすると違ってくるのか?分かりませんね。

世界選手権の代表決定。この時にももめた記憶があります。一方の選手は「勝つ」ことを意識して自分のペースを保って走る。最初先頭集団から遅れるものの最後に逆転して優勝(だったと思います)。もう一方の選手は別のレースで前半からハイペースについて行って最後に失速。記録的には前述の優勝した選手のほうが数秒遅かった。が、「積極性」と「タイム差」で他のレースで3位だった選手が選ばれた。うーん、この時点で何か間違っていなかったのか?

完全な別レースです。気象条件も異なれば参加する選手も違う。高校生のインターハイを決める大会であれば「地区大会で6位以内」という明確な基準があります。近畿地区などは本当に熾烈です。気象条件が異なるので他地区との「記録での比較」にはなりません。すべては「順位」で決まります。上述のように「優勝」してもマラソンでは評価されないのであれば「駆け引き」などは必要ありません。「勝負」を意識するのではなく「記録」だけを狙う。このような形で正当な評価ができるのか。ここは考え物だと思います。「勝つ」ことに対しての評価が低いというのはどうなのか。

そのような「不透明」な状況があるから福士選手は「名古屋」に出るという話になる。絶対にオリンピックに出たいという気持ちがあるのでしょう。が、こうなると「オリンピックで勝負する」という最大目標から「参加する」ことに目標がシフトしてしまいます。フルマラソンのダメージがどれくらいなのか未経験者の私にはわかりません。「走る」ということを表面に出して「内定」が勝ち取れればいいのかもしれませんンが「組織」としてそれは難しいのだと思います。「万が一」のことがあるから。福士選手に「内定」を出す。通常考えれば今の段階で彼女より強い選手はいないと思いますから「結果」としては問題ないのかもしれません。

が、「万が一」がある。次のレースで日本人上位が3人くらい世界記録を更新したらどうするのか。ありえないと思います。でも、昨年の世界選手権マラソンの選考のことがあるので「明確ではない基準」で選手が先行される危険性もある。だから「エントリー」して走るという話になるのです。陸連もここで「内定」を出してしまえば今度は「名古屋」を走ろうとしている選手に対しての「約束違反」になります。だから「言葉を濁しての発言」になる。どうにもできません。当然です。

それなら「一発レースにすればいいのではないか」という話になる。これも「スポンサー」の関係で難しくなる。アメリカは一発レースだったと思います。短距離系の種目であっても内定を出すことはなかったと思います。それくらいシビア。「選考基準を明確にするために同じレースを全員が走ればいい」という考え方は合理的です。が、選手強化などのことを考えると「資金」は必要なのです。強化費なども様々な部分から捻出されているはずです。だから「一発」は難しい。ここに関しては「正解」が見えてこないのが難しいところです。

インターハイを決める。運不運もあります。年によって大きく選手が異なるので昨年出場した記録を出しても翌年はいけないことがある。2年生でインターハイ優勝しても3年生でケガをして予選に出場できなかったらインターハイには出られません。ある意味すっきりしています。日本代表の決定方法がどうなるのか。そこは難しいと思います。トラック種であれば春先にある「サーキット」と言われる大会で「基準記録」を突破しておけば代表に選ばれることがあります。マラソンは何度も何度も走れません。一度で結果を求められるので難しくなる。

お金のことを考えなければ「勝った者が出られる」というのが一番すっきりするでしょう。短距離種目で「参加標準記録」を複数名突破している場合は「日本選手権上位3人」という形になるでしょう。明確に見て分かる部分ですから。

今の基準ではどのような選考が行われても「誰かが涙を流す」ことになります。一番嫌なのは世界選手権で内定を勝ち取った伊藤選手が「何で選ばれたのか」と批判されること。ここは明らかに論点が違います。一生懸命に走った結果、世界大会で入賞したのですから。それが「内定」につながっただけ。悪いところなんて一つもありません。

うーん、まとまりも落としどころもない内容ですね。すみません。
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心の持ち方

2016-02-26 | 陸上競技
考えることがある。これはいつものこと。考えすぎる部分があるのでいつの間にか「冷静さ」を失う。これはいいことではない。気忙しい時間の中できちんと自分自身について考えることができているのだろうか。それはいつもいつも気になっている。しかし、気が付くと「冷静ではない」という状況を生み出す。良いことではない。

菜根譚。「人よく菜根を咬みえば、すなわち百時なすべし」。硬い菜根をかみしめるように、苦しい境遇に耐えることができれば、人は多くのことを成し遂げることができる。この言葉に由来する400年前の書物。これを翻訳されたものを読む。「哲学」的な考え方になるのですが、やはり学ぶことは多い。時代に関係なく「生き方」を示している。

以下 引用させてもらいます。「中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚 著:洪自誠 翻訳:祐木亜子」

立場を変えて物事を見てみる

冷静になってから、熱狂していた当時のことを振り返ってみると、いっときの情熱に振り回されて動き回っていたことがむだだったと気づく。

また、心の休まる暇もないくらい多忙な状態が一段落し、少し自分の静かな時間を持つことができると、そこで初めて心静かにゆとりを持って生活することのよさを実感できる。


その時その時を一生懸命に生きている。自分自身はそう思っている。が、その流れによって「冷静さ」を失うことが多々ある。これは自分の生き方を考えるうえで反省すべき点だと思っている。客観的な視点を持てなくなる。一時的な感情により「心」が安定しなくなる。カッとなる部分もある。ここが自分の弱さなのかなと考える。


客観的に物事を見る

激しい波が荒れ狂う海の中でも、船に乗っている人はその恐ろしさに気づかないが、かえって陸で見ている人は恐怖で震え上がっている。

また、酔っぱらった人が宴会で怒鳴り散らしていても、同席している人たちは案外平気な顔をしているが、はたから見ている人は苦々しく思っている。

だから、物事の渦中にいても、心はその場から切り離し、冷静な判断ができるようにしておかなければならない。


目の前のことを一生懸命やる。これはすごく大切なことだと思っている。これが今の自分を支えていて作ってきたと思っている。しかし、気が付くと「目の前の事しかみていない」ことが多くなる。自分自身の行動に対して「正当性」を求めるようになり、本来の目標などを失いかける。一生懸命になれることは「才能」だと思う。が、それだけでは世の中は上手くいかない。自分自身の行動や考え方をもっと「客観的に見る」能力が必要になる。分かってはいるがこれが難しい。そして一番苦手かもしれない。


高い目標を持つ

自分を向上させたいと思えば、人よりも高い目標を設定して日々精進することが大切だ。そうしないと、お互いが同じレベルにとどまってしまい切磋琢磨できない。これでは、人間的な成長は難しい。

また、この世の中で生きていくためには、相手に一歩譲り、少し遅れを取るくらいがちょうどいい。ただ突き進むばかりでは、炎に飛び込む蛾や垣根に角を取られた羊のように、身動きがとれず窮地に陥ってしまうだろう。これでは、とうてい安心して生活などできない。


「日本一」を目標に掲げる。それはここ最近の自分自身のテーマ。だからといってどこかに「焦り」はないか?残された時間の中で何をするかという焦りがあるのではないか。それが客観性を失わせ自分自身の「心」を安定させないのではないか。そう感じる。「余裕がない」というのは良いことではない。だからといって「余裕がありすぎる」という部分と「それなりにやる」という部分では絶対にうまくいかない。分かり切っている。だからどうするのか。ここが重要だと思っている。

人間が小さいなと思う。考えることが好きだが、考えすぎて「身動きが取れなくなる」ことがある。これは良いことではない。自分の中でどうしていくのか。これは大きなこと。処理できるようにならなければ何も変わらない。器を大きくしていくことで自分自身も変わっていく。それは分かっている。が、今の自分のはそれほどの力はない。

今年、40歳になる。それでもまだこのレベルだ。「人としての理想の姿」をどこに設定するのか。「不惑」どころか常に惑っている。これまで様々なことを準備してきたつもりだ。が、それはまだ今の自分にとっては十分ではないのだろう。

プラスに動くために考える。決して「止まる」わけではない。そうやって自分自身が何をするべきかを考えていきたい。今の自分に足りないものは何か。考えたい。
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