続き。
前の記事、なぜ芸能人について触れたのか。これは「アンチ」が存在するからです。普通に活動していたらなかなか叩くところがない。それが一度過ちを犯してしまうと「これはチャンス」とばかり過剰なまでの反応を示す。私自身は「他者から嫌われるだろうな」と思っています(笑)。自分のやりたいことをやっていますし、発言自体も「信念に従って」しています。理想論だと言われるかもしれません。お前が言っていることが実際にできるもんかと「否定的にとらえる」方もいると思います。それが当然。万人に好かれるような人間には「魅力がない」と思っています。
blogを書く。その内容が「気に入らない」という人もいるでしょう。毎日見てくれる方がいる。これは「応援します」というだけではなく「こいつ何なんだ」と思ってみている方もいる。それを冷静に考えておかなければいけません。当然の話なのです。「アンチ巨人」だという野球ファンがいます。が、実際は巨人の選手や采配などに関してかなり詳しく知っている。批判をするために多くの情報を集めるのだと思います。嫌いならそのチームの情報を聞かなければいいのですが、ある意味「批判をするために気になる」のだと思います。ここの部分は「表裏一体」のところもあるのではないかと思っています。
また、「良い噂」と「悪い噂」であれば圧倒的に悪い噂が広がるほうが早い。不思議なものです。誰かが幸せになったという「プラスの情報」よりも誰かが上手くいかなかったという「マイナスの情報」のほうが広がるのが早い。「自分以外の人の不幸」というのが嬉しいというか「安心する」のだと思います。自分よりも立場が悪い人間がいるということで「自分が優位に立った」という気になる。自分自身の「力」が上がったわけではないのに他者が「辛い」状況になったら「自分のほうが幸せだ」「自分のほうがいい生活をしている」と感じるのかもしれません。本質的には何も変わっていないのに・・・。
私のblogを見てくださっている方々。私の人となりをどれくらい理解できるでしょうか。本当に接触があって何度も何度も話をしている。こちらが思うことを「文字」ではなく自分自身の「言葉」で伝えることができている人にはそれなりに理解してもらっていると思っています。顔は知っている、存在は知っている。が、実際にきちんと話したことがないという人から「噂」を流されるというのはやはり難しい部分があります。
別に「嫌い」でも構わないと思います。万人に好かれる気はないですから。が、本当に私という人間の存在自体が「嫌い」なのでしょうか?どこかで利害関係が発生していたり、相手の思うように私が動かず従わないという部分から「気に入らない」という人もたくさんいるのではないかと思います。それはそれで良いんですが。
私の感覚的に7割くらいの人には好かれるのではないかと思っています。自信過剰かもしれませんが。2割くらいはどうでもいいと感じている。そしてもう1割は「嫌いでたまらない」という感じ(笑)。感覚的な話ですから正しいかどうかは分かりません。「噂話」の中で私自身を判断してもらうのはやはり「違う」のではないかと思います。実際に会って「本当に酷い目にあわされた」という人が一切の感情論を除いて「事実だけを話す」のであれば仕方ないと受け入れますが大半の場合はそうではない部分が多い。これにより「噂話」というのは悪いほうに大きくなります。
以前、blogに心無い書き込みが数度にわたってされました。誰が書き込んだのかは分かりません。世の中の常として「批判をする人の声は大きくなる」のです。上述のように「嫌いだ」という1割のうち数人がblogに「勘違いするな「大した指導もできないくせに」と書く。それを信じる人も複数出てくる。あーあいつはこんなに嫌な人間なんだなと広めるのは比較的簡単なのことなのです。事実かどうかは別として悪い意味での「噂話」を信じてその話をすると盛り上がります。
逆にここの場面で「本当の事実」を書き続けるとそれはそれで批判の対象になります。「できない」人に「できない」ことを突きつけると嫌がりますからそこから問題が大きくなる。だから「正しい情報」を提供するというのは本当に難しいことなのです。事実を事実として書くと烈火の如く怒りがこみあげてくるからです。
実際にblogに批判的な書き込みがあって「もう面倒だからblogやめるか」と思ったこともありました。その時には数名の方から「応援しています」という書き込みがある。「大嫌いだ」と言われる方もいるのですがそれと同じように「blogを読んでよかった」と言われる方もいる。それは本当にありがたいことです。「誰のために生きるのか」とい観点からすれば「必要としてくれる人のために」でいいと思っています。
自分自身の頭の整理のために書いているつもりです。それでも誰かに何かしらの「影響」がある。良くも悪くもですが。意味のある行為なのかもしれません。あいつのようになりたくないなという「反面教師」のような形で見ている人も少なからずいるのではないかと思います。それも一つの「存在価値」ですね。
うーん。何が書きたかったのかよく分からなくなりました。最近、自分の「想い」をうまく言葉にできない、まとめられないことがあります。これはまずい。もう少し冷静に客観的に物事を見れるようにならなければ。
前の記事、なぜ芸能人について触れたのか。これは「アンチ」が存在するからです。普通に活動していたらなかなか叩くところがない。それが一度過ちを犯してしまうと「これはチャンス」とばかり過剰なまでの反応を示す。私自身は「他者から嫌われるだろうな」と思っています(笑)。自分のやりたいことをやっていますし、発言自体も「信念に従って」しています。理想論だと言われるかもしれません。お前が言っていることが実際にできるもんかと「否定的にとらえる」方もいると思います。それが当然。万人に好かれるような人間には「魅力がない」と思っています。
blogを書く。その内容が「気に入らない」という人もいるでしょう。毎日見てくれる方がいる。これは「応援します」というだけではなく「こいつ何なんだ」と思ってみている方もいる。それを冷静に考えておかなければいけません。当然の話なのです。「アンチ巨人」だという野球ファンがいます。が、実際は巨人の選手や采配などに関してかなり詳しく知っている。批判をするために多くの情報を集めるのだと思います。嫌いならそのチームの情報を聞かなければいいのですが、ある意味「批判をするために気になる」のだと思います。ここの部分は「表裏一体」のところもあるのではないかと思っています。
また、「良い噂」と「悪い噂」であれば圧倒的に悪い噂が広がるほうが早い。不思議なものです。誰かが幸せになったという「プラスの情報」よりも誰かが上手くいかなかったという「マイナスの情報」のほうが広がるのが早い。「自分以外の人の不幸」というのが嬉しいというか「安心する」のだと思います。自分よりも立場が悪い人間がいるということで「自分が優位に立った」という気になる。自分自身の「力」が上がったわけではないのに他者が「辛い」状況になったら「自分のほうが幸せだ」「自分のほうがいい生活をしている」と感じるのかもしれません。本質的には何も変わっていないのに・・・。
私のblogを見てくださっている方々。私の人となりをどれくらい理解できるでしょうか。本当に接触があって何度も何度も話をしている。こちらが思うことを「文字」ではなく自分自身の「言葉」で伝えることができている人にはそれなりに理解してもらっていると思っています。顔は知っている、存在は知っている。が、実際にきちんと話したことがないという人から「噂」を流されるというのはやはり難しい部分があります。
別に「嫌い」でも構わないと思います。万人に好かれる気はないですから。が、本当に私という人間の存在自体が「嫌い」なのでしょうか?どこかで利害関係が発生していたり、相手の思うように私が動かず従わないという部分から「気に入らない」という人もたくさんいるのではないかと思います。それはそれで良いんですが。
私の感覚的に7割くらいの人には好かれるのではないかと思っています。自信過剰かもしれませんが。2割くらいはどうでもいいと感じている。そしてもう1割は「嫌いでたまらない」という感じ(笑)。感覚的な話ですから正しいかどうかは分かりません。「噂話」の中で私自身を判断してもらうのはやはり「違う」のではないかと思います。実際に会って「本当に酷い目にあわされた」という人が一切の感情論を除いて「事実だけを話す」のであれば仕方ないと受け入れますが大半の場合はそうではない部分が多い。これにより「噂話」というのは悪いほうに大きくなります。
以前、blogに心無い書き込みが数度にわたってされました。誰が書き込んだのかは分かりません。世の中の常として「批判をする人の声は大きくなる」のです。上述のように「嫌いだ」という1割のうち数人がblogに「勘違いするな「大した指導もできないくせに」と書く。それを信じる人も複数出てくる。あーあいつはこんなに嫌な人間なんだなと広めるのは比較的簡単なのことなのです。事実かどうかは別として悪い意味での「噂話」を信じてその話をすると盛り上がります。
逆にここの場面で「本当の事実」を書き続けるとそれはそれで批判の対象になります。「できない」人に「できない」ことを突きつけると嫌がりますからそこから問題が大きくなる。だから「正しい情報」を提供するというのは本当に難しいことなのです。事実を事実として書くと烈火の如く怒りがこみあげてくるからです。
実際にblogに批判的な書き込みがあって「もう面倒だからblogやめるか」と思ったこともありました。その時には数名の方から「応援しています」という書き込みがある。「大嫌いだ」と言われる方もいるのですがそれと同じように「blogを読んでよかった」と言われる方もいる。それは本当にありがたいことです。「誰のために生きるのか」とい観点からすれば「必要としてくれる人のために」でいいと思っています。
自分自身の頭の整理のために書いているつもりです。それでも誰かに何かしらの「影響」がある。良くも悪くもですが。意味のある行為なのかもしれません。あいつのようになりたくないなという「反面教師」のような形で見ている人も少なからずいるのではないかと思います。それも一つの「存在価値」ですね。
うーん。何が書きたかったのかよく分からなくなりました。最近、自分の「想い」をうまく言葉にできない、まとめられないことがあります。これはまずい。もう少し冷静に客観的に物事を見れるようにならなければ。