kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

わかりやすい言葉とは

2016-02-06 | 陸上競技
言葉について考える。これは昔から好きなこと。コミュニケーションという部分もだが「伝える」という意味でも「言葉」について色々と想いを巡らせる。基本的にその場を取り繕う言葉を発するのは好きではない。綺麗事だけを並べるのも好きではない。そこに自分自身が「価値を感じない」から。blogに色々と書いているがそこも「誰かに良く思われたい」というつもりはない。ここに関してはまた別に書こうかなとは思う。話が逸れるので(笑)。

少し哲学的な話になるので面白くないかもしれない。大学の頃から言葉遊びというかどうでもいい事を考える時間があった。良くいう話だが「犬」という生き物がいる。ほとんどの人は「犬」という言葉を聞けば同じ生き物を想像するはず。思い浮かべる「犬」の種類は異なるかもしれないが「ワンワン」となく比較的人に懐くペットとして飼われる生き物。そんなの当たり前ではないかと言われるかもしれません。

が、あの動物を「犬」と呼ぶのはいつからだろうか?誰かが最初に「犬」と名付けて呼び始めたから「犬」と言われる。バカにされるかもしれないがあの生き物を最初に「プー」と呼び始めたら今でも「プー」という名称で親しまれていたかもしれない。「今度家でプー飼うことになったんだー「「最近は野良プーが増えたね」とか(笑)。

「犬」という固有名詞を誰もが共通認識している。だから簡単に会話が成立するのです。「犬」の話をしているのに「馬」を思い浮かべて聞いている人はいないから。こんな当たり前のことを偉そうに、と感じとられるかもしれません。しかし、外国から来られた方にいきなり「うちの犬が」と言っても分からない。「犬」という名前の息子がいるのか?と思われるかも(笑)。「言葉」というのはあくまで「文字の羅列」でしかない。「い」という文字と「ぬ」という文字を合わせているだけ。二つ並べると「いぬ」という意味を持つ「言葉」になる。

固有名詞であれば文字の羅列でも「意味」が簡単に想像できて理解できる。しかし、「状態を表す言葉」はどうだろうか?これも良く例に挙げるが「好き」という感情を表す言葉がある。これはかなり厄介だ(笑)。「す」と「き」という文字を二つ並べたという部分では「いぬ」と同じ。しかし、そこから想像されることは受け取る側によって大きく違う。

「犬は好きですか?」という質問をする。答えは様々。「どちらかというと好き」「見たら可愛いなと思うから好きかなー?」「今度飼ってみようと思うくらい好き」「見たらテンションが上がるくらい好き」「家族の一員だと思っているくらい好き」という感じになる。「す」と「き」という文字を並べただけなのにそこには「大きな差がある」というのが簡単に分かってもらえると思う。

状態を表す言葉というのは受け取る側によって「伝えたいこと」が全く異なる形で受け入れられる。LINEやメールなどでトラブルが発生するのはこういう部分から。こちらが軽い気持ちで言ったとしても相手は重く受け止める。悪意があっていったわけでなくてもその「言葉」を受け取る側が「酷い」と捉えることもたくさんある。blogに文字を書いているからこそ、そういう部分を強く感じる。私個人を批判的に捉える人からすれば「揚げ足をとる」ことは簡単だと思う。文字として残っている部分を抜き出して「こんな酷い言い方をしている」とすれば誤解だとしても正当化される。本当に難しい。

誰もが共通して認識できる「言葉」であれば問題はないのだろう。「犬」であればそこから誤解を生むことはないし、お互いにイメージする部分が同じだから同じ方向で話を進めていける。が、「犬が好き」という話であれば片一方は「どうでもいいけどどちらかというと好き」というレベルでもう一方は「家族として好き」というレベルでは話がかみ合わなくなる。感情を伴う言葉や物質としてこの世に存在しない物に関しては「伝わり方」が全く違う。

「頑張る」という言葉。実はあまり好きではない。これも受け取る側によって大差があるから。基準値が明確でないから。これまで何もやっていなかった者が何かをやる。「自分は頑張ってやっている!」と思う。間違ってはいない。が、本機でやっている者の「頑張り方」とは明らかに違う部分がある。それは「個人内評価」だから共通認識はできない。大抵の場合本当に努力している者は「自分が頑張っている」とは言わない。どちらかというと「まだ足りない」と思う方が多い。だから一律の「頑張っている」という表現でくくるのは無理なんだと思う。

これは師匠の受け売り。「感覚が違う人と話しても分かり合えない」という現実。物事に対する感じ方が違うのだからどれだけ話をしても平行線のまま。そこに対して憤りを感じても無駄な労力となる。これも「言葉」や「現状」に対する認識や感じ方の違いだと思う。同じ「言葉」で同じ事柄を共有できるのであればもっと簡単に話は進むと思うがそうでない場合はやはり難しくなる。

だからこそきちんと考えないといけない。どんな言葉で伝えればこちらの真意が相手に伝わるのか。同じことを伝えるにしても10人いたら10通りあるかもしれない。だからこそコミュニケーションをとることが求められる。一律に何かをやらせて終わりという形にはならないのだろう。こちらもしっかりと現実を受け止め何をすべきかを考えていかなければいけない。

またも分かりにくい話かもしれません。それでも感じたことは書いておきたい。これが自分の頭の中にある事だというのを自分自身で文字として残しておく。数日後に見たらまたちがって感じられるかもしれない。それもた 大切。色々なモノを色々な形で感じていく。そのとき一瞬の感情ではないと思う。感動や感情を言葉にする難しさ。きっとこれからも続いていくだろうなと思う。
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