kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

強化週間に入る2

2016-02-02 | 陸上競技
続き。続けるほど中身はないのですが・・・。

この日の練習でやってみたいことがありました。動きながらのドリルの中に「さらに切り替えを強調する動き」を入れてみたらどうだろうかと。以前はフレキハードルを使って一歩での切り替えを行っていました。先日は思いつきで室内で40m位の距離をひたすら「スイッチング」を意識してやる動きをさせました。これを練習の中に取り入れてみたい。

この動きは「大きな失敗」を招いたことがあるので気を付けないといけないと思っています。「切り替えの速さ」を求めすぎて「重心の移動」が全くできなくなってしまったことがあります。一生懸命にやってくれる選手だったのでその分、動きを戻すことができなくなりました。私がショートスプリントの指導を始めるきっかけになった選手です。今でも活躍をしてくれていますが当時は「速さのみ」を求めてしまったため上手く走れませんでした。

陸上競技のスプリントにおける「速さ」とはラダーのような「手足を速く動かす力」ではありません。「手足が速く動けば記録が良い」というのは成立しない。つまり「スイッチング」が速ければ「記録が速い」ということにはならないのです。気が付けば「部分的なこと」にこだわり過ぎて「全体像」が見えなくなる。「木を見て森を見ず」という状況でしょうか。本質的なことは「速く走ること」であり、スイッチングだけを速くすることではない。筋力を上げることが大切なのではなく「速く走るために必要だから筋力を上げる」のです。「筋力を上げれば速くなる」のではない。

ここの視点が抜け落ちてしまったら「何のためにやっているのか」が分からなくなります。筋力を上げることが目的になってしまい「必要以上に筋肥大する」という結果を招きます。これでは話になりません。手足を速く動かすことに特化してしまえば間違った方向に進む。実際に「速く動くようになった」のに記録が伸びないというのはありえます。「ドリル」をやるのも「速く走るために必要な動きを身につける」ために必要な要素かもしれませんが「できなくても速い者は速い」のです。ドリルが上手くできることが全てスプリントにつながるかどうかは別問題なのです。できるようにしていってそれが「走りにつながる」かどうかの「つなぐ部分」が重要になってきます。

小難しい話になっていますね(笑)。

ということでスプリット系の動きに加えてスイッチングの動きを取り入れていきました。こうやって書いていると「ハードル」も組み合わせるとさらに面白いかなという気がしてきました。これはやってみてから考えます。前段階の動きを行ってからさらにスイッチング。そこから切り替えを意識して軽く走る。この流れの中でやっていきました。走りは並走から30&60へ。競争するだけではなく「自分の力で速く走る」という感覚を持ってもらいたいと思っていました。4本実施。これだけでかなりの量走っていると思います。この段階は所用により練習が見れず。これだけの流れの中で実施できているので問題はないと思います。

最後にもう少し走っておきたいと話をすると「トゥトレをしたい」という要望がありました。望み通り実施。時間の関係で1本しか引っ張ることができませんでしたが・・・。そこから最後に30&60を1本ずつ。これにて終了です。見ていてかなり動きの改善が見られます。ここに「明確な理由」を見つけ出さなければいけません。「良くなるだろうな」というのが分かっていてもそこには何かしらの「理由」があるはずです。「良くわからないけど良くなった」というのでは困ります。次につながらないからです。

ほかの様々な動きとの関連性もあると思います。これだけをやっているからよくなったとは思いません。それを冷静に判断していかなければ「失敗」を招くことになります。たぶん「動きながら走りを作る」というだけでは上手くいかないのではないかと思っています。いや、上手くいくかもしれません。こればっかりはどこかで教えてもらったわけではないので(笑)。やっていて動きが良くなるのであればそれはそれで良しとしたい(笑)。チューブを使ってのもも上げなども同様ですね。やっていたら上手くなる。いい走りになる。明確にこれだ!と断言できる部分はないかもしれませんが「意識してやる」ことで走りが良くなります。面白いですね。

しばらくは強化したいと思います。やり過ぎて故障してしまったら元も子もないので。微調整しながらやっていきたいと思います。
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強化週間に入る

2016-02-02 | 陸上競技
月曜日、2週間にわたる検定課外も終わりやっと練習に集中できる状況となりました。来週末から2年生が修学旅行に行くことになっているので練習が積めません。そういう意味もあって今週からしばらく「強化週間」と位置付けて少し負荷を上げていくことにしようと思っています。もちろん毎日毎日強い負荷をかけるつもりはありません。しかし、不足分を補うためにはこうやってあえて時間を作ってやっていく必要があると思っています。

朝練では「ドリル」をやりました。最近のマイブームのため午後の練習の中で「ドリル」をやることが少なくなっています。しかし、走りの基礎を作るのはこの「ドリル」の部分だと思っています。ドリルだけをやれば速くなるとは思っていません。それをきちんと走りにつなげていくことが必要になります。時間をかけて午後練習でやってきましたがそれ以外にもやりたいことがたくさんある。そうなると朝練で「動きの徹底」をしておいて午後からは別のことをやるほうが良いかなと判断。

この日は7時間授業だったため練習開始が17時前。繰り返しになりますが練習時間の確保が必要になります。アップの時間を削るしかない。とはいえトレーニングもやりたい。ダイナマックスを使った練習をアップで行いました。私の説明不足もあり若干手間取る。こういう部分を効率よくできるようにしないと練習が積めません。「ダイナマックスをやる」と宣言した時にはある程度の流れがあります。トレーニングの中に入れるダイナマックスとアップの時に取り入れるダイナマックスでは種目が異なります。ここを「流れ」のなかで感じ取れるようになってもらいたいのですが難しいですね。

この日はあえて少し距離を置くようにしてみていました。前から書いていますが「言われたことだけをやる」という部分から抜け出したい。近くにいすぎるとついつい口を挟んでしまいます。ある程度の距離感を保つことでこちらも「我慢」できます。成長を促すためには「我慢」が必要になります。「放任」とは違います。ここの「差」は難しい。毎回毎回「距離を置く」と良くないと思っています。もちろん、必要なときには絶対に声掛けをします。どんな状況であろうと「やるべきこことをやる」のです。

アップが終わってからすぐにスパイク。動きながら走りを作るという練習に入りました。ここ最近のブームなので(笑)。時間がないのに丁寧にやっていたら終わってしまいます。この時に優先するべきは何か。ここを考えないといけないと思って慰安す。この動きも意識的に段階を追ってやるようにしました。少しずつ種目を増やしていくという感じですね。動きを作ってからスプリント。並走としました。ある程度慣れてきて「渡す」ことはできるようになってきました。最初は「流し」の中でバトンを渡すことさえままならなかったことを考えると随分な成長です。

ここまでくると「渡す」ことで満足しなくなります。当然の話です。手の位置やタイミング、渡した後の動きも丁寧にやっていかないといけない。それが「渡す」ことで安心してしまい次の段階に進んでいない感じがしました。さらにはあり得ないことに「バトンを落とす」ということが。落とすというのは致命的です。初歩の初歩。何度も繰り返し言ってきましたがこの段階においてミスをする。「考える」ことが必要です。パニックになって慌てる。冷静さを失い次の行動をして別の問題が発生する。ここは考えないといけないと思っています。厳しく注意。

少し休んでもうワンサイクル同じことをしました。この時に注意したのが「1セット目よりも動きをよくすること」です。同じことをやる。マンネリ化ししまいます。やればそれなりにできるからです。1セット目をやった後にスプリントをしています。そのスプリントで自分の走りがどうだったのか。ここを理解できるかどうか。高校生レベルではなかなか感覚が鋭い選手というのは少ないのが現状です。感覚だけでやる選手もいますが・・・。これはこれでなかなか難しくなる。「やっていること」と「感覚」がうまく結びつかなければいけないのです。それを自分自身が理解できるか。

難しいことをいっていると思います。しかし、「やるだけ」の練習では効果は少なくなります。目的をもってやる。さっきの走りよりも良くするための練習をする。そこが「練習」の意味だと思っています。できないことをできるようにする。ここが大切。最初からすべてができることはありません。できないからこそできるようにしていく。そこの感覚が必要だからこそ「同じことを2回繰り返す」という練習をさせました。そのことをきちんと伝えてから練習再開。課題を克服する意識を自分自身が持てるかかどうか。

そこからまたも並走。先ほどと同じようにバトンが落ちました。これはいただけません。同じ者が落とすというのは必ず「理由」がある。そこが改善されずに同じことをやるから先につながらない。良くなかったところを改善するのが練習だといっているはずです。ミスをしたことを注意しているわけではありません。同じことを繰り返して今うことが問題だと指摘しているのです。こういう指導は「厳しい」といわれるのであれば世の中で「指導」は成立しなくなると思います。公務員は「サービス業」だから「お客さんが満足して帰ってもらえるようにする」という話もあります。教育現場もほぼ同じ状況になってきています。が、それは誰のためになるのか?「生きていく力」を身につける場所です。ここに「信念」があります。やり直しを自分達でやっていました。当然といえば当然。こうやっていくことが練習や部活動の意味だと思っています。

長くなりました。うーん。記事を替えておきます。

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不惑

2016-02-02 | 陸上競技
土曜日、夜は親しい指導者と一緒に食事に行くことに。久しぶりです。今年度になってかなり頻繁に行くようになりました。といっても2ヶ月に1回くらいでしょうか。年齢が近いこともあり食事に行くことも増えました。

様々な所に行って学んでいるのでこちらとしても勉強になります。お互いに指導をし始めて10年以上が経過しています。それぞれが思うことがある中でやってきています。今が心身共に一番充実している時期なのかもしれません。そして「独り立ち」を意識しなければいけなくなる世代になってきています。

論語に「四十にして惑わず」というのがあります。「不惑」です。私も今年は40歳になります。早いものです。その時に「不惑」という気持ちになれるか。多くのことを悩み考えてきました。ありがたいことに同年代の指導者に恵まれています。先輩は尊敬しています。一つ下の年齢の指導者には適当に扱われています(笑)。それでもこの年代はかなり大切な世代だと思っています。

「不惑」。人生の中で周りに惑わされることがなくなったという意味です。物事の道理を学び自分が進むべき道が明確になる。基本的に迷い悩んでいる人間ですから「不惑」という所には達していません。情けない話ですが。それでも同年代とディープな話しをすることで自分自身の頭の中もクリアになります。

自分が信じる道を進む。そのためには今までの考え方から離れる必要があるのかなと感じました。「不惑」という言葉だけを見ると「信念を持って進めば良い」という感じで捉えられるかもしれません。しかし、実際は違うのだ思います。信念を持つからこそ「自分自身の考え方」を変えていく必要があるのだと思っています。最優先するべきは「自分の信念」だという部分には変わりはありません。しかし、それだけで世の中は回らない。「誰かのため」に自分が変わらないといけないといけない。納得云々ではなく「優先すべきは何か」だと思います。

まーそんな話をしたわけではないのですが何となくそう感じていました。

美辞麗句を並べる。こういう人間を信用するな。これも論語に書いてあったのではないかと思います。こういうタイプの人と一緒に食事をすると何となく気分が良くなる。人は褒められるのを好みます。批判されるよりは褒められる方が良いですから。褒められて勘違いして自分はすごいんだと思えばやはり気分は良いでしょう。それにより本来やるべき事や目指す所を間違えてしまう。持ち上げる人間は少しでもその人の恩恵を受けようとするのかもしれません。それに乗っかって「どう?すごいでしょ?「となるのも良くない。バブル経済のように実体のない好景気はふと目がさめると大変な事になるのです。

一緒に食事をしていて大半はダメだし(笑)。少しは褒めてよ、という気がするくらいですね(笑)。こういう機会だから話をする事ができる。この時に話しが出たのですが「合宿」などで取ったアンケートに関してはやはり結果を教えてもらいたいと思います。「褒めてあるかどうか」を確かめたいのではなく「課題が何か」を知りたいのです。美辞麗句を並べられ褒めちぎられる方が気持ち悪い。的を射た意見であればそれはどんなに辛辣な言葉であっても聞き入れないといけないと思っています。耳を塞いで褒めてくれる人とだけ関わるような生き方はしたくないですから。

また話に出てきたのが「10割の人に好かれる人間は魅力がない」という内容。これはいつもblogに書いています。「7割の人に好かれて3割の人にめちゃめちゃ嫌われる」方がいい指導者だと。多少「毒」や「アク」が強くないといけない部分がある。万人ウケするような生き方をしていたらやはり魅力がないのかもしれません。万人に好かれようとすると疲れます。そしてそんな生き方はとてもじゃないけど私には無理。わざと意地悪をして嫌われるのではない。こちらが一生懸命にやっていたらその事に対して批判的に捉えられる人もいる。これまでの枠の中で物事を考えていたら私のような人間は「常識知らず」であり「和を乱す」人間なのかもしれません。だから嫌われる(笑)

誰かに好かれた、嫌われたで一喜一憂するエネルギーはもったいない気がします。その力を別の部分に使えば良い。真剣にそう考えています。「ごく一部の人に好かれて大半から嫌われる」という生き方をする人もいるのかもしれません。それはさすがにしんどいなーとは思います。「裸の王様」状態です。気がついたら周りはその姿をみて冷笑している。そんな生き方は「仁」から外れた生き方をするからだと思います。自分の信じる正しい道を進んでいたらそんな事には絶対にならない。

「不惑」です。進むべき道を決めて「信念」を持って進む。単に「我が道を行く」のではない。「唯我独尊」の状態では人は付いてこない。だからといって「信念を持たずに右往左往する」ようでは何も生み出さない。本当の意味での「信念」があれば小さなプライドなんて捨てされる。話しながらそう感じていました。

始めて入ったお店で4時間くらい話をし続けました。時には陸上競技の動画を見ながらあれこれ談義。本当に陸上に関わる話しかしなかった気がします。周りから見たら明らかに変な人ですよね。競技とそれに関する話しかしたないない気がします。あっという間の4時間でした。

充電できました。しっかりと進みたいと思います。感謝。
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