kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

実感2

2016-02-04 | 陸上競技
毎度のことですが書いていたら長くなります。そして話が逸れます。「話が長い」「内容をまとめる力がない」と言わるのですがまさにその通りですね。あれもこれも書きたくなるので。これが周りからダメ出しをされる最大の理由なのではないかと思います。反省しなければいけません。そしてそれは生かされない(笑)。

スピードスキップをして「軸」の話になったところから飛躍して別の話になっていました。一応戻します。

ある程度やってから今度は「加速段階の動き」をやりたいなと思いました。スタートからの動きができたらと思っていたのですが途中降った雨でグランドが緩くなっています。この状況ではなかなかスタート練習はできません。せっかく倉庫でスタブロを発見したのですが・・・。こればっかりは仕方ないですね。また別の機会に。

壁を使ってのスタートの動きの確認をして人を押す動きを。話を聞いていればそれなりに理解できるのですが「自分やりやすいようになやる」という感じの選手も出てくるので動きが全く違います。難しい動きをやっているとは思います。最初からできるとは思っていませんがもう少し意識してやってもらいたい。自分がやることに一生懸命になってほかの人の動きをみない。こうなると動きは変わりません。自分のこととして捉えないからです。ほかの人がやっている動きを見ることで「今やろうとしていること」がイメージできます。実際に動くのが1本でも人の動きを見てイメージすれば2本分の練習になる。このことも少し厳しめに話しました。

スタートの動きの確認をやってからマーク5歩。これをやった時に「切り替えが遅い」と感じました。人を押したりする動きの中で下向きの力が強くなっていたのだと思います。前に出す動きの意識が弱くなったのでここも改善する為の練習を追加。blogと一緒でやろうと思ったことを次々と加えていきます。決まりきった練習ができないと思いますね(笑)。それに戸惑う選手も出てくるのかもしれません。臨機応変に何をやろうとしているのか、大切なのは何かを感じ取れるようになると大きいと思います。

少し改善されたので今度は加速段階でのトゥトレ。最初の動きはじめだけを意識して行いました。引っ張ってからすぐにマーク5歩。これを何度か繰り返しました。実際にやろうとしている動きを「補助」して、次は自分の力で走る。こういう部分の積み重ねで「感覚を自分のものにする」というのができると思います。単に引っ張って終わりというのでは面白くないですから。

そこからは並走。パスしてから並走の形で実施しました。前回同様、「怪しいな」と感じていた部分。「うまくいかない気がする」と話していたら的中してバトンを落とす。本人たちに聞こえるように話してプレッシャーをかけたわけではなく走り始めてから何となく「ミスしそう」と思っただけです。2日間で3回のバトンの落下。これまで「落ちる」ということさえほぼない状況でしたがこうやって「落ちる」というのには明らかに「原因」があるのです。そのことを繰り返し話していたのですが同じことをする。うーん、試合でこれが出たらもう終わりなのです。この日初めてやった練習であれば仕方ないという話になるかもしれませんが、何度も何度もやってきた練習でミスを繰り返す。考えないといけないと思います。

その後、種目別練習に分かれてやる。スプリント系は60mの並走に切り替えました。これを4本。先ほどの練習と合わせるとこの時点で60mを8本。すべて全力です。これが多いのか少ないのか。マーク5歩なども組み合わせると実は走っているのではないかという気がしています。距離の問題でいうと少ないかもしれませんが高いスピードを出すことという視点ではやはり走っていると思います。

その時その時に自分自身が出せる最大スピードを出すというのは大切だと思っています。100mを10本走ったとしてもそれがテンポ走のようにゆっくりした走りで10本走る事と全力で60mを4本走るのであればどちらがどうなのかというのはハッキリと分かりません。「足を作る」という意味で余裕のあるスピードで走り込みを行うというのも一つの方法論だと思っています。私は全力で走る方を選択しています。冬でもスパイクを履いて走る。このスタンスは外せないですね。坂道や砂浜で走る練習も必要だと思っていますがやはり平地で最大スピードを出す事の方が優先です。

更に30&60を4本。いつも近くから見ているのですが、他の種目を見に行った帰りに離れたところで見ることにしました。そうすると思っていた以上に「良い動き」になっていることに気づきました。いや、驚いた。走れるようになって来ているとは思っていましたが走り自体が変わってきています。あれだけ練習をやっているのだから当たり前じゃないかと言われたらその通りです。これまでと比べでかなり力が付いてきているなと実感できました。やはり練習は偉大。

ここまでやって残りの練習時間が1時間。ここからは時間の許す限り走り続けることにしました。練習ができる距離が60m程度だったのでタイヤ引きとスプリントを組み合わせて行うことに。タイヤ引きを3本やってからスプリント1本。計4本で1セットです。セットで少し休息を挟んで2セット。タイヤ引きをもう少し長い距離でやりたいなと思っていた矢先に他の部の練習が終了。話をしてみると使っても大丈夫だという事だったのでありがたく使わせてもらいました。

練習内容としてはタイヤ引き120mを5本。グランドの外枠一杯使ってなんとか距離を取る事ができました。休息は120m歩き。かなりキツイだろうなと思っていましたがそれでも妥協せずに5本。これも見ていると最初の3本くらいはなんとかスピードを最後まで保てるようになって来ていました。大きな成長です。最初の頃は120m走りきる事さえままならなかった状態でした。それがタイヤという負荷をかけて120mをきちんと走りきれる。これは確実に力が上がっている証拠だと思います。

タイヤ引きが120m走れるようになったから県で一番になれるのか?と言われたら答えは「ノー」です。勝負事ですから簡単には勝てません。しかし、陸上競技の一番面白いところ、楽しめるところは「少しずつ力が上がっていく事を実感できる」事です。前にできなかった事が出来るようになる。それだけでやってきた意味はある。100mが20秒かかる選手が15秒で走れるようになったらそれは素晴らしい事だと思っています。そこにたどり着くために様々な努力をしてきたからそこまで走れるようになった。それだけは間違いない事実です。

120mタイヤ引きのラストの動き。ここが大切になると思っています。実際にやっていく中でしかできない。今回のように120mを使えるならこれまで以上に良い練習ができると思います。タイヤ引きもスプリントの組み合わせが出来るようになるともうワンランク上に行きます。分かりにくいかもしれませんが。この手狭なグランドでも練習はできる。そう感じる事ができました。せめて週に1回だけでもできると理想。できる事なら2回(笑)。本人達は嫌そうな素振りは見せませんでした。やっと「競技者としてのスタートライン」に立てたのかもしれません。

こういう姿を見るとこれまでやってきて良かったなと思います。本人たちも変化を感じる事が出来る。それが大切なのだと思います。実感できるかどうか。

こうやってきちんと練習が積めれば戦える日が来る。今は難しいかもしれませんが今の選手達が流れを作ってくれれば必ず勝負できる日が来る。かなりの自信を持つ事ができました。大きな事だと思っています。

良い練習でした。足りない事は沢山ありますがやはりこうやってできる事は大きい。ここで満足せずに次に向かいたいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実感

2016-02-04 | 陸上競技
水曜日、この日は午後から走練習を予定。そのため朝はドリル。午後練習で種目別練習を多くやるようになってきたのでスプリント系以外にドリルをさせることがなくなっています。スプリントだけを考えると別にやらなくてもいいという判断もできますが、ハードルを使った練習をすると股関節周辺の使い方が上手くなったり、軸をしっかりと作ったりとできることが増えていきます。股関節が使えない選手がかなり多いとずっと感じてきました。かなりの量をやっても変わらず使えません。工夫も必要ですし「取り組みの意識レベルの引き上げ」も必要になります。

午後は走練習。アップはダイナマックス。動きながら鍛えるという典型的なパターンです。ここをどう取り入れるか。アップとしてやるだけではなく「目的」を持って取り組んでいきたいと思っています。単純に「身体を温める」のがアップなのか。筋温を上げるだけではなく他にもできることがあると思っています。前任校では武道場でサーキットをやっていました。今はその部分を別の形に求めています。バランスよく何かをするためにはサーキットが一番いいのではないかと思います。今はそれ以外の部分で「鍛えながら体を温める」という考えをしています。これも特殊なのかもしれません。ジョグを一切しない中でのアップ。不思議な光景かもしれませんね。

この日はある程度付いていたのでとにかく休憩を短くするように指示をしました。この練習実はめちゃくちゃキツい。それなりにやるとそれなりですかきちんとやるとめちゃくちゃハードです。だからこそあえて終わったらすぐに次の種目に進ませる。心肺機能にも負荷がかかるからです。私の練習ではここ最近特にこういう部分が少なくなっています。だからこそ全身持久力を上げるような練習をやらないといけない。

ある程度アップをしてスキップ走。そこの段階でスパイクを履いて行いました。先日食事をしながら話をしたときに全国の超強豪校は「集合の時からスパイク」だそうです(笑)。すごい話ですね。つまり「ドリル的な練習」はほとんどやっていないということ。スパイクを履いて丁寧にドリルという感じにはならないでしょうから。動きながら走りを作るのかそこまでやる必要がないくらい選手が集まるのかは分かりません。一考の余地はあると思います。

前から書いていますが強化練習をするつもりでいますから「ドリル」に時間を割けません。走る練習を増やしたいと思っている部分がありますから地味に補強をするのも優先順位からいうと後回し。誤解なきよう書いておきますが「補強をやらない」と言っているわけではありません。同じように「ドリルをやらない」と言っているわけでもない。実際にはかなりやります。が、そこだけに時間を割くのではなくもっとやるべきことがあるのだと思っています。それは「時期的なもの」もあるでしょう。時には「ドリルを徹底する」時期も必要だと思います。

スピードスキップはダイナマックスを使いながらやっていきました。これは動きながら体幹固めるというイメージにぴったりだと思っています。単純にスピードスキップをする部分とは分けて考えています。もちろん切り返しを速くしたいのいう気持ちはあります。が、それだけではなく動きならが軸を保つという感覚を身につけさせたい、やはりまだまだら弱いなという感じがありました。動きながらダイナマックスを強く投げるというのは思っている以上に難しい。投げるのももらうのもトレーニングになります。意識してできるかどうかです大きな差になります。これを連続でかなり。

実際に走る量もしては他の学校よりもすくないのかもしれません。特に距離に関しては踏めません。しかし、こういう部分で走り続けていますから負荷的には高いのではないかと思っています。選手は知らないうちにかなり走りに近い動きを繰り返しています。いや、正確には知っているけども私にアピールしないだけかもしれませんが(笑)。

走るだけが練習ではないと思っています。だからと言って走らなければ速くはなりません。ここは難しいところ。走らないで走りに近い動きをひたすらやる。これだけでも動きの変化は見られると思います。不思議なものですが。単純に走って走って速くなるというスタンスもアリだとは思います。私が尊敬する指導者達はそういう流れではやりません。「昔ながらの練習」という感じではない。だからといって「ブレない」から結果につながる。新しいものを全て取り入れていくのが良い指導だとは思いません。

話が逸れますが「多くのことを知っている」ことはある程度必要だと思います。しかし、知っているだけでは意味がない。知っているものをどのように活かしていくか。何度も書いていますが情報網を広げて「最新の理論」を次から次へと導入する指導者もいると思います。そして、それを真似して二番煎じのような形の指導をする。更にその真似をして「何が目的か分からない」練習をする。ここはには大きな「差」があるのです。

師匠は前から同じ事を言われています。マイナーチェンジはしていると思いますが「軸」はブレない。これは走りと同じですね。前に進むためには「軸」を保って左右にブレない。前に前に進むのです。「軸」がしっかりとしていたら枝葉の部分が多少変わったとしても問題はありません。伝え方が変わるかもしれないけどやりたい事は変わらない。そんな指導がきちんと出来ると大きなレベルアップにつながっていくと思っています。

最新の理論を知っている事がステイタスではありません。それが本当に何の意味があるのか?「なんば走り」や「ジャマイカ式スタート」が流行りました。が、今はどうでしょう?流行り廃りがあるのです。新しい情報に飛びついてやってみたけども実はそうでもなかった。見た目の動きはそうなっているけれど実際には全く異なる。こういう事もたくさんあると思います。それをわかってやって行くのと分からずにやり続けるのでは違うのだ思います。

真似する事。これは大切だと思っています。この世にオリジナルのモノを作り出すというのはほぼ不可能です。新商品の開発だといっても実際はパクり(笑)。この世で形と機能が変わらないのは「ネジ」だけだと言われています。それ以外のものは「オリジナル」から派生した商品でしかない。私も師匠からの受け売りでやってきている部分が多大にあります。ここに私の「軸」があります。これがなければ今の私は間違いなく存在しません。その辺で勘違いしてワーワー言っているだけの存在がだったかなと。

が、それだけではない。自分で考えながらあれこれやっているつもりです。オリジナルにはなりませんが目の前で起きている事に対してきちんと考えながらやっています。単純に二番煎じで劣化版の指導だけをしていたら良いことにはなりませんし、選手自身が気づくのではないかと思います。だから我々が学ぶ必要がある。考える必要がある。

ん?また話が逸れて長くなっています。続きはまた別に(笑)。そういう部分でも多少は学べよ!もいう話ですね。すみません、自己満足のblogですから(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やれることは何か

2016-02-04 | 陸上競技
書きたいことがありすぎて上手くまとめられないですね。頭の整理をしたいのに散らかっている。わたしの性格そのものです(笑)。どうにかしなければ、とは思っているのですが。

2月3日は節分。色々と考えることがありました。学校は勉強をする場所だと位置付けられています。当然の話です。その勉強とは何か?これもすごく難しい部分だと思っています。様々なことがありますから。決められたことをひたすらやり続けるというのも勉強。ルールを守る必要性を知るのも勉強。身の回りにあることは全て勉強です。

こういう意味では高校に進学せずに実社会で「世間の厳しさ」を学ぶのも勉強ですし、その方が本当に大切なものを学とれるかもしれないという気はしています。実際の社会と学校現場では大きく異なることもあります。仕事をするとしても誰かが「これでやってくださいね」と全てを準備してお膳立てしてくれることはない。ある程度のところで「任される」部分が出てきます。

この日はやりたいことがありました。すでにやる気でしたがやっぱり気になって周囲の方に相談をしました。気が小さいですから(笑)。なんだかんだ話をしていたら昼食の話となりました。以前ある進学校で昼食の時間に生徒が「焼肉」をしたとのこと。先生方に見つかり注意を受ける。その際、生徒が「何故焼肉をやったらいけないのか?」と生徒が聞いた。一般常識的には「普通やらないよね」という感じですが校則に「昼食時に焼肉をしてはいけない」とは決まっていない。その時の生徒部長の答えが「周りが羨ましがるだろう?」とのこと(笑)。それにより「確かに。分かりました。止めます!」と返答しやらなくなったと。

それが正しい答えだったのかは分かりません。煙が出て周りに迷惑を掛ける。匂いが教室に残ってしまう。様々な理由が挙げられますが。それでもそのせいとには「周りが羨ましがる」という答えがスッーと入ったのだと思います。人それぞれに感覚があって納得できる部分がある。大抵の場合は納得すれば行動が変わります。物事の道理としてそこだけは間違いない。もっともらしいことを列挙するのではなく感情的な話になるから受け入れることができたのかもしれません。

学校は色々なことを学ぶ場だと思っています。椅子に座って黒板に書かれたものをノートに書き写す。これが勉強だとしたら塾だけで良いと思いますし、映像を流して授業をするだけでいい。DVDなら何度も分からないところを繰り返し再生できますからもっと理解が進むかもしれません。そうなればわざわざ人が集まって集団生活をする必要はなくなる。人が多いからできることもある。他者との関わりの中で学ぶことがある。記憶力が良いだけで社会生活が送っていけるかどうかは分からないのです。

この日の終礼時、教室で豆まきをしました。特に深い意味はありません。クラスの中だけで豆まきをする。何故やったのか?うーん、やりたかったから(笑)。高校生の言い訳みたいですが。クラスとして一つのことをみんなで共有するというのはすごく大切だと思っています。教室で豆まきをするなんて常識のない事が許されるのか?と批判を受けるでしょうか。その常識は誰にとって正しい常識でしょうか。私はクラスの子供達と「共有するモノ」を作りたいと考えています。それが非常識とされ批判の対象になるのかもしれませんが。

一応鬼役は私。こういうご時世ですから生徒に鬼役をやらせて豆を投げると「これはイジメだ」と騒がれる可能性さえある世の中です。もっと大きなイジメが世の中には数多く存在するのに、ほんの小さなことを取り上げて「イジメ」とする。特にこのように公に書くと大変なことになる可能性がある(笑)。みんなで一つのことをやる。それが何でもいいのだと思っています。部活とは異なりそれぞれが異なる方向を向いて生活するクラス。だからこそ時々みんなで同じ方向を向いてやっていく事が必要だと考えています。

めちゃくちゃ豆をぶつけられましたがそれでも生徒たちは良い笑顔でした。この姿を見て「意味がない」と批判するのは絶対に違うと思います。字面だけではなく「子供たちが活動する姿」が重要だと思っています。それを見て「意味があるかないか」を考えれば良い。

こうやってやるのが嫌いだという子もいるでしょう。その子に対しての配慮が足りないという指摘も出てくるかもしれない。それはそれで受け入れていかなければいけなくなるでしょうね。集団生活の中で学ぶ事がある。一人で何かをやり続けることは不可能だから。だからこそこういう経験の中で自分の出来ることを見つけていけば良い。それが「勉強する」という意味なのかなと。

やりたいことをやりました。自分の出来ることを、信じていることをやり続ける。それが何を意味するのか。今は分かりません。いつの日か私自身が分かる日が来るかもしれない。そう考えてやっていきたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする