思うことを。
金曜日、懇親会の前に数人で軽く食事に行った。その時にテレビで「集団過呼吸」のニュースが流れていた。記憶の片隅に残っていたので後日内容を確認してみた。遠足で東京に来て数人が集合時間に遅れてきた。それに対して指導したことにより1人が過呼吸状態になり、それ影響を受けて周りも過呼吸になったとか。指導を受けていた者よりも周りにいた者が過呼吸になった、と。
どの辺りが本当の事なのかよく分からない。その日はかなり暑かったらしく熱中症の可能性があったのではないか、走って集合場所に来たので呼吸が整っていない中で指導を受けたので過呼吸になったのではないか。その場にいた訳ではないのでなんともいえない。
が、「時間に遅れてきたので指導をした」という部分は間違っていないと思う。「遅刻して指導されて集団過呼吸になった」というような報道であった。その部分がかなり頭に残っていたので調べてみたのだが。
報道は「一部分を切り取る」事で行われる。その前後関係はボヤかしていることが多い。今回は「遅刻して指導」したから過呼吸になったのだという印象をかなり受けた。集団で行動している場面で複数人が遅れてきたら全体が動けなくなる。電車の時間もその後の予定も全て狂う。引率者としては指導を必要とする。激昂しての指導だったのかもしれない。その辺りはよく分からない部分だが「遅刻して指導したから過呼吸」というのであれば教育現場では一切の指導ができなくなる。
今の時代、教育職は完全な「サービス業」になっている。元々物品販売を行って収入を得る訳ではないので「サービス業」なのだが。顧客満足度を高めるために顧客に合わせたサービスの提供を行う。気に入らないなと思うことがあればそこに対して批判をすれば「改善します」のような雰囲気になる。問題点があったとしても何か一点でもこちらの対応が悪ければ「それが原因で...」という流れになる。
赴任した当時、練習時間が終わる時間が決まっていない事に対してかなり批判を受けた。迎えにきたのにまだ練習が終わらずに待たされた。他にも用事があるのに。待った時間を返してくれるのか?うーん。練習場所をセミナーパークにした時には「なぜセミナーパークでやるのか?」と言われる。意図があって場所を変えたつもりだが。迎えに行くのが大変だという話だったので「電車で集合させてもらえれば」と伝えると「練習が終わって疲れているのに駅まで2キロ歩かせるのか?」というような話もあった。
もちろん、これまでの流れを変えていたというのもありもっと詳細を説明しなければいけなかったのかもしれない。しかし、全てにおいて全員が納得する形での話ができるのか?「サービス業」としては相応しくない内容なのかもしれない。お客様に納得&満足して帰ってもらうことを最優先するのであれば私の指導は間違いなく不合格になるだろう。
「必死で競技をやりたい」と望む選手と「適度に身体を動かしてワイワイできればいい」と思う生徒であれば同じ空間で一緒に練習するのは困難だと思う。一方ではきちんとやる事を求め、一方では適度にやる事を求める。ダブルスタンダードになると集団は成立しなくなる。どこかできちんと示していかなければいけないところがある。
指導しないのであればダブルスタンダードにはならない。どちらに対しても「好きにやればいい」というスタンスであれば関係ないのだと思う。見守るだけ。こういう場合、必死にやりたいという選手に技術指導をするともう一方から「何で自分たちは指導してもらえないのか?」と言われる事になる。望んでいないとしても一方が指導を受けていたら「何で自分は?」という感情が生まれるのだと思う。この辺りがかなり難しい。
指導をする。なかなか難しい部分がある。しない方がトラブルは起きない。事なかれとはいわないが何もしない方が問題は起きない。問題というのは子供達が起こす行動ではなく外部や保護者から何も言われなくて済むという部分だが。根本的に何を目指してやるのかという部分は完全に置き去りにされてしまうことになるのだが。
一側面だけで物事を捉えるのはしんどい。なかなか難しい部分が出てくる。考えないといけないなと改めて思う。
金曜日、懇親会の前に数人で軽く食事に行った。その時にテレビで「集団過呼吸」のニュースが流れていた。記憶の片隅に残っていたので後日内容を確認してみた。遠足で東京に来て数人が集合時間に遅れてきた。それに対して指導したことにより1人が過呼吸状態になり、それ影響を受けて周りも過呼吸になったとか。指導を受けていた者よりも周りにいた者が過呼吸になった、と。
どの辺りが本当の事なのかよく分からない。その日はかなり暑かったらしく熱中症の可能性があったのではないか、走って集合場所に来たので呼吸が整っていない中で指導を受けたので過呼吸になったのではないか。その場にいた訳ではないのでなんともいえない。
が、「時間に遅れてきたので指導をした」という部分は間違っていないと思う。「遅刻して指導されて集団過呼吸になった」というような報道であった。その部分がかなり頭に残っていたので調べてみたのだが。
報道は「一部分を切り取る」事で行われる。その前後関係はボヤかしていることが多い。今回は「遅刻して指導」したから過呼吸になったのだという印象をかなり受けた。集団で行動している場面で複数人が遅れてきたら全体が動けなくなる。電車の時間もその後の予定も全て狂う。引率者としては指導を必要とする。激昂しての指導だったのかもしれない。その辺りはよく分からない部分だが「遅刻して指導したから過呼吸」というのであれば教育現場では一切の指導ができなくなる。
今の時代、教育職は完全な「サービス業」になっている。元々物品販売を行って収入を得る訳ではないので「サービス業」なのだが。顧客満足度を高めるために顧客に合わせたサービスの提供を行う。気に入らないなと思うことがあればそこに対して批判をすれば「改善します」のような雰囲気になる。問題点があったとしても何か一点でもこちらの対応が悪ければ「それが原因で...」という流れになる。
赴任した当時、練習時間が終わる時間が決まっていない事に対してかなり批判を受けた。迎えにきたのにまだ練習が終わらずに待たされた。他にも用事があるのに。待った時間を返してくれるのか?うーん。練習場所をセミナーパークにした時には「なぜセミナーパークでやるのか?」と言われる。意図があって場所を変えたつもりだが。迎えに行くのが大変だという話だったので「電車で集合させてもらえれば」と伝えると「練習が終わって疲れているのに駅まで2キロ歩かせるのか?」というような話もあった。
もちろん、これまでの流れを変えていたというのもありもっと詳細を説明しなければいけなかったのかもしれない。しかし、全てにおいて全員が納得する形での話ができるのか?「サービス業」としては相応しくない内容なのかもしれない。お客様に納得&満足して帰ってもらうことを最優先するのであれば私の指導は間違いなく不合格になるだろう。
「必死で競技をやりたい」と望む選手と「適度に身体を動かしてワイワイできればいい」と思う生徒であれば同じ空間で一緒に練習するのは困難だと思う。一方ではきちんとやる事を求め、一方では適度にやる事を求める。ダブルスタンダードになると集団は成立しなくなる。どこかできちんと示していかなければいけないところがある。
指導しないのであればダブルスタンダードにはならない。どちらに対しても「好きにやればいい」というスタンスであれば関係ないのだと思う。見守るだけ。こういう場合、必死にやりたいという選手に技術指導をするともう一方から「何で自分たちは指導してもらえないのか?」と言われる事になる。望んでいないとしても一方が指導を受けていたら「何で自分は?」という感情が生まれるのだと思う。この辺りがかなり難しい。
指導をする。なかなか難しい部分がある。しない方がトラブルは起きない。事なかれとはいわないが何もしない方が問題は起きない。問題というのは子供達が起こす行動ではなく外部や保護者から何も言われなくて済むという部分だが。根本的に何を目指してやるのかという部分は完全に置き去りにされてしまうことになるのだが。
一側面だけで物事を捉えるのはしんどい。なかなか難しい部分が出てくる。考えないといけないなと改めて思う。