もう一つ、文章を読ませました。ここのタイトルは「潜在能力を引き出す「4つの柱」」です。
第1の柱-「優秀な教師またはコーチ」に指導を仰ぐ
第2の柱-「最善の努力」を惜しまない
「自分で努力する気のない人を助けようとしても無駄だ。はしごを自分で上ろうとしない人を無理に押し上げることはできない」
一生懸命に努力しない人が、どんどん腕を上げ、才能を開花させることなどはあり得ない
第3の柱-「明確な目標」を持つ
練習をする時には「明確な目標」を持つことだ。特に表面的な成功ではなく、真の成功、つまり「卓越性」を追求し、その実現に全力で取り組まなければならない。卓越性を目指し、ひたむきに練習をすることで、何とも言えない充実感で心が満たされるであろう。
第4の柱-「得意分野」にエネルギーを傾ける
同じチームに所属する二人の選手が、同じコーチから指導を受け、同じ目標に同じぐらいの集中力と努力で取り組んでも、出てくる結果は全く違ている。実際には、同じ練習をしたからと言って同じ結果が出るわけではない。どうすれば「未来のリーダーを育てられるか」という問いに「リーダーの素質がある人を見つけることだ」と答えた。「一番素質のある人を見つけて訓練するほうが簡単だ」と。
一番得意なことが分かったら、すぐに練習を始めよう。そうしないと、上達しないどころか、もって生まれた力もどんどん失われていく。
潜在能力は、貯金と全く反対の動きをする
銀行にお金を預けたら利息が付いて増えていく。しかし、潜在能力は何もせずにほったらかしにしておくと徐々に失われていく。
自分の能力を最大限の発揮するには、得意とする分野で高い目標をかかげること。
他人から与えられた目標が自分自身で設定した目標より高いなら、まだ自分の能力を最大限に発揮していないということだ。
「戦う自分」を作る13の成功戦略 P114~117 著者:ジョン・C・マクスウェル 監修者 渡辺美樹 発行所:株式会社三笠書房
「第1の柱」については話す気にはなりませんでした。正直、これまで私は何度も基本的なことを指導してきました。私の指導を受けたくないと思えば別の場所で練習をすればいいのです。「自分の力を引き出してくれる指導者はこの人ではない」と思うならそれでもいいと思います。「強くなりたい」と思うけど「この指導者の言うことは聞きたくない」と思うのであればそれも選択肢の一つ。私が優秀だとかいう意味ではなく「嫌なら他でやればいい」と思います。
「第2の柱」、これも「やるのは誰?」という話です。私にやらされているようであれば結局は強くなりません。それでいいのなら別に構わない。しかし、「思い出づくり」のための部活動をする気はありません。この子たちが持っている能力を最大限に引き出すための指導をしたいと思っています。本来持っている力が出せないまま終わってしまうのは本当に惜しい。持っている「力」を磨くためにはやはり「最善の努力」が必要となるのです。誰かがやってくれるだろう、指導者に言われたことだけをやればいいやと思うのが「最善の努力」ではない。この部分は練習開始前に配った資料をひたすら読み込んでいないという部分に現れます。これまで多くの基本的な資料を配っています。それをどう利用しているか?部室に散乱しているのを見たことがあります。この「現実」をどう受け止めるのか?
「第3の柱」、これは言うまでもありません。何のためにやっているのかを考えなければいけない。
「第4の柱」。ここは少し分かりにくいかなと思います。結局は「能力の差」があるのです。同じことをやっても結局は「能力」があるかないかで差が付きます。厳しい現実がここにあるのです。しかし、うちの選手は「能力」としてはかなり高いものを持っています。「潜在能力」は高い。しかし、それを全力で磨くことができるかどうかで大きな差になります。「陸上競技」で発揮できる能力があるのならそれを引き出すための努力をすればいい。また、「ピッチ」が武器、「中間」が武器ならそこの区間を磨けばいい。苦手な分野、不得意な分野で力を発揮しようと思ってもそれはできない。そういう視点で物事を見なければいけない。
難しい話です。かなり話をしました。「指導者」についての文章、ちょっと誤解を受けるかなと思う部分もあります。うちの学校を選択してきたのに「嫌なら他でやれ」というのは「傲慢」と言われるでしょうか?「覚悟」を持ってうちで「陸上競技」をやると決めたはずです。「県総体で入賞」というレベルの意識ではないはず。中途半端な覚悟では持っている力を引き出せない。それは自覚してもらわないと困ります。
また書きます。
第1の柱-「優秀な教師またはコーチ」に指導を仰ぐ
第2の柱-「最善の努力」を惜しまない
「自分で努力する気のない人を助けようとしても無駄だ。はしごを自分で上ろうとしない人を無理に押し上げることはできない」
一生懸命に努力しない人が、どんどん腕を上げ、才能を開花させることなどはあり得ない
第3の柱-「明確な目標」を持つ
練習をする時には「明確な目標」を持つことだ。特に表面的な成功ではなく、真の成功、つまり「卓越性」を追求し、その実現に全力で取り組まなければならない。卓越性を目指し、ひたむきに練習をすることで、何とも言えない充実感で心が満たされるであろう。
第4の柱-「得意分野」にエネルギーを傾ける
同じチームに所属する二人の選手が、同じコーチから指導を受け、同じ目標に同じぐらいの集中力と努力で取り組んでも、出てくる結果は全く違ている。実際には、同じ練習をしたからと言って同じ結果が出るわけではない。どうすれば「未来のリーダーを育てられるか」という問いに「リーダーの素質がある人を見つけることだ」と答えた。「一番素質のある人を見つけて訓練するほうが簡単だ」と。
一番得意なことが分かったら、すぐに練習を始めよう。そうしないと、上達しないどころか、もって生まれた力もどんどん失われていく。
潜在能力は、貯金と全く反対の動きをする
銀行にお金を預けたら利息が付いて増えていく。しかし、潜在能力は何もせずにほったらかしにしておくと徐々に失われていく。
自分の能力を最大限の発揮するには、得意とする分野で高い目標をかかげること。
他人から与えられた目標が自分自身で設定した目標より高いなら、まだ自分の能力を最大限に発揮していないということだ。
「戦う自分」を作る13の成功戦略 P114~117 著者:ジョン・C・マクスウェル 監修者 渡辺美樹 発行所:株式会社三笠書房
「第1の柱」については話す気にはなりませんでした。正直、これまで私は何度も基本的なことを指導してきました。私の指導を受けたくないと思えば別の場所で練習をすればいいのです。「自分の力を引き出してくれる指導者はこの人ではない」と思うならそれでもいいと思います。「強くなりたい」と思うけど「この指導者の言うことは聞きたくない」と思うのであればそれも選択肢の一つ。私が優秀だとかいう意味ではなく「嫌なら他でやればいい」と思います。
「第2の柱」、これも「やるのは誰?」という話です。私にやらされているようであれば結局は強くなりません。それでいいのなら別に構わない。しかし、「思い出づくり」のための部活動をする気はありません。この子たちが持っている能力を最大限に引き出すための指導をしたいと思っています。本来持っている力が出せないまま終わってしまうのは本当に惜しい。持っている「力」を磨くためにはやはり「最善の努力」が必要となるのです。誰かがやってくれるだろう、指導者に言われたことだけをやればいいやと思うのが「最善の努力」ではない。この部分は練習開始前に配った資料をひたすら読み込んでいないという部分に現れます。これまで多くの基本的な資料を配っています。それをどう利用しているか?部室に散乱しているのを見たことがあります。この「現実」をどう受け止めるのか?
「第3の柱」、これは言うまでもありません。何のためにやっているのかを考えなければいけない。
「第4の柱」。ここは少し分かりにくいかなと思います。結局は「能力の差」があるのです。同じことをやっても結局は「能力」があるかないかで差が付きます。厳しい現実がここにあるのです。しかし、うちの選手は「能力」としてはかなり高いものを持っています。「潜在能力」は高い。しかし、それを全力で磨くことができるかどうかで大きな差になります。「陸上競技」で発揮できる能力があるのならそれを引き出すための努力をすればいい。また、「ピッチ」が武器、「中間」が武器ならそこの区間を磨けばいい。苦手な分野、不得意な分野で力を発揮しようと思ってもそれはできない。そういう視点で物事を見なければいけない。
難しい話です。かなり話をしました。「指導者」についての文章、ちょっと誤解を受けるかなと思う部分もあります。うちの学校を選択してきたのに「嫌なら他でやれ」というのは「傲慢」と言われるでしょうか?「覚悟」を持ってうちで「陸上競技」をやると決めたはずです。「県総体で入賞」というレベルの意識ではないはず。中途半端な覚悟では持っている力を引き出せない。それは自覚してもらわないと困ります。
また書きます。