kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

話したいことを話す

2019-04-10 | 陸上競技
練習のことも書いておきたいのですが。記憶があやふやになる前に他のことを書いておきます。
 
火曜日。この日は前日に引き続きバタバタ。というかご飯を食べる余裕はありません。もう仕方ないかなという感じがあります。
 
朝の段階で早めに教室へ。ここも考えがあったので。クラス委員を決めなければいけない部分がありました。ここも人それぞれです。事前に調べて委員を決めておくというのもあると思います。私としてはそれは避けたいと思っています。自分達で決めてもらいたいから。小学校から中学に上がる時には周りがほとんど知っている人ばかり。ある程度の活動はできます。高校は大半が知らない人がばかり。その中で何かをするというのはかなりのストレスだと思います。
 
しかし、生きていく中の大半は想像を絶するレベルのストレスです。また、誰かから何かを与えられてばかりでは進めません。黒板に「自分達で役員を決めて」という旨のメッセージを示して役員表を貼っておきました。それぞれの役員の仕事は別に印刷して机上に置いておく。朝のSHRまでに半分以上が決まっていました。室長が決まっていない。「目立ちたがり屋と思われたら...」と男子が言っていました。いやいや、全然関係ない。そういう既成概念をぶち壊したいと思います。
 
対面式やオリエンテーションがあってなかなかクラスの生徒と関わる時間が取れません。これは仕方ないなと。あまり多くのことを伝えても頭に入らない部分はあると思います。それでも少しずつ話したいこと、理解してもらいたいことを伝えておきたい。
 
オリエンテーションで「関係づくり」を少しやってもらいました。それもあったので1時間丸々取れるLHRで「手繋ぎパチン」を。これは練習の時にもよく行うものです。合宿などではほとんど知らない人なので打ち解けるために行う。普段の練習が生かされます。隣同士で簡単な自己紹介をして手繋ぎパチンを。次は前後で。ここは簡単にできます。今度は1番と21番で。ここになるとかなり戸惑います。思いつきでしたがこの中で見えてくる事がありました。
 
すぐ側に相手がいる時には少しのコミュニケーションで成立します。どこに誰がいるかわからない状態であればそうはいかない。その場で留まっていたら相手は見つからないからです。早く相手が見つかったところもありますし、3分以上見つからないところもある。これだけで「今の課題」が明確になります。
 
ここには重要な示唆を含んでいると感じました。1つ目は「自ら行動する事の大切さ」です。ペアワークの場合、1人ではできません。相手を見つけなければいけない。顔も名前もはっきりしない中で相手を見つける。待っていたら見つかりません。自ら行動に移す必要がある。「◯番の人は?」と声かけをするだけでそれが解決します。何をしていいのか分からずオロオロしているだけでは何も変わらない。
 
声かけをする。それだけで問題は解決します。プリントを配布する時も効率よくやればいい。1人が全て配るのではなく半分に分けて配れば時間が短縮できます。前任校では授業中などを通じてこの手のことをかなり話をしていました。当たり前のことですがそれが分からない。ここは大きいと思います。
 
さらには「集団」についてです。一番早いペアはすぐに見つかりました。遅いペアは3分以上かかる。最初に行動できたペアは3分間待つことになります。手持ち無沙汰になる。集団は行動が一番遅い人間に合わせて動くことになります。どれだけ気を配って早く動ける人がいたとしても結局は一番後ろに合わせることになる。全体のレベルを上げるためには自ら動く習慣が必要になります。
 
単独行動をしているのであれば自分のペースで動ける。しかし、集団であればそうはいかない。自分の行動が周りに影響を与えるのです。これも当たり前のこと。それを自覚しているかどうかで行動は変わってくると思います。
 
こういう機会に自分達の行動を見直す必要がある。それができるかどうかですね。
 
更にここで無茶振り。いきなり副担任に「3分間話してください」と頼みました。かなり驚いていましたが。自分の言葉で話をしてくれました。「2つのことに一生懸命になること」について。事前に打ち合わせをしていたわけではないのですがこちらが話したいことを話してくれました。助かります。
 
このことも意図的に。人前で話をすることについて。副担任はいきなり投げかけられて対応する。人前で話をする機会はこれまで少ないはずです。それを意識的にやっていかないといけないなと考えています。我々は慣れもあるのである程度話ができます。しかし、高校生ではそれができない。話す機会がないからです。これも話をしていますが、3年生の卒業の時にいきなりそれが身につくわけではありません。進学や就職の際に面接で話をする。その時に自分の考えを話せるかどうか。
 
そのためには話す機会を増やさなければいけない。人前で話して自分の考えを伝える。それは苦手だとしても克服しなければいけない。待っていたら身につくわけではないて考えています。そのためには朝のSHRと終礼で1分間スピーチをさせようと考えています。ここは強制的にでも機会を作らなければいけないかなと。
 
副担任話をしてもらって「話すことの必要性」を感じてもらいました。ここで何かが伝わるといいなと。嫌でも力を磨くためにはやらなければいけない。この感覚は身につけさせたい。
 
だらだら書きました。また別に続きは書きます。まとまりはないですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不易と流行

2019-04-09 | 陸上競技
入学式がありました。ここもそれぞれ何をするのか。担任をするにあたっていろいろな思いを持って担当するはずです。私は私なりの考え方があります。他者がどのような感覚でやっているのかは分かりません。
 
昨年担任希望はありましたが他の役割があったのでそちらが優先。仕事ですからワガママをいっても仕方ないかなと。全てが自己都合でやるわけにはいかないなと感じているので。
 
今年、色々と感じる事がありました。私が生徒に何が伝えられるのか。「事務仕事」を中心にやっていくことでも担任業務はこなせます。それだけで十分対応できる。必要な仕事はできているので全くもって問題はないと思います。淡々とやることも必要なのかなとは思います。
 
が、ここ数年間それに近い生き方をしていました。学校が変わったというのが一番大きな理由だと思います。多分周りから見ればそこまで感じられないのかもしれませんが。私の中でかなりの葛藤がありました。こちらから多くのことを与えることで何か大きな弊害があるのではないかと。そんな感覚の中で生きていたので「自分らしく生きる」というのができていなかった気がします。素の部分を出せると場面も少しだけでしたがあったのは事実です。しかし、それ以外の場面では「無難に生きる」というのが大きかった気がします。やれることはやっていたと思います。しかし、自分の中で何か足りないものがありました。うまく表現できませんが。
 
この数年間で自分の中にフラストレーションが蓄積する場面が多くありました。本当に伝えたいことを伝えられない。今年、担任をするにあたって「不易と流行」に関しては絶対に伝え続けようと思っていました。これだけマスコミが教員のバッシングをします。発言の一部分を切り取ってそこを叩く。保護者も同様かもしれません。
 
時代が経過しても変わらない事がある。マスコミが云々言っても結局は「本当の意味で生徒のことを考えているのか」です。マスコミは叩きやすいところを見つけて叩きます。それが誰のためになるのかではない。世論が興味を持ってバッシングをしやすいという部分が大きいのではないかなと思います。
 
これまで色々な本を読んできました。これは過去のblogにずっと書いていました。経営者の考え方に共通する部分を読み解く。更には論語や菜根譚のように2500年以上前から語り継がれている内容。吉田松陰のように地元から排出された日本の歴史を変えてきた人物の考え方。多くの価値観に触れることで自分自身を少しずつ作ってきました。
 
そんな中で大阪のymm先生からある物を頂きました。昨年末大阪に行く機会があったので是非食事をしながら話を伺いたいと思っていたのですがタイミングが合わず。その直後にymm先生から「活読」を頂きました。そこにはここ数年間私が思い悩んでいた事の解決の糸口が示してありました。やはり私自身が信念を持って生徒と向き合っていく必要がある。選手に対してはかなりその部分ができていたと思いますが、生徒に対してはそこまで伝えていなかった。
 
やはり「不易」の部分を伝えていかなければいけない。時代とともに変わっていくものだけではなく物事の本質を捉えた考え方を伝えていく事が教育として必須なのではないか。迷っていた部分がスーッと晴れた感じがありました。悩みもがいていただけではない。この数年間で人生の中で「会うべくして会えた人」が何人もいるのです。普通であれば出会うことのなかったかもしれない人。それが奇跡的に会えた。それは運命なのだと思います。私の生き方を変えてくれるくらいの大きな出会い。
 
活読まではできないかもしれない。それでも「伝えてもいいんだ」という後押しがありました。今回、LHRの時間に「正しい努力」と題された内容を生徒に渡しました。
「切するが如く磋するが如く琢するが如く磨するが如く」という内容を論語の中で孔子が引用している。その言葉を使った文章があったので生徒に印刷して渡しました。元々は詩経に示されたもの。それを孔子が弟子の子貢と話をする中で使っています。この言葉が実は「切磋琢磨」の語源となっているのです。
 
スマホなどは「流行」です。ポケットベルやPHS、携帯電話からの流れの中でスマホが生まれてきた。これが10年後も同様にスマホが存在している保証はない。その時その時の流行です。たまごっちなどもその典型。一時的にブームとなってもそれがずっと続くわけではない。流行り廃りがあるのです。しかし、論語などの古典は今でも様々な部分に使われます。2500年以上も前から使われている。流行りではなく「不易」です。時の移ろいに関係なくずっとずっと使われる。
 
ここに「物事の本質」がある。それはどこかで誰かが生徒に伝えていかなければいけない。無駄に熱苦しいと思われるかもしれませんが、本当に生徒と向き合うのであれば外せない部分だと思っています。これは今まで陸上競技の指導の中で感じてきたから伝えられる部分です。表面的な話ではなく本当に必死にやっているから見えてきたこと。このことは経験しなければ分からないと思います。
 
生徒と友達になる気はありません。そういう軽薄な繋がりを求める気はない。過剰に関わる気もない。しかし、何が大切なのか。どこに物事の本質があるのか。これまでの考え方から抜け出して「人生に必要な考え方」を身につけていく必要がある。それはその場にいたら身につくものではない。何かしらのきっかけを与えていってそれをどう利用するのか。それが私にできることではないか。
 
教科指導もします。事務仕事もします。当然です。が、「生きるための力」や「正しい方向に進む判断力」は簡単には身につかないと思います。そうであれば単純に私の言葉で話すだけではなく「不易」であるモノを引用しながら伝えていくほうが効果はあると思います。教育とは本来ならそういうものではないか。全てを与える気はありません。自分たちで考えていかなければいけない事がある。しかし、その時の「判断力」をどうするかは考えなければいけない。どういう判断をするのかで人生は変わってきます。
 
そう考えて保護者と生徒の前で宣言をしました。本気で向き合いたいと思います。以前から私にとって「選手」とクラスの生徒は特別だと言葉にしてきました。担任を離れた時期があったからこそそのことを強く感じます。自己研鑽もしなければいけない。留まっているわけにはいかない。やるべきことは数え切れないくらいあります。
 
譲れないものを私自身持ちたいと思います。教育とは何か。進学する、就職する、検定に合格するというものではない。「本当に大切なもの」を伝え続ける事が必要だと思います。それがなければ生徒の心は動かない。ymm先生の取り組みは私の中で大きな刺激でした。今回から配布した資料に「感じたこと」を書かせるようにしました。振り返りをする事で本人の「心の整理」ができます。与えるだけではなくきちんとフィードバックさせなければいけない。
 
これまでと色々と考え方を変えたいと思います。これまで支えてくださった方に誇れるように。恥じないように。そう強く思います。
 
まとまりませんが。書いておきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何を目指すのか

2019-04-09 | 陸上競技
月曜日。新学期が始まりました。今年度は1年生の担任。今の仕事をしてきて18年でしょうか。その間3回だけ担任ができませんでした。常に担任希望でやっています。人それぞれの感覚だと思いますが。可能な限り担任はやりたいと思っています。
 
今の仕事、人と関わる部分が多い。が、担任をしなければ授業だけの関わりになります。限られた時間の中で何かを伝えるというのは難しい。それは昨年度痛いほど感じました。単純に教科指導だけをして終わる。それもありなのかもしれません。今のご時世、指導をすればリスクが伴う。淡々と教科指導をしていたらそれで終わりというのが楽なのかもしれない。
 
しかし、本当にそれで良いのか。「教育」という本質的な部分に対して「知識を伝える」というだけでは塾と同じになる。検定合格、大学合格のために「コツ」を覚えさせたり、パターン学習をする。「合格する」という部分だけを捉えればそれでも意味があると思います。それが本当に生きる力き繋がるのかどうかは全くの別問題ですが。
 
教員になる。その時の想いはどうだったのか。単純に陸上競技ができる環境を持ち続けたいという部分だけではない。「陸上競技をやるために教員になったんやろ?」と言われる。ここは違う。「一生懸命になること」や「目標に向かって進んでいく」という部分の大切さを感じてもらいたい。そこが原点。そのためのツールが「陸上競技」であって他の方法でも構わないと思っている。
 
本気で向き合う。人それぞれやり方や考え方がある。私の考え方が正しいとは思わない。一律にルールを守らせる事を教える気はない。が、きちんとやっている生徒が正当な評価を受けることは必須だと思っている。 なんとなくやってなんとなく終わる。そんな生活をしてもらいたくはない。
 
入学式を迎える。この時に卒業式の事を考えさせる。何をバカなことを言っているのか?と思われるかもしれない。座って授業を聞いていたらなんとなく卒業式を迎えることになる。大切なのは高校で時間を過ごすことではない。何を感じて何を学ぶかだと思っている。時間が過ぎたら大人になるわけではない。その中身の問題。
 
冷めて淡々とやる事が今は求められるのかもしれない。その方がトラブルにならないから。何かあっても見て見ぬ振りをしてスルーしておけばその場はやり過ごせる。しかし、その後の責任は誰が取るのか。ダメなものをダメだと伝えていく事が出来なければいつまで経っても何も変わらない。そんな生き方はしたくない。
 
教育。これは生徒たちの将来に対しての責任を背負うことになる。生徒に好かれるために何かをするというのは違う。人に好かれるために今の仕事をするなら私はやらない。もちろん、嫌われるためにやるつもりはないが。気負うつもりはない。それでもやるべき事をやるという感覚を持ち続けなければいけないと思っている。
 
枝葉の話をするつもりはない。方法論は何だって良い。一生懸命に何かをやった事がない人間には「一生懸命になる事の大切さ」は分からない。冷めて俯瞰して見ている人間にはなって欲しくない。「そんなに熱くならなくても」と言われるかもしれない。本質的な事を考えていく中で波風を立てずに進んでいくことはできない。
 
古臭いかもしれないが新しい取り組みをしたい。過保護にする気はサラサラない。間違っている事を間違っているときちんと伝えられるかどうか。この数年間、ある意味自分らしさを失っていた気がする。何かあればすぐに突き上げられる。それはかなりのストレスになる事なので避けていた部分がある。もう一度、きちんと向き合いたい。それができるかどうか。
 
もう少し書きたい事があります。多分また書きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わらなければ

2019-04-08 | 陸上競技
年齢を重ねてきました。これまでそれなりに様々な経験をしてきました。生きていると毎日が同じように過ぎていく。与えられた事をやっていたらその日1日が終わっている。働き始めた頃は毎日がわからないことばかり。何も考える余裕がなかった気がします。
 
今は...。ある程度の事ができるようになる。それにより深く考えなくてもそれなりに毎日を過ごしている自分がいる。それは良い事なのか。できない時はひたすら勉強していた。無我夢中でやっていた。今それができているだろうか。「例年通り」や「前例に従って」という流れの中に飲まれながら生活をしていないだろうか。
 
今、自分自身の人生が充実していると言えるだろうか。やれる事を全てやって生きているだろうか。なんとなく生きているのではないか。それは時間の無駄遣いではないだろうか。新しい生き方を模索しながらやっていかなければいけないのかもしれない。これまでの自分のままで止まっているというのは成長がない。夏目漱石の「こころ」にある。「精神的に向上心のない者はばかだ。」という言葉。これが胸に強く突き刺さる。
 
年齢的にその場に止まっておくことは楽だと思う。色々と考えさせられる事がある。自分の能力的に何をするべきなのか、何ができるのかをきちんと捉えられているだろうか。これまでの生き方を見直さなければいけないなと思う。
 
環境を変えるというのも一つの方法。閉塞感を抜け出すためには何かを変えていかなければいけない。やり方を考える。自分自身を見直す。そこは常に考えたい。
 
本格的に新学期が始まる。その中で自分にできることは何か。以前、大阪にいらっしゃる先生から「活読」を頂いた。我々が何かをする。そこには「意味」があって「意義」がある。淡々と何かをやれば良いわけではないし、過剰に抱え込むのも違うと思う。伝えたいものを持たなければいけない。
 
誰かから尊敬される存在にはなれない。しかし、何かを伝えていくことはできる。これまで私を支えて作り上げてくれて人達がいる。その人達に「あいつ、全くダメだな」と言われるような存在に成り下りたくはない。一切の妥協をせずに生きていくというのは難しい。が、その場に止まりたくはない。何かを変えなければ今の気持ちは変わらない。
 
取り残されていく感覚がずっとある。きっと「精神的に向上心のないばか」なのだろう。全てが思い通りにいくわけではない。だからこそ何をするのかをしっかりと見極めなければいけない。強くそう思う。
 
何ができるか。そこを考えたい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記録会に出る

2019-04-07 | 陸上競技

土曜日、記録会でした。この記録会は特別に調整するものではないと思っています。シーズンイン。ここでどのような課題が見つかるのかというのが大きい部分だと思っています。

正直、この冬はかなり順調に練習ができたと思っています。明らかに動きが変わってきて基礎筋力も上がる。大きなけがもなくやりたいと思うことができました。ここの部分は選手自身も感じている部分でした。今週は本当にバタバタしていてそこで細かい話ができませんでした。ここは大きい。

総括して記録会を振り返ると「60点」というところでしようか。力のある選手は圧倒的に走れていました。ちょっと今の段階では太刀打ちができない。ある程度は予測していましたが。今回、うちの選手「自分の走りができていない」というのが顕著に出ていました。練習の走りをする。それだけでいいと思っていました。過剰なプレッシャーをかける必要はない。普通に走ってくれれば・・・という感覚。

が、その「普通に走る」ということができませんでした。「記録が出ていない」という部分もあります。しかし、評価すべきはそこではない。きちんと「自分の走りができたかどうか」です。Toが13秒3かかりました。これは色々な要因があると思います。水曜日に練習をしているときにかなり走れていました。今回Saが追い風参考ですが「13秒02」で走りました。少し動きが崩れている部分があって本来の走りができたとは思っていません。それでも13秒03。

Toはその上を行っていました。悪くても12秒台に入るなという手ごたえがありました。水曜日にSaと一緒に走って勝負にならないという感じがありました。本人も走れているという感覚がある。そこに大きな落とし穴があったのだと思います。レース前は少しナーバスになっていた。一番速い組に入っていたので「先生、周りが速いです」と気にしている様子があった。自分の走りに目が向けれなかったのかなと思います。

更には「冬季練習が順調にできている」という部分も大きく影響しているのではないかと感じています。練習での走りは他校の先生が見ても「よく走れるようになっている」という評価を受けます。それは本人たちも感じている部分。そこに「自分に対する過剰な期待」があったのではないかと思います「絶対に記録を出す」「絶対に良い走りをする」という気負い。それが本来の走りをするための阻害要因になっていたのではないかと感じています。

今回はバタバタしているのもあり選手のアップの際に声をかけに行くこととができませんでした。同時に私が話しかけることで「記録を出さなければ」というプレッシャーになるのではないかと思っていました。意図的に行かなかったというのもあります。が、「先生、こないね」という話になっていたようです。そっちか・・・。

自分たちの中で色々と感じる部分があったのだと思います。「大丈夫だから」という一言がかけられるかどうかは大きかったのかもしれません。それにより「自分の走りだけに集中する」ということができたのではないかと。

前日にToに「走りはどうだった?」と聞くと「股関節が激しい筋肉痛」だと言っていました。私自身は練習に参加できていませんでした。走る様子を見ていません。選手がどのように感じていたのかは知っておく必要があります。その中で「激しい筋肉痛」というのはどのような常用だったのか。もっと知っておく必要があったかなと思っています。

結果的には「まだまだ」という感じがあります。Naも同様に自分の走りができていない。練習の時に「試合場面で同じことをする」というのをしつこく言い続けています。普段やっていることをやる。そこに尽きると思っています。全体がもう少し考えて行動できるようになってもらいたいと思います。

これまで様々な場面で指導してきました。「走れるようになっているな」と感じるのはほぼ間違いなく走れるようになっている。動けていないなと思う者はやはり走れない。今回は「走れているな」とずっと感じていました。それを私が多くの場面で口にするのがある意味選手にとってのプレッシャーなのかもしれません。考えたいと思います。

今やっていることの方向性。「結果が出ていないじゃないか」と言われても甘んじて受け入れるしかないと思っています。そこをどう捉えるか。選手が不安にならないようにしていかなければいけません。涙を流している者もいました。そこまでこの記録会に賭けなくてもいいんですが・・・。それでも大きなものがあったのだと思います。

それに応えていける指導がしたいと思います。もう少し振り返りをしてみたいとは思います。とりあえず記録しておきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バタ×500

2019-04-06 | 陸上競技
金曜日。来週から新学期が本格的に始まります。その影響もありかなりバタバタ。練習は8時からにしていましたが、結局ほとんど見るとこはできず。今週はほとんどそんな感じでしたね。仕方ないのですが。
 
あれこれやることがありすぎて。動きの確認さえもまともにできていない。申し訳ないですが出来ることはやるという感じでしょうか。
 
会議。なんと3時間。さらに休まずもう少しだけ別の会議が。心が折れそうでした。年度始めなのである程度は仕方ない部分があると思います。4月1日の会議も2時間超ありました。これはかなりダメージがある。働き方改革が声高に叫ばれています。実情は全く違う。もっとスリム化できるのではないかと思います。やらなければいけないことはあると思いますが、それ以外のことある。疲弊。
 
他にも多々やる事が。ここも効率良くやりたい。例えば「配布物」や「回収物」がある。これをいちいち1枚ずつ配布していたらかなりの時間を要します。そんな時間はない。回収物に関してもなかなか。今のご時世です。「個人情報」の部分があるのでなかなか回収物も難しい。「後ろから集めて」と言えない部分があります。
 
かなり前に「新体力測定」の結果を配布する時にトラブルになったという話がありました。身長体重が記載されている。個別に渡すものを前から回して配布する。それにより嫌な思いをした。他の人に身長や体重が分かってしまう。そこはやはり気をつけなければいけない。
 
回収物に関して新着任の方に話を聞いてみる。「そうだよね」という感じがありました。その方が間違いが起こりにくい。誓約書一つをとっても適当に回収するわけにはいかないと思います。そういう時代です。何かあれば大きくバッシングされる。他の職種よりもその危険性は高いと思います。尚更気をつけなければいけない。
 
それは個人で対応する話ではないと思います。それぞれの判断でそれぞれが工夫してやるという範疇は超えている。統一した方法できちんとやらなければいけないのではないかと思いますね。これにより若干疲れる。仕方ない話です。
 
色々と書きたいのですが時間がありません。今から記録会。早めに来て車の中でblogを更新。几帳面なので毎日更新を心がけたい。寸暇を惜しんでやれることをやりたい。新学期の準備がまだ終わっていない?!というかそこまでまだたどり着いていない気はします。
 
多分また書きます。多分。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普段とは趣向を変えて

2019-04-05 | 陸上競技
木曜日。前の記事にも書きましたがちょっと異なる練習をしました。それほど練習はしていませんが1年生が疲労感満載。慣れていないのもあると思います。上級生も記録会があるのでこの日くらいは練習量を落としても良いかなと。
 
数日間練習を見ていて「上半身と下半身のタイミングが合わない」「身体の使い方が上手くない」というのを感じていました。身体が使えていないので無駄に力を入れてしまいます。体幹を締めるという部分も含めてできない。まー当然なのですが。この辺りができるようになるだけでもある程度パフォーマンスが上がってくると思います。基礎筋力を上げていくという部分と並行して身体をコントロールする能力を磨きたいなと。
 
最初にリアクションボールを投げる。10分間。これは本当に遊んでいます。どこに飛ぶのかわからないボールを投げる。右手だけではなく左手でも投げる。片手キャッチを目指す。サイキングアップの意味合いもあります。この日は「走らない」と決めていたのでひたすらこの手のことをやろうと。そのままバランス系。ここも丁寧に。さらに軸系を。アップの中でこうやって体幹を意識する練習をするというのは必要だと思っています。単に固定するのではなくその中で力を発揮する。
 
そこからBDを使っての練習。ここは前の記事にかなり詳しく書いています。ここでは省略。
 
BDを使った練習をする中で別のことを。大したことはありません。バランス系の練習の中に一工夫しただけ。「目を閉じる」という小学生でも思いつくような練習。実はこれは効果が高いと感じています。T字バランスを目を閉じてやるだけでさらに効果は高まります。目からは入る情報を遮断して身体の内面に目を向ける。これだけでバランスを保つのが難しくなります。同じことをやるのであっても工夫することで全く変わってきます。新しい収穫。
 
ある程度メニューを決めていました。が、この手の練習の時にはあってないようなもの(笑)。基本的には決めていたのでメニューに従ってやりますが途中途中で思いつき練習が入ります。最近はメニューに頼っている部分がありました。途中で大幅に変更することはありませんでした。ある意味自由度が低くなっているのかなと。もう少し自分でも考えていかなければいけないですね。前はもっと自由に練習をしていました。一長一短かもしれないです。
 
軸を作ってからスタビ押しを数セット。固める&力を出すという部分の繰り返しです。
 
身体の使い方が下手だなというのがあるのでワニウォークを。これも普段よりも多めに。やっている中で全くできないなという感じがあったので今度は別の動きを。youtubeで探す。便利な時代になりました。他の種目を2つ取り入れてみました。速く動くのではなく丁寧にやる事を重視。じっくり時間をかけました。この手の練習は色々とやっていきたいですね。
 
身体のコントロールをしてからもう一度BCT。これも身体の内面を意識するメニューです。トレーニングという意味合いもありますが丁寧にやる事で身体の使い方を覚える感覚でしょうか。固めながら動くというのもあります。体幹を締めて動かす。そのための練習になります。
 
最後にシャフトトレーニングをやって終了。これも上半身と下半身の連動を意識しています。そういえば先日sri先生がいらっしゃった時に「全国合宿の時に講習会でやっていた」という話をされていました。詳しくは聞きませんでしたが「連動」という部分があるのだと思います。私は勝手に思いつきでやっているだけなので(笑)
 
1年生はしばらくドリルを。任せました。Toは一人でテニスボールを使ってお手玉をしていました。倒立歩行もできます。ジャグリングまででき始めるとどこかのサーカス団から勧誘が来るかもしれません。あれこれやる中で少しずつ変化が生まれるといいなと思います。
 
1年生に壁抜きをさせています。まだまだですがこれもできるようになってきています。練習の積み重ねは偉大。意欲と動きは比例するかなと感じています。もちろんやりたい動きを明確にしながらですが。数年前に作った練習の資料を渡しました。可能であれば見ておくように、と。理解することがどれだけ大切か。ここは外せないなと。
 
色々とやる中で見えてくることがあります。いつもと同じ練習をすることはない。時々こういう練習をするといいのかなと思います。大きな負荷はかけずにコントロールすることは長い目で見た時に必ずプラスになる。そう思います。練習としては色々と考えさせられました。また新しいアイディアが浮かびそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身体をうまく使うために

2019-04-04 | 陸上競技
練習に関して。負荷を極力減らしながら練習をするという時点で考える時、トレーニングの位置付けは大きく変わってくると考えています。単純に高強度の練習を入れればいいわけではない。これはなかなか分かりにくい部分かもしれないですが。何のためにトレーニングをするのか。何を目指して負荷をかけるのか。
 
高強度の負荷をかければ練習をした気になります。身体が疲れるので満足感はある。テンポ走などで何本も走るという練習はかなり充実感があると思います。練習としてはかなりやっているので。本数を何本も走るとそれだけでかなりの時間を要します。休まずに走れば違うのかもしれませんが。休まずに何本も走れる負荷というのがスプリントに繋がるのかどうかは分かりません。テンポ走はスピードを抑えて何本も走るというイメージの練習。やはりそれなりに時間が必要になる。
 
しかし、それが本当に競技力向上に結びつくのか。分かりません。最大スピードを出す方が良い気はしています。これも感覚的な話です。片田舎の無名な指導者があれこれ触れる話ではないのかもしれません。ウエイトに関する考え方が変わったのもこの辺り。走るために絶対的に筋力ご必要だと思います。出力が上がらなければ推進力に繋がらないからです。ウエイトをやるというのは間違いなく効果があると思います。筋肥大をする事で出力が上がる。それにより短期間でパフォーマンスが上がっていく。結果は出やすいのかなと。
 
が、今は全くウエイトはやりません。屋外に野ざらしにウエイト器具が置いてあるというのもあるのかもしれません。天候によって計画が大きく狂う危険性があります。加えて場所的に離れている。いつも練習している場所から道具が置いてある場所が離れています。その時間がもったいない。この辺りの考え方は正しいのかどうか分かりません。ウエイトをしないという部分はこれまでの指導の中で出てきた考え方。
 
そうであればどうするのか。今、活路を見出そうとしているのが「身体の使い方」です。これは短期間に結果は出ません。しかし、筋肉を大きくして対応するのではなく「身体の使い方」を意識して練習する事で見えてくるものがあると思います。時間をかけてやっていく中で少しずつ成果が生まれる。周りからみたら「あいつら何をしているんだ」という感じがあると思います。周りで今私がやっていることを実施している様子はありません。真似してみようという気にはならないのだと思います(笑)
 
身体の使い方を考える。あれこれやります。バランス系の練習を1年以上続けている。内面的な部分があるので本人達がきちんと意識しているのかどうかによっても全く違ってくると思います。単純に形を真似るのではなく「体幹に力を入れて保つ」というのがメイン。地味です。地味過ぎるくらい地味です。それでも意味があると思ってやり続けています。
 
中でも単純に身体のコントロールができるようになるのはBDがいいと思っています。元々前任校で指導をしている時にBDは良いなと思っていました。多分、他の指導者とは使い方が全く違うのではないかと思いますが。当時の写真が残っていなかったので画質は悪いですが動画のスクショを。
 
 
軸を作って不安定の中で動く。これをやるためにBDに乗った状態の中で開脚スクワットをするというのをやっていました。モデルはkanaです。動画で示すとなかなか面白い内容なのですが。普通にスクワットをすのではない。バランスが崩れて軸がズレるのが嫌だったので導入当初は二人一組でタオルを持って行っていました。この方が軸が安定します。今考えてみると無い方が良かったと思います。導入段階だったのでそこまで考えることができませんでした。
 
時間の経過の中でメニューそのものが変わってきていました。BDを使いながらいかに自分の身体をコントロールするのか。自分の身体に対してどうアプローチするのか。BDに乗って何かをするだけで鍛えられない細かい筋肉に刺激が与えられると思っています。安定しない中で何をするか。よく言われるのですが「BDに空気を入れすぎではないか」という部分。そんなに空気を入れたら乗るだけで精一杯になるのではないか、不安定になるのではないか。「普通」の考え方です。
 
しかし、これだけ不安定にするとそこに乗るだけで細かい筋肉に刺激が入ります。その中で何かをする事で間違いなく普段使っていない筋肉に刺激が入ります。安定することは必要だと思います。しかし、不安定を生みださなければ安定しても意味がなくなるのではないか。安定するというのはその場に留まること。それでは前には進みません。進むためには軸を崩しながらまた軸を作るという動作の繰り返しになります。分かりにくい表現なのですが。
 
 
 
遊びながらになるのですがBDの上で「押し相撲」をします。これはめちゃくちゃ盛り上がります。ワイワイ言いながらやります。我慢しすぎて転倒してしまうのでそのは気をつけないといけないのですが。お互いに押すことでバランスを崩す。その状態で体幹を使って身体のバランスを取る。不安定の中で安定させるという基礎はここにあると思います。一応練習でやったのでその写真を。
 
 
 
更にはBDの上でDMを受け取ります。軽く投げるのではなくかなり強く投げて体幹で耐えます。崩れそうになる部分を崩れないように体幹で保つ。もらう前に体幹を固めておいてその状態でDMを受け取る。崩れないように保つ。
 
頭の上でもらうパターンや回転するパターンをしながら。軽く投げるのではなく強く投げることで大きな力になる。固めることで体幹を締める感覚になります。もらった瞬間、体幹を固めて力を逃がさない。受け流すのではなく必ず固める。まー遊んでいるように見えますが。
 
 
これはかなり前の写真。最近はやっていませんが。DMの上でスイングメディシンを回す。円運動をするのでかなり大変です。外側に振られないように体幹で保つ。手だけで回すのではなく体幹から回す感覚ですね。
 
 
これはBDの上でT字バランスをしたもの。動画もあるのですがこのblogには設定上あげられないみたいなので。不安定の中で安定するという部分ですね。体幹がきちんと固められてその中で自分の身体をコントロールする。なかなかできない部分だと思っています。
 
 
こちらは不安定の中でランジスクワット。やってもらうと分かるのですがなかなかできません。後ろでは新入生が生まれたての子鹿のようにプルプルしながらスクワットをしています。単純にスクワットをするだけよりは間違いなく効果があります。B持ちにしているのは身体の軸を保つため。手でバランスを取るのではなく体幹でバランスを取る。小さな刺激かもしれませんがこの手の練習を続けていくことは実は大きな効果に繋がるのだと思っています。
 
 本当はもう少しパターンがあります。やりたい事は全て同じです。不安定を生み出しておく。その中でどうやって身体を固めるか。力を発揮するか。そういう練習は大切だと思っています。
 
通常の練習よりは間違いなく効果があります。うちはどこよりも早くBDを使った練習を導入しています。多分(笑)。普通こんなアホみたいな使い方はしないと思います。それでも私は効果があると思って使っています。県合宿などで紹介したら県内の多くの学校でBDを購入していました。スクワットなどを正確に出来ているかは分かりませんが、やはり効果はあると思います。このBDを販売している某ショップの売り上げにめちゃくちゃ貢献していると自負しています(笑)
 
興味を持ってもらえるかどうかわかりません。前の記事に練習メニューを乗せたのでついでにうちがやっているメニューの一部を書きました。単純にBDの上に乗ってスクワットするだけでも効果はあると思います。本当に意識したいところが分かってくれると更に効果は上がると思っています。隠す話でもない。
 
身体をどのように使うのか。そこは大きなテーマだと思っています。他にもかなりあります。練習メニューを細かく書くのは疲れるというのが今書いていて分かりました(笑)。写真撮ってそれを加工して載せる。1枚では分かりにくいので数枚撮る。案外大変。思うことをツラツラ書いているblogなのに本格的に書いている気がします。こんなことを書いて「面白い」と思う人がいてくれるのか。ここもわかりません。
 
何となく記録しておきたかったので書きました。うちの練習の一部です。遊んでいるわけではない。自信があるのは「オリジナル」だということ。どこかでやっているからやり始めたというのではありません。上述のようにやっているうちに「もっとできるのではないか」という感覚の中でkanaにやらせたら出来たから続けてやろうというだけです。
 
グダグタ書きました。とりあえずこの辺りで。これって面白い?私だけの可能性がありますが。興味が持ってもらえるのか。楽しいのか。私はめちゃくちゃ楽しいですが。読んでいる方がどのような人なのかは分かりません。楽しいのかな。不安はありますが関係なく書いておきます。常に自己満足。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見守る

2019-04-04 | 陸上競技
水曜日。この日は最初から練習に行くことができました。前日かなり遅くまで作業をしました、勤務時間関係なし(笑)。朝からは確認作業をするという話になっていました。
 
「明日は入学式があるから午前中は来れなかもしれない」と伝えていました。娘の入学式があります。「休んで見に行くの?」と聞かれました。いや、行かないけど(笑)。関係ないじゃないか!!という突っ込みを入れられる。入学式があるのは事実です。(笑)「グランド行くんやろ」というバレバレの状態ですが勘弁してもらいました。午後からは頑張ることに。
 
練習はいつも通り。バランス系から。1年生は練習を落としてやっています。別メニューでやることが多い。全てのメニューをやるのは間違いなく無理です。基本的なことをやらせる中で見えてくることがあるかなと。バランス系をやりますが細かいところができません。雑。やるだけで一杯というところもあると思います。精度を高めていくところが必要になる。体幹を締めて身体を保つという部分がまず出来ない。色々な要素が入ってきます。
 
そこから体幹強化サーキット。上級生はかなり筋力がついて来たなという感じがあります。少し話が前後しますが女子が「ズボンが履けなくなった」と言っていました。少し前には「制服が小さくなった」とも。まー制服は縮みません。ある程度身体が出来て来たのだと思います。ウエイトはしていません。筋肥大をさせずに身体づくりをしたいと思っています。それでも大きくなる。
 
この半年間、トレーニングを徹底してきました。バランス良く鍛えていく。特定の箇所に特化せずあれこれやりながら。選手によってはシャフト補強よりも体幹強化サーキットの方がキツいといっている部分もあります。本当にあれこれやりますから。週末に記録会があります。が、そこに完全に調整する必要はないかなと思っています。だから水曜日でもトレーニングをする。もちろん少しは落とすつもりではいますが。
 
DM投げ∞を。これも少し意識している部分です。自分の身体を上手く使いたい。見た動きをしっかりとやる。自分の身体がどうなっているのかを正確に把握する。ここができるかどうか。下手ですね。3年生になったNaも上手くできない部分があります。上手くコントロールしてもらいたい。
 
縄跳びと台トレーニングをやってからハードルドリル。ここは簡単に。やはり少しずつ説明をしながらやるので長引きます。私は以前と比べていちいち出ていくのをやめています。余程のことがあれば行きますが。ちょっと遠目に見守る。それで良いんじゃないかなと。
 
見守っていると成長を感じる部分があります。特にTo。1年生に正確に動きを教えています。それもかなりスパルタ。厳しい(笑)。中学時代はどちらかというと一人でやっていた部分があります。誰かに何かを教えるという機会は少なかったのではないかと。それがこうやって後輩ができることでこれまでとは違う姿を見せ始めます。めちゃくちゃ細かいところまで見ているので私より厳しいですが。
 
バリエーションSSをやりました。走るだけが練習ではない。走るための動きを身につけていくための練習。特定の動きではなく様々な動きをやる中で「これは良いな」という感覚を身につけたい。意識してドリル的な事をやるだけではなく身体を動かしながら身につけていくという練習ですね。練習パターンは多い方だと思います。飽きずにやるためにという感じでしょうか。
 
そこからカーブ直線をやってトーイング、バトン系。合流走。走りはかなり良くなっているなと感じていました。この辺りで新入生は別メニュー。補強サーキットへ。上級生はスタートの確認。Toがかなり良かったですね。本人の感覚的にもかなり。途中でやめさせました。勿体無い。
 
普段よりも疲れていました。これはなかなか分かりにくい部分かもしれません。1本の出力が上がっているのだと思います。並走をやっても合流走をやってもこれまでと比べるとかなり進みます。良い動きをしているからスピードが上がる。それにより身体にかかる負担が大きい。動きが良いからもう少し走るというよりはあえてやめておきたい。感覚的なものです。
 
他の者はBDMを。1本ずつとしました。少しだけ中間の動きを意識しておきたいなと考えていたので。普段よりは少なめにして終わり。
 
「量」の話を雑談の中でしました。中学でもかなりの「量」をやるところがあるようです。そう考えるとうちは「量」が少ないのではないか。走る本数は最大でも2本ずつしか走らない。これはかなり少ないと思います。選手が「量の意味が違う」と苦笑いしていました。うちは本数はかなり少ない。「量」を追うことはほとんどありません。1年間に1度だけ練習納めでかなり走ります。これは「量」を追うための練習ではありません。
 
が、やる事は多い。やりたい事はシンプルですがそこに至る方法が多い。本数という意味での「量」は少ないと思います。しかし、練習としての「量」は多い。距離も踏みません。短距離に特化しつつある部分はありますが。それがうちの練習の特色なのかなと。自己分析ですが。
 
常に私が先頭に立って練習を進めている部分がありました。今は歳を重ねたのもあるのですが見守る部分が増えています。主役は私ではない。やはり選手自身でなければいけないのです。ここを見失いたくない。ある一定の所まではこちらも口出しをしなければいけないのかもしれませんが。
 
今は「やりたくない」と思っている選手に「無理やりやらせる」というのは避けたい。お互いに面白くないので。この辺りの感覚も変わってきたなと思います。「頑張りたくても頑張りきれない」場合と「とりあえずやっている」というのでは全く意味が違います。そこまでしてやらせる必要は感じなくなりました。競技をしたいと思っている場合は自分たちでやらなければいけない部分が出てくる。付きっ切りでやらせるのは私自身が面白くないなと。
 
まとまりませんが記録しておきます。この辺りのことはまた書きたいなとは思っています。多分。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チームにとって

2019-04-03 | 陸上競技
練習にについて書こうかなと思うのですが。その前にあれこれ触れておきたいなと思うこともあります。
練習計画を立てる。これは毎日の自分の中の予定に入っています。練習開始を8時にしているのでその前段階で準備をしなければいけない。前日の練習の感じから判断して次の日の練習をどうするかを考える。やはり朝考える方がイメージが湧きやすいのでその土曜日などはかなり早めに出勤してメニューを考えるようにしている。
火曜日、練習計画を立てました。まー特別な練習はしていないので何ともないのですが。計画を立てる際にちょっと頭に浮かんだことも書いておこうかなと。うちの練習をここで書く必要があるのかどうかわかりませんが。
この日立てたメニュー。こうやってメニュー自体をblogに乗せるというのは初めてかもしれませんが(笑)
多分、暗号みたいな感じになっているので分かりにくいとは思います。あれこれ要素が多すぎて見ても何も意味がわからないかもしれないですね。それでもうちとしてはこれで十分伝わります。もっといえば「バランス系」などは毎日やるので「バランス系」という項目さえ書いておけば勝手にやると思います。
多分、「股関節強化サーキット」も「セラバンド補強」も全てのメニューが1行で済むのではないかという気はしています(笑)まーあまり紙面のスペースが空くと私がメニューを増やしてしまうのでそこは避けた方が良いのかなという気はしていますが。こうやって種目の詳細を書いておくことで紙面が埋められるのでメニューが増えすぎないで良いのかなと勝手に思っています。
以前はメニューを作らずにその時その時に思いついたメニューを実施していました。目の前の選手の動きをみて「このメニューを入れた方が良いな」と感じたものを入れる。ずっとそのスタンスでやっていました。日によってメニューを決めておくというのではなく毎日日替わり。そうなると選手が「今日は何をやるんだろう?!」という気持ちになる(笑)いきなりメニューを伝えると「えー?!」となるので心の準備ができないというのがありました。それが必要かどうか分かりませんが。
なかなか気づかない部分だと思います。
実はいつも何かあるときは「日付」の後ろにその日の日付の後ろに「コメント」を書くようにしています。他校が練習に来るときには「◯◯高校来校」という感じで書くようにしています。特に意識する部分は必ず記入するようにしています。「7時間授業 合間に各自でスイッチングを入れる」というコメントも書きます。その日に一番意識しておかなければいけないことは常にコメントとして書くようにしています。
この日は。
慌てて作ったので「誕生日」と書くつもりが「誕生」と書いていました。どうなんだ?!去年はアップしていませんが同様に「nao michi誕生日」と書いていました。まー覚えやすいですからね。こういう地味なコメントに気づくかどうか。
1年生は見ても気づきません。当然ですね。上級生がすぐに気づきました。「おめでとうございます!って言おうと思っていたのに送ってなかったー」とワイワイ言っていました。うちのチームにとってこのことは本当に大きなことだと思います。イメージしにくいかもしれませんがうちの女子はnaoとmichiが大好きです。何かあったら話題に上がります。
入学式の写真を見たようで「nao先輩、めちゃ大人やった」とか「めちゃくちゃ可愛かった」という感じで勝手に盛り上がっています。このご時世ですからSNSなどで知っているようです。「19歳だって。大人じゃん。」とか「もう1ヶ月も会ってないわ」とかあれこれ話をします。この子達にとってnao,michi,suzuneは本当に大好きな先輩なんだと思います。こちらもそれが分かっているので意図的にこうやって示します。それで雰囲気が更に明るくなるので。
どうでもいい話かもしれません。卒業した選手の誕生日を祝う。いつまでそんな感じでやるのか?そういう意見もあるのかもしれません。まーうちにとっては本当に特別存在なのだと思います。少ない人数でやっているからこそ感じ取れる部分がある。自ら積極的に関わる事のなかったnaoやmichiが後輩に対して笑顔で話をしてくれていました。かなりお世話をしてもらっています(笑)そこは大きい。
後輩はかなり慕っています。話を聞くと後でこの練習メニューを持って動画を撮って送ったそうです。喜んでもらえているのかどうかは分かりませんが(笑)
そういえば4月1日にNaが「先生、今日suzune先輩がスーツを着て電車に乗るの見かけたんですよ!」と嬉しそうに言っていました。いつも同じ駅から電車に乗って来ていたのですがsuzuneは就職したのでしばらく逆方向に電車で通勤するようです。こうやって大好きな先輩たちを見かけたことをわざわざ教えてくれます。それによりまたチーム自体が明るくなる。大きな意味を持つと思います。
4月1日はnaoとmichiの入学式だったようです。全く知らなかったのですが本人たちが連絡をくれました。かなり長い付き合いですが始めて自分たちの写真を送ってくれました。スーツを着て髪を括っていない姿。大学での生活が始まるんだなと改めて感じました。この世で一番信頼できる大学での生活になります。私があれこれ関わらなくても大丈夫だと思っています。信頼しています。写真を送ってくれるという奇跡的な流れに気持ちがすごく救われました。何かあるたびに救われている気がします。感謝しかない。
 本当はもっと書きたいことがあるのですが。長くなると読みにくくなると思うので。それぞれが成長してくれている。それを少しずつ感じ取れるというのは本当に嬉しいですね。チームにとって特別な存在の先輩。そのことを受け止めて行きたいと思います。自分たちがそう思ってもらえる選手になって欲しいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする