かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

安土 & 近江八幡

2023年10月24日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、関西にいる。
絶好の散策日和なので、前から行きたかった安土&近江八幡へ。
ところが、いろいろ見どころが散らばってて、32000歩。
散策どころか、大ウォーキングデイになってしまった。
まぁ、運動不足気味だったから、いいんだけど。



最初訪れたのが奥石(おうそ)神社。
安土駅から4キロ!
何故か、おうそと読む。
マンホールは、永楽通宝。



老蘇(おうそ)の森に囲まれており元は、老蘇と書いていたのかもしれない。
延喜式にものる神社。
根来の陣屋跡が入り口のところにあり、織田信長との縁も深い。
神主さんが、この辺りは、元々蒲生家の所領だったとおっしゃっていた。



社殿は、重要文化財に指定されているが、織田信長が、柴田家久に造らせたという。
小ぶりだが、落ち着いた佇まい。



次に訪れたのが、信長の館。
また4キロ近くで、かつ山越え。
不思議な建物が現れた。



築城後わずか3年で焼失してしまった安土城の最上部の5階6階部分を忠実に再現した実物大の建物が展示されている。
元は、1992年のセベリア万博で展示されたものを移築し、屋根や外壁を追加復元したそうだ。
見事だが、アップ不可とのことで、説明のみ。
隣に映像で再現するシアターがあり、これまた見事。
安土城跡に行く前に、行ってて良かった。 
素晴らしいし、信長の規格外の発想に脱帽。
部下は、さぞ大変だったろうが。
これを見ないと、なかなかイメージするのが難しい壮大な城だ。



とにかくバカデカく、バカ高い初めての天守閣を持った城で、とんでもない労力が費やされた。



そしてまたしばらく歩いて安土城跡へ。
今は、城跡内に総見寺が残り、安土城は、石垣のみが、残る。
この石垣自体も、明治以降に、整備されたらしく、それまでは、荒れ果てていた。



この大手道が整備されたのも、そう昔ではないらしい。
急で、ほとんど山登り。
守るのにはいいが、水、兵糧が、しんどい城?



大手道の両側には、有力戦国武将の館が建ち並んでいた。
手前の左は、羽柴秀吉。



広くて別格扱い?
天守閣近くには森蘭丸邸まであった。
本当なのだろうか?
難攻不落であったことは、間違いない?



いろんなところから石を持ってきていて、貴重な仏足石も。



発掘は続いている。
金色の瓦などが発掘されたことから、安土城が、金色に輝いていたことが、わかってきた。



本丸跡の礎石は、見事に、立派に残っている。
謎が少しづつだが明らかになってきている。



琵琶湖も一望。
天守閣はもっと高かったから、もっと素晴らしい眺めだったろう。



下りは、別ルートで、お寺の中を通る。
やや痛んでいるが、室町時代のもので、重文に指定されている。



二王門も室町時代のもの。



金剛力士雑も、重文に指定されている。



安土駅から、隣駅の近江八幡駅へ移動。



またまた3キロ近く歩いて日牟礼(ひむれ)八幡宮へ。
結構、団体客も来ていた。



立派な、楼門。



拝殿、本殿も立派。
祭神は、誉田別尊。
伝えられる歴史は古いが、本格的には、平安時代から鎌倉時代の建立と見られるという。



今日のラストは、八幡山ロープウェイ。
来たら、登りたいと思っていた。
15分毎なので、便利。



登ると、八幡城跡が広がる。
豊臣秀次の城だったが、秀頼が誕生したため、自害させられた後、廃城になった。
なんと残酷なことか。
またまた山登り。
安土城にも匹敵する規模?



西の丸跡からの眺め。
琵琶湖方面が絶景。
比叡山もばっちり。



出丸跡からは、近江八幡の街が一望。
凄いところに城を作ったものだ。
安土城を見下ろすような感じになる。
できた時は、焼失していたことになるが。
左方には、伊吹山が、望める。



天守閣跡には、村雲御所瑞龍寺が移築されている。
回りの石垣は、八幡城時代からのもの。



本殿。



六角堂。
紅葉が始まっている。



無事、八幡城から降りて、八幡堀。
お堀巡りはしなかったが、素晴らしい光景。



逆光だが。



白雲館。



仲屋(すわい)町通り。
昔ながらの通りが続く。
近江商人の街。



旧八幡郵便局(ヴォーリス建築)。



アンドリュース記念館(ヴォーリス建築)。

充実の1日だった。
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聖地南山城

2023年08月08日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は奈良。
相変わらず暑いが、九州は台風で、計画運休が始まっていた。
もうしばらくの我慢?
まずは腹ごしらえということで、東向商店街で、ラーメン。
この店前からあったかな?



外国人比率は、完全に5割超え。
流石に暑そうだが。



最初、"なんざんじょう"って?と思ったが、京都と奈良の間の地区を"みなみやましろ"と呼ぶそうだ。
上野にも巡回するが、奈良での方が規模が大きそうだったので。
期待に応える素晴らしい特別展だった。



目玉は、2年前に行った浄瑠璃寺の九品仏の内、修理が完成した2体の展示。
間近で、まさにザ・阿弥陀仏ズ。
展示が終わったら、浄瑠璃寺に戻るのだろうが、9体並んだら、さぞ素晴らしいだろう。



南山城は、京都府に属するが、奈良と京都の中間の山の中で、なかなか行きにくいところ。
木津川沿いの寺院が多い。
恭仁京もあった。
なぜこんな山奥に遷都したのか?

そこに点在するお寺のお宝が、まさに大集合。
ないのは、蟹満寺の仏様と磨崖仏ぐらいで、あとは、本展見ればカバーされる?
蟹満寺の仏像は、是非近い内に拝したい。
仏像の種類もバリエーションに富んでいて、さまざまな宗派が、入り混じっていたことがわかる。
十一面観音があったり、修験道関連の像があったり。
山の中ということで、修験道が盛んだったことがわかる。

面白いところでは、域内に、一休和尚がいた酬恩庵というお寺があり、そこには、一休和尚のサイン入りの肖像画が収められている。 
一休さんというと、大徳寺のイメージだったのだが、晩年は、酬恩院で、過ごしたのだという。
まさに、この肖像画ような風貌だったのだろう。
亡くなった後の和尚の教えまで残されている。

その他にも、素晴らしい仏像が多く展示されており、海住山寺の四天王立像などは、海洋堂のフィギュア並みにカラフルだ。
今は、分散保管されている浄瑠璃寺の十二神将が、大集合しているのも凄い。
その中の、薬師如来坐像は、前期のみの展示で見れなかったが。
廃仏毀釈の影響が大きかった地区なのだろうか。

上野の展示がどの程度の規模になるかはわからないが、少なくとも、目玉の浄瑠璃寺の阿弥陀仏2体は、展示されるので、見る価値大。
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竹生島

2023年07月25日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日から、一泊で、関西。
暑い中だったが、去年雨で行けなかった竹生島に行って来た。
米原で降りてから、ちょっと戻った長浜駅から10分ぐらいのところに、長浜港がある。
竹生島へは、長浜、彦根、今津と、3つの港から行けるが、長浜からは、往復セットで、滞在90分。
ちょうどいいぐらいの時間。



港に着くと、入島料を払っていきなり凄い階段。
鳥居の先、まっすぐ行くと宝厳寺、右に行くと都久夫須麻(つくぶすま)神社。



都久夫須麻神社本殿。
国宝に指定されている。
秀吉が、伏見城の建物を神殿として寄進した。
外壁しか見れないが、中は、極彩色に飾られているという。
桃山文化を代表する国宝。



その向かいにあるのが、竜神拝所。



琵琶湖を見下ろす絶景スポット。



かわらけ投げが有名。
2枚買って、1枚に名前、1枚に願い事を書いて、鳥居に向かって投げる。
軽すぎて、なかなかまっすぐに飛ばない。



見事な唐門。
これも国宝。
大阪城極楽橋の一部で、現存唯一の大阪城遺構。
見事。
その奥に観音堂があり、西国33所観音霊場巡りの30番目札所になっている。



唐門の奥。
典型的な桃山様式。



桧皮葺きの屋根が見事。



重文の舟廊下。
秀吉の御座舟「日本丸」の骨組みを利用しているという。



宝厳寺本堂。
江ノ島、宮島と並ぶ、日本三大弁財天の一つ。
一番古いそうだ。
724年、聖武天皇の勅令を受け、行基が開眼した。
本堂は、昭和17年の再建だが、巨大な立派な伽藍だった。



三重塔。
元は、室町時代に建てられたが、江戸時代に焼失。
平成12年に再建された。



宝物殿。
重文の空海招来目録や、駿河倉印など、興味深い展示多数。



伏見城から、都久夫須麻神社への移築の際、植えられたとされるもちの木。
樹齢約400年。



五重石塔。
鎌倉時代のものと考えられている。
重文。



一通り回った後、昼食がわりに、近江牛まん。
味の違いは、わからないと思うけど。



竹生島から出港。
ちょうど、3隻並んだところ。



手前は、長浜の街。
伊吹山が美しい。



えり漁用の杭。
小魚を追い込む漁という。



電車まで時間があったので、長浜城へ。
秀吉が最初に築城した城。
1615年に廃城になったが、昭和58年に再建され、今は博物館になっている。



当初の姿をできるだけ再現したという。



最上階からは、琵琶湖の眺めが見事。
竹生島も臨める。
展示は、長浜城の,歴代城主の変遷と題したもので、しっかりした展示だった。
琵琶湖近辺が、戦国時代、闘いの場であったことがよくわかった。



瓢箪からも、お城が臨める。



ついでに、もう一箇所。
長浜鉄道スクエアへ。
長浜は、元々北陸本線の終着駅だったそうで、その元の駅舎が,残され、鉄道博物館になっていた。



時間が,なくて、中には、入らなかったが、この駅舎は、日本最古なのだという。



今の駅舎のデザインも、似ているが、元のデザインを摸したのだろう。
半日ほどだったが、見どころ満載で、楽しめた。
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東福寺展

2023年03月22日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
侍ジャパンがついに優勝。
おめでとう。
9回の攻防のみ生で見たが、最後が大谷vsトラウト。
出来過ぎ!



今日は、上野の東福寺展に行った。
上野に着くと、まずは、花見ですごい人出。
明日から、雨ということで、今日がピークかもしれない。



トーハクも、陽光の下、明るい。
平和な日本をかみしめたい。



平成館。



東福寺というと、庭とか、紅葉の印象が強くて、あまり期待していなかったのだが、とんでもない。
東福寺の名は、東大寺と興福寺からつけたというだけあって、書画、仏像など超一流の逸品が大集合。
東福寺に国宝館があれば、見れるのだろうが、普段は、見れないものがほとんど。
特に開山した円爾(えんに)及びその後継者に関するお宝、伝説の絵師の明兆(みんちょう)による五百羅漢図など、すばらしい。
仏教>儒教の精神が表されていて、面白い。
円爾が宋から招来したと伝わる書画類も他に類を見ない。
本家の中国にも、残っていないものが多いのではないか。
伽藍群も、後世に再建されたものが多いが、巨大で、見応えがある。
次回の京都では訪れてみたい。



天通が再現されている。
確かに、東福寺と言えば、天通とモダンな庭。



本来の仏像類は、かなり焼失してしまっているのだが、これは、遺された光背仏。
巨大。



この手も巨大。



この蓮華も。
巨大な仏像があったことがわかる。
今ある仏像類は、塔頭から移したものが多いそうだが、それらの巨大な仏像も展示されている。
ということで、大満足の展示だった。



野口宇宙飛行士が宇宙に持って行ったという土偶のレプリカが展示されていた。
埴輪展の50年という展示もあり、かつて出土地が不明だった埴輪類を研究し、出土地を特定している様子が紹介されていた。
北関東が多い。



庭も公開されていて、ここでも花見が楽しめる。



ぜいたくな空間だ。



歴史的な建物や、博物館を背景に万階の桜が楽しめた。



ついでに?東洋館で開催されている王羲之展へ。
何度か見たことはあるのだが、1,700年前の書が、中国、日本で、こらまで愛され続けていると思うと、何度見ても、感慨深い。
楷書が確立した瞬間だ。



優雅な歌会だったのだろう。



ついでに、東洋館をぶらっとしたが、一部展示替えもされているようだ。
これは、典型的な古代の仏舎利容器。
パキスタン出土という。
亜細亜の御宝が、濃縮された東洋館。
すばらしい。

ということで、大充実の上野だった。
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太陽の塔

2022年12月20日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日も好天だが、寒い1日。
万博記念公園に行って来た。
2年ちょっと前に行った時は、コロナで、再生なった太陽の塔に入れなかった。
公開再開したので。
朝の方は、中学生の団体が入っていて、予約が取れたのは、11時半の回。
このシーンを見ると、わくわくする。
万博が開催されていた当時は、まだこのモノレールはなく、たぶんバスで行ったのだと思う。
小6の夏休み。
今から思うと、よく行けたものだ。
両親も、子供の楽しい夏休みの思い出作りのために、一所懸命だったのだろう。

 

太陽の塔を保存することは、なかなか決まらず、また、決まってからも、保存するために、相当手を加えている。



中には、後ろ側から入る。
当時も公開されていたのだが、行けなかった。



時間があったので、太陽の塔の中に入る前に、前回も行ったEXPO'70パビリオンへ。
当時の鉄鋼館の建物を移築して、パビリオンにしたそうだ。



1階が特別展、2階が常設展。
2回目なので、よりゆっくり、落ち着いて見れた。
1階の特別展の展示も、前回とかなり似ていた。
これは、当時の鉄鋼館内のイベントスペースをそのまま保存したもの。
今も、音と光のショーが見れる。
当時は、いろんなイベントが催されたようだ。



万博会場の模型。
本当に夢が、現実になった感じだった。
混んでて、ほんの一部しか見れなかったのだが。
アメリカ館と電力館に行ったことだけは、はっきり覚えている。
その他は、行列の短いところを少し行っただけだと思う。



当時の万博の歴史を説明したポスター。
何故か、渋沢栄一が行った1868年のパリ万博がない。
その次のウイーン万博が、日本政府として初参加とある。
パリ万博の時は、まだ、江戸時代だったのはわかるが、何故万博自体をなきものにしてしまったのかは不明。



前回も紹介したメリーホプキンショーのポスター。
今となっては、貴重なものだ。



さて、塔の中に入ると、まず、太陽の塔が生まれるまでの岡本太郎のスケッチ群。
どういう発想から、太陽の塔が生まれたか?
このデッサンを見ても良くはわからないのだが。



これも復元された地下の太陽。
ほとんど忘れられていた。
当時の記録、写真を頼りに見事復元。
何種類かのプロジェクションマッピングで、楽しませてくれる。
ここから、小グループに分けて内部へ。
耐久性の問題もあり、この先も、時々、人数制限のための時間調整が入る。



そして、これが、生命の樹。
見事というか、クレージーというか。
ジャックと豆の木みたいな樹に、地球誕生から、人類発生までの生命の営みが、展示される。
特に、恐竜は、大きく、場所も当時のまんまという。
塔の壁を厚くしたため、動物数は、少し減ったらしいが、見事としか言いようがない。
最初に作った人も、再建した人も。



写真は、危険防止の観点から、1階からしか撮れないが十分楽しめる。
ゴリラの頭部が壊れていたが、あえて、壊れたまま展示して、年月の長さを表現しているらしい。
当時は、ここだけ機械仕掛けで動いていたのか。
太陽の塔の腕部分が、生命の樹の最上部だが、当時は、一方の腕がエスカレーターになっていて、屋根に出れたという。
もう一方は、非常階段になっていて、それは、今も再現されていた。

岡本太郎ワールドを、巨大な3次元アートに昇華させた大作。
内部公開されている内に、一度は、見ておくべきだろう。
高度成長期のど真ん中だったから、出来たような気もするが、素晴らしい❗️
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