かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

九州神話探訪の旅その21 皇宮屋(こぐや)

2013年07月31日 | Other Western Japan


宮崎神宮から、20分ぐらい歩くと、皇宮屋(こぐや)がある。



神武天皇が、東征の前に過ごした皇居跡と伝えられる。略記によると、15歳から、45歳までと、随分長くおられたことになっている。
皇軍発祥の地と記される碑。



日の本の 本の光と 仰ぐかな 朝日たださす みや崎の宮
昭和10年に作られた碑らしい。
その年、昭和天皇のも巡覧された。
軍国主義に、天皇制がいかに利用されたかを示す好例か。
本碑は、昭和17年に完成したという。



宮崎神功の摂社である皇宮神社(こうぐうじんじゃ)の拝殿が見えてきた。



拝殿は、素朴なものだった。

<img src="https://wave.ap.teacup.com/kaneyan/timg/middle_1368445014.jpg" border="0"

神殿も素朴。
昭和51年に改築したものという。
神武天皇の東征の伝説が、太平洋戦争の際、国威高揚に使われたことは、間違いないようだ。
宮崎の宮は、この天皇宮屋の宮、崎は、前の方の意味という。
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九州神話探訪の旅その20 宮崎神宮

2013年07月30日 | Other Western Japan


九州神話探訪の旅も、早くも?最終日。午後一のフライトで、戻るので、動けるのは、午前中のみ。
まず、宮崎市内にある宮崎神宮に訪れた。
なかなか立派な、趣のある神社だ。



参道にあった、神池。朝方で、神々しい。



鳥居が見えてきた。まだ朝早く、訪れる人も少ない。



おきよ丸。
埴輪など描かれた姿を基に、再現したものと思われる。



さらに鳥居。相当の格式の高さを感じさせる。



やっと門が見えてきた。



神門。



神殿も見える。



神武天皇と、その父母(鵜葺草葺不合尊・玉依姫命)を祀る。
神武天皇の高千穂宮の伝承地の一つである。
神武天皇の孫にあたる建磐龍命(たけいわたつのみこと)鎭祭したのが始まりという。
現在の社殿は、明治40年に建てかえられたもの。
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九州神話探訪の旅その19 生目古墳群

2013年07月29日 | Other Western Japan


効率的に回れたおかげでちょっと時間が余ったので、宮崎市の郊外にある生目古墳群に行ってみることにした。
この古墳群のことは、”激変!日本古代史”を読んで知った。
最初に訪れたのは、遊古館。
立派な建物だが、展示館といよりは、発掘物をそのまま保管しているという感じだったので、早々に後にした。まだ、見せるところまでは、行っていない。
それにしても、土器ばかりで、金属器がなかったが、発掘されていないのだろうか。



古墳を築く様子を描いたタイル画。たぶん、近所の子供が作ったものだろう。



古墳群の地図。西都原に比べると、ちょっと小さい。



まずは、展望台に登ってみた。奥に見える森のような山が、3号墳か。生目最大で、九州でも3番目の大きさという。



ということで、早速その古墳に向かってみた。



古墳は尾根伝いに歩くことができる。
木がたくさんあって、全体の雰囲気は、つかみにくい。



古墳の上からは、周りの古墳群が見える。発掘途上のものも多いようだ。そこらここらに、古墳がある。



5号墳は、美しい形をした前方後円墳だが、当時の姿を復元してある。5世紀初めころのものと考えられており、長さは、57m。



その円墳側の先には、地下式横穴墓がある。南九州特有のものだ。西都原古墳群にもあった。



古墳を築いた技法で、石が積まれていた。後代の技法とは全く異なるという。
ということで、生目古墳群は、西都原に比べると、小規模で、発掘も途上の感だが、ここにも、何等かの大きな勢力があったことがわかる。
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九州神話誕生の旅その18 潮嶽(うしおだけ)神社

2013年07月28日 | Other Western Japan
今日も、ゴルフだった。夜は、夕立で、寝不足だし、この暑さの中、流石に、連荘は、きつい。
スコアもいまいち。ショットは、まずまずなのだが、ドライバーの乱れが、命取り。

昨日は、やや不調だったアナログプレーヤーの針を、交換した。めちゃくちゃ音がよくなった。
前の針に戻してみたら、やっぱりだめ。
どうもバランスが悪かったようで、調整したら、蘇った。これから、ステレオ針2本、モノラル針1本体制になった。
USBへダウンロード用の、プレーヤーがもう一台。
これを充実というのか?



潮嶽神社は、不人気のいじわる海幸彦を祀った珍しい神社。場所がよくわからず行くつもりはなかったのだが、何気なく鵜戸神宮受け取ったチラシに場所が書いてあったので、行ってみることにした。
ところが、おおざっぱな地図で、よくわからず、最初にたどり着いたのが、この小さな社。
でも、神社の名前が違っていたので、近くの人に聞いてみたら、一本手前の道を入らなくてはならなかったらしい。



そして、古びた鳥居を見つけた。



本殿も古びて、かつシンプル。
海幸彦を祀った神社は、日本でここのみとか。
兄の火照(海幸彦)が、満潮に乗ってたどり着いた地とされるが、ちょっと内陸過ぎ?
地元では、ごんげんさまと呼ばれている。



海幸彦みたいに意地悪にならないようにと祈る神社か。この近辺では、縫い針の貸し借りがタブーだとか。
社殿は、天保3年のもの。
結局、山幸彦は、天皇家の祖先となり、海幸彦は、隼人の祖先となった。
ちなみに、この失われた釣り針神話は、環太平洋域に広く分布している話だという。
日向神話は、太平洋、南方系、中国江南、インドシナ系、スキタイ系、ギリシャ系など、国際性豊かなのだそうだ。
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九州神話探訪の旅その17 鵜戸神宮

2013年07月27日 | Other Western Japan
今日は、丑三つ時には、凄い雷雨だったが、日中は、蒸し暑いながらも、どうにか天気はもった。
ゴルフだった。ややばて気味ながら、とんでもなくひどくもない。

しばらく大寄り道だったが、5月の連休の、九州神話探訪の旅に戻りたい。



青島から、さらに、国道を南に下り、鵜戸神宮に向かった。美しい景色を見ながらのドライブが続く。
まさに、昔新婚旅行のメッカだったころのことを、彷彿とさせる。
これは、堀切峠から見た鬼の洗濯板。どこまでも続く。
黒潮に乗って、南方の言い伝えを知った人々が、この地に流れ着いて、日本の神話の中に、その物語の断片が、散りばめられている。



これは、いるか岬だったかな?運が良ければ、いるかに会えるのだろう。



そして鵜戸神宮に到着。駐車場があるか心配だったが、ちょっと離れたところにも駐車場が作られていて、ちょっと待って、無事止めることができた。



犬の岩。ソフトバンクの犬と同じ種類?



門が見えてきた。天気も最高。



もう少しで、本堂のある洞窟だ。とにかく大人気。



本殿は、洞窟の中にある。
山幸彦の妻の豊玉毘売(トヨタマビメ)が、神武天皇の父である鵜葺草葺不合命をお産みになったところとされ、鵜葺草葺不合命を祀る。
創建は、第十代崇神天皇の時代と伝えられる。



本殿の脇の小さな社。



御乳岩という岩からは、水が垂れている。この水ですくすくと育ったという。



運試しに運玉をゲット。



眼下の岩にあるくぼみにインすれば、運がいいという訳だが、男性は、左手で投げなければならないというハンディキャップが与えられる。
結果的には縄の中までは行くが、なかなかくぼみにダイレクトに入れるのは難しく、結局、全部はねられてしまった。



神武天皇御降誕伝説の地の碑。どっか他にもなかったっけ?
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