かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

聖地巡礼 -熊野と高野-

2024年12月24日 | Other Western Japan


今日は、関西。
よく冷えている。
朝の富士山。



今日は、南海電車で、和歌山へ。
特急サザンだが、一般車両と繋がっており、通勤列車のグリーン車のイメージで、スペシャル感はない、



和歌山市駅のビル。
立派。
ただ、JR駅と離れており、周りは、ちと寂しい。



勝海舟寓居跡。
京都を外国から守るための、紀淡海峡の台場の確認のため、1863年4月、当地に滞在したという。



もちろん、徳川吉宗像。



目指した和歌山県立博物館は、休館中の和歌山現代美術館の隣にあった。
空中廊下で繋がっている。
和歌山城の隣でもある。



取り壊された黒川紀章さんの中銀カプセルが展示されていた。
実物を見たのは初めてだが、かなり斬新なデザインだったことがわかる。
アイデアとしては面白いが、リアリティは?



そしてこちらが、県立博物館。
立派だ。



目当ては、聖地巡礼シリーズの第4期展示。
熊野速玉大社の神像と古神宝の特別展開催中。
本展覧会のことは、NHKのニチビで知った。
第4期で、テーマ毎に5回に分けて展示するようだ。
一気に展示して欲しい?



目玉は、なんといっても、神像。
女神像とペアで展示されている。
これは、3Dプリンターで複製した神像(今回展示のものではない)。

色も残った立派なもので、仏像にはない荘厳さを感じさせる。
色もデザインもよく残っており、仏像との違いも大きい。
通常の神像よりも、大きい。
9世紀から10世紀のものだが、他の神像は、傷みが激しいという。
仏師とは、別の職人が作ったのだろうか?

その他の展示も皆国宝だが、足利家から14世紀に奉納された宝物が中心。
室町時代の正倉院の様相。
着物も、当時の姿をそのまま残している。
素晴らしい展示だった。

そう言えば、年齢の関係で、無料だった。
ラッキー。

常設展もしっかりしたもので、特に熊野関連の展示が充実している。
和歌山の歴史を知るにはうってつけの展示だった。



2階には、歴史の道の展示があって、レプリカだが、熊野古道の雰囲気が味わえるようになっている。



帰りに、近くの岡公園を覗いてみた。
明治28年にできたというから、歴史のある公園だ。
C57。



陸奥宗光像。
和歌山城下出身。



和歌山城は、やはり和歌山の中心。



撮影スポットとのことだが、天気がイマイチ。
ということで、珍しい立派な神像を見ることができた。
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金沢 DAY2

2024年10月17日 | Other Western Japan


今日は、金沢2日目。
朝食の時間が遅かったので、ちょっと散策。
ホテルの中庭。
小さいが、見事。



総湯。
公衆浴場だが、温泉宿泊者は、無料で入れる。
通常は、700円。
明治時代の施設を写真や絵を参考にして、復元したものだそうだが、見事なレトロ感。 脱衣所は、浴槽のある部屋の片隅にあり、ガラスは、当時流行ったという色ガラス。
九谷焼のタイルも楽しい。
石鹸、シャンプー使用禁止。
2階へは、男女共通の階段で上がれ、風呂上がりにくつろげるようになっている。



朝食も素晴らしい。
九谷焼の器類も楽しい。



金沢に戻って、訪れたのは、兼六園。
子供の頃から数えて10回近く来ていると思うが、いつも素晴らしい。
よく手入れもされている。
兼六園の向かいにある金沢城は、今回は、時間の都合で、門のみ。



琴柱灯籠。
この美的感覚は、日本にしかない?
枯れてしまった紅葉の木の後に植えられた木も育って来た。



日本武尊像。
西南戦争の犠牲者を弔うために建てられた。



見事。
今日も職人さん達が、松の手入れに余念がなかった。



最後は、東茶屋街。
12年振りだが、前回はまだ、北陸新幹線開通前だった。
修学旅行の高校生と外国人で、8割ぐらい?
特に外国人の多いのには、驚かされる。
日本の良さを世界に広めて欲しい。



昼も東茶屋街のみずほさんで。
のどぐろ定食をいただいたが、美味しかった。
のどぐろは、小さいけど、魚の美味さが濃縮されている。

ということで、短い旅だったけど、満喫できた。
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金沢

2024年10月16日 | Other Western Japan


今日から、恒例の金沢。
まずはお弁当から。
敦賀行きに変わってはいたが。
 


ランチは、まいもん寿司。
前は、家の近くに支店があったんだが。
ネタを毎日日本海側から運ぶのは、しんどかったらしい。



セットを。
もち、ノドグロ入り。
追加で、ガス海老も。



そして、金沢21世紀美術館。
超有名な作品。
今回、中には、入れなかった。



展示の80%が改装中で、今見れるのは一部。



相変わらず、理解困難な作品が多い。
それこそが、芸術だ!



泊まりは、2回めの山代温泉。



便利な割に静かで最高。
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壱岐 その2

2023年12月10日 | Other Western Japan


今日は壱岐2日目。
午後には帰るから、実質半日。
今、福岡空港のラウンジ。
帰りの飛行機は、なんと満席。
福岡港から、博多までの道も大渋滞で、参った。
時間に余裕があってよかったけと。

まずは、海豚鼻。



島の南端にある。
九州まで、見えてたのかな?
海豚が見えるのかと思ったら、半島の形が、海豚の頭に似てるそうな。
海人さんが見えることもあるらしい。
これは朝日。



美しい海が広がる。



そこからほど近い丘の辻展望台へ。
壱岐で一番高い山というが、200mちょっとしかない。
シンガポールでは、最高峰でも200mなかった。



ここからだと、北側だけではなく、ちょっと先まで行けば、360度眺められる。
絶景というほど、高度は高くないが。
これから向かう原の辻(はるのつじ)も見渡せた。



ここにも狼煙台らしきものがあったが、他の山城と同時代のものか?



次に向かったのが、原の辻ガイダンス。
原の辻の概略を無料で解説してくれる施設。
展示物は、レプリカが多いが、博物館と違って写真が撮れるので、いい。
復元公園の地図ももらえる。



この魏志倭人伝にある5行が、まさに当時の壱岐を的確に簡潔に表現している。
対馬との対比も見事。
そしてその場が、まさにこの原の辻と考えられている。
九州に渡ってからの魏志倭人伝は、よくわからなくなってしまうが、この辺までは、かなりの情報があったことがわかる。



原の辻の模型。
そして隣の復元公園に向かう。



前から来たかったところで、やっと来れた。
登呂遺跡、吉野ヶ里遺跡も見れたから、これで制覇?
規模は、吉野ヶ里>原の辻>登呂という感じ。
建物は、20棟近く復元されており、その用途も推測されてはいるが、もちろん、本当のことは、わからない。
ただ、住居か、倉庫か、見張り台かぐらいの違いは、確かだろう。



中も覗けるようになっている。



一番目立つ2棟。
敵から集落を守るための見張り台と、その見張り担当の詰め所だ。
稲の耕作は、始まっており、富の蓄積も始まり、争い事も始まった。



その復元公園を,見下ろす丘に立つ一支国博物館。
黒川紀章の設計だそうで、外観だけではなく、中の構造もユニーク。



この突き当たりの部屋で、6分ほどのビデオを見れて、当時の原の辻の生活を再現してくれる。
まさに、朝鮮半島との交易の窓口だった。
大きな船で来た後は、小さな船に積み見直して、川を遡り、原の辻で、交易が行われていたと考えられているそうだ。
港跡も発掘されている。



そして(ネタバレになってしまうが)、ビデオが終わるとスクリーンの後ろの壁が、ずずっと下がって、原の辻遺跡が眼前に広がる。
この演出は、すごい。
カーテンが上がるぐらいだったら、まだありえるけど。
手前は、壱岐島の立体模型。



展示は、写真撮影不可だが、ひじょうに上手く展示されており、一昨日見た対馬博物館より、さらに迫力ががあったかもしれない。
壱岐にいったら、是非訪れるべし。
さらにユニークなのが、収蔵庫をガラス張りにして見えるようにしてあること。
さらに、修復や、クリーンアップの作業室も、ガラス張りになっている。
今日は、日曜日で、人はいなかったが。
これまたさらに、子供が考古学の研究者気分になれる施設もある。
九州で一度このような博物館を見たが、ひじように良いことだと思う。
鉄器類が少なかったのが、若干気にはなったが。



4階が展望室になっていて、原の辻遺跡を見下ろせる。
そもそも丘の上にある博物館だから、眺めは最高。
360度、見渡せるようになっていた。



大充実と原の辻遺跡を見た後は、博物館の近くにある大塚山古墳へ。
車道からちょっと歩くが、大したことはない。
規模はさほどでもなかったが、島内でも最古の部類という。
まだ、大和朝廷が影響を及ぼすようになる前なのだろうか。



石室も大きくはない。



この古墳で発掘された小さな壺が、博物館に展示されたいた。
珍しいタイプのものという。



まだ、ちょっと時間があったので、近くの白洲八幡神社へ。
まず、この巨大な、真っ白の鳥居にびっくり。
その奥に、古い可愛らしい鳥居があったので、あまりにも寂しいので、大きいのを寄進した人がいたのかもしれない。



社は、こんな感じで、普通。



ふうりんさんという店のウニ丼が美味しいとガイドブックにあったので、ランチに行ってみたが、やはり他店と同様で、今は、ウニはないということで、刺身定食をいただいた。
店主が、釣り人のようで、流石美味しい。



無事、芦部港でレンタカーを返却し、ほっと一息。
来た時には、気づかなかったのだが、弘安の役で、激戦するも散った少弐資時の素晴らしい雑があった。
大陸とのいざこざに前面に立たされて来た対馬と壱岐。
満喫できた。
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壱岐 その1

2023年12月09日 | Other Western Japan


今日は、7時発の対馬発壱岐行きのジェットフォイルに乗船。
1時間強で,到着。
何度か乗っているが、時速80kmとは思えない滑らかさ。



対馬と比較して、狭いので、次々と回れる。
全部は、載せられないが、なるべく多く。
最初は、月読神社。
とにかく、神社が多くて、予定よりも端折った。
お寺は、ほとんどない。

京都の月読神社を分霊したという。
月夜見命(つきよみのみこと)、月弓命(つきゆみのみこと)、月読命の三柱を祀る。



国片主神社。少彦名命を祀る。



そして鬼の窟。
この辺りに古墳が集中しており、かつ規模が大きい。
ほとんど石室に入れるが、石室の岩の大きさは、本土の物に引けを取らない。
対馬とは、かなり違う。
対馬は、韓国人の方が多いぐらいだったが、壱岐では、1人も、見かけなかった。
魏志倭人伝でも、その違いが、記述されているが、今も変わらない?



掛木古墳。
綺麗な円墳だ。



双六古墳。
全長91mの長崎県最大の前方後円版。
美しい。



兵瀬(ひょうぜ)古墳。
場所がわからなくて、最初諦めたが、ランチの時にもらった地図で、わかって再訪。
直径54mの円墳だが、全体像は、わからない。
石室は、立派。



興神社。
一宮としている情報も,あるので、御朱印を頂こうとと思ったら、御朱印の場所が分からず。
電話したら、わかって、こちらも再訪してゲットできた。
興は国府の意味らしい。
近年の研究では、天手長男神社が当社であるという説が有力という。
それで、一宮が二社になったのか?



ここが、一宮の天手長男(あめのたがなお)神社。
ここも場所がわからなくて、電話してやっと辿り着いた。
ナビが悪いのか、情報不足なのか。
ナビで行くと、最初天手長男神社跡に連れて行かれて、石があるだけで、唖然とさせられた。
神功皇后の三韓征伐ゆかりの神社。

三韓征伐に際し、御手長(おたなが)という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白2本の旗をつけ上げ下げして敵を翻弄し、最後にこの旗を沖ノ島に立てたことから、この社名があるという。



住吉神社は、厳原の八幡宮に次ぐ大きな神社だった。
壱岐神楽も行われているようだ。



次に訪れたのが、猿岩。
ちゃんと毛が,生えている?
高さ45mの玄武岩だそうだ。



その近くにある黒崎砲台跡。
昨日の豊砲台と、規模も造りもそっくり。
こちらは、戦艦土佐の主砲が設置されたという。
砲弾と模型が展示されていたが、大和の砲弾の大きさとほとんど変わらない。



ちょっと足を伸ばして、鬼の足跡。
でかい!



その先の景色も見事。
今日見た景色の中で、一番だった。
手前は、芝生が広がっていて、ゴルフ練習禁止になっている?



島の北に向かい、本宮八幡神社。
鯨組で栄えた勝本を象徴する神社。



聖母宮(しょうもぐう)は、神功皇后を、祀る。
周りの石垣は、加藤清正の寄進。



新城神社。
文永の役の際、日本軍が全滅した新城古戦場近くで、大将だった平影隆を祀る。



自刃の地。



文永の役 新城古戦場跡に立つ石碑。
元寇時には、2回とも壱岐で大きな被害が出た。



少弐公園にある少弐資時の墓。
弘安の役でも全滅に近い被害を受けた。



ここにも、天智天皇時代の山城の跡が残る。



壱岐神社。
少弐資時が祭神。



左京鼻。
島の東部。



ほらほげ地蔵。
満潮時には、海に浸かる。
由来は、はっきりしないが、胸に穴が空いていることから、この名で呼ばれる。
海女の冥福のため、鯨の慰霊のため、疫病退散祈願など、諸説あり。



小島神社。
東洋のモンサンミッシェルと言うが……
1日2回の干潮時しか参拝できない。



夜は、困った。
ほとんど郷ノ裏の街は真っ暗。
と思ったら、ガイドブックに載っていた街の外れにあるステーキ屋が開いてて、壱岐牛の素晴らしいステーキがいただけた。
こういう店が生き残っていくのだろう。



ホテルは、これまた場違いのホテル。
壱岐に何故?と思うが、快適。
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