かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

神々の国ギリシャの旅 その4 ヴェルギナ

2025年02月23日 | Europe・Middle East・Africa


今日も冬晴れ。
これから、高校の同期会。
みな時間が出来だしたのか、集まりが良くなってきた?

これは、世界に冠たるホコテン。



テッサロニキから、南西に、約1時間行くと、ヴェルギナにつく。
奥まったところにある普通の住宅地みたいな感じの場所。
途中、冠雪した山々が見える。
ヴェルギナは、マケドニア王国の首都で、世界遺産に指定されている。



そして、これが、あのアレキサンダー大王の父フィリッポ2世の墓。
アレキサンダー大王の墓は、見つかっていない。
現地では、アイガイと呼ばれている。
日本のなだらかな円墳のようだ。
まさか、ここに?という感じだっただろう。



入り口にあった、世界遺産の碑。



中は、墓室兼博物館になっていた。
これは、墓室の様子のジオラマ。



お墓の中が、博物館になっている。
初めての体験?
墓室一つ一つが大掛かり。



そして、一つ目の墓室。



副葬品一つ一つが豪華過ぎる。



フィリッポ2世のものとされる墓。
1977年に発見された。
それまで、アイガイの場所さえ特定されていなかったという。



壁画も残されている。
ただ、3基の内、中央の1基がフィリッポ2世の墓とされたのは、その副葬品が一番豪華だったからで、文字が残されていた訳ではないらしい。



これがその一番豪華な副葬品。
黄金製の納骨箱と冠。



一番奥にあるお墓。
フィリッポ2世の孫=アレキサンダー大王の子供の墓とされるが、こちらがフィリッポ2世の墓という説もあるようだ。



レリーフの破片が展示されているが、こちらが、フィリッポ2世。



こちらがアレキサンダー大王。
かなり小さな破片だ。
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神々の国ギリシャの旅 その3 アギオス・ディミトリス教会

2025年02月22日 | Europe・Middle East・Africa


今日もゴルフ。
数日前、雪マークで、どうなるかと思ったが、結局、晴れ時々曇り。
ただ、よく冷えた。
特に、後半は、雲が増えて、ちょっと寒かった。
スコアは普通。



丹沢山系。
今日、登っている人はいたのだろうか。



テッサロニキで、唯一下車観光したのは、アギオス・ディミトリス教会。
ギリシャ最大の教会だ。
ユネスコ世界遺産に登録されている。
5世紀に、ディミトリスが殉教した地に建てられらた。



ミサが行われていた。



廻廊は、両側に設けられている。



ギリシャ正教では、キリスト像は、作られず、モザイク画や、イコンが、用いられる。



カトリックが、厳かなものと思っていたが、ギリシャ正教から見ると、華美となる。
ロシア正教は、ギリシャ正教に近いといい、なかなかキリスト教の世界もややこしい。



地下には、聖ディミトリスが殉教する前に、監禁されていたという半円系の水盤がある。
公衆浴場だったそうだ。



かなり崩れてはいるが。



その上に祭壇がある。



聖ディミトリスが祀られている。
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神々の国ギリシャの旅 その2 テッサロニキ

2025年02月20日 | Europe・Middle East・Africa


今日は、ゴルフ。
雲一つない青空。



寒いと覚悟していたが、風もあまりなく、まずまずのコンディション。
梅は、かなり開花している。
スコアも普通だった。
大叩きがなかっただけなんだけど。



翌日から、早速観光スタート。
テッサロニキは、ほとんどが車窓観光。
旧マケドニアの半分は、現在のギリシャの北部に当たる。
その中心がテッサロニキで、現在のギリシャの第二の都市。
そしてもそのヒーローは、もちろんアレキサンダー大王。
ギリシャ北部から、エジプト、中央アジア、インドまでを征服した。
紀元前4世紀に、よくそれだけの機動力を発揮したものだ。

元々、テッサロニキは、マケドニアの将軍カッサンドロスによって作られ、アレキサンドロス大王の異母妹のテッサロニキを妻としたため、それを都市の名前としたという。



これが、一番有名なホワイト・タワー。
15世紀にベネチア人が築いた防壁の一部という。
トルコ時代は牢獄として使われたという。
今は、ビザンチン博物館として使われている。
歴史に翻弄された都市でもある。



アリストテレス広場。
その先は、テルマイコス湾。
エーゲ海の内海になる。



ごちゃごちゃして見にくいが、手前の門が、ガリレウスの凱旋門。
ローマ軍と、ササン朝ペルシャ軍の戦いで、ローマの勝利を記念して、303年に建てられた。
勝利を讃えるレリーフが見える。

その先にあるのが、ロトンダ。
元々ガレリウス皇帝の霊廟として306年に建設されたが、400年頃、キリスト教の教会に改造。
トルコ時代にモスクとして使われ、ミナレットも造られた。
凱旋門と並んで、世界遺産に登録されている。



ビザンチン時代の何かかと思ったけど。



マケドニアの公的建物だと思ったけど。



これもビザンチン様式の教会。
街の至るところに遺跡が埋もれている。
ブルガリアのソフィアでも同じような話を聞いた。



テッサロニキ中央駅。
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神々の国ギリシャの旅 その1 テッサロニキへ

2025年02月19日 | Europe・Middle East・Africa
今日も好天だが、冷えている。
家事に集中。



さて、そろそろギリシャ旅行の振り返り。
神々の国ギリシャの旅と名付けた。
ローマ支配下となり、キリスト教の世界になる前、ギリシャに八百万の神がいた時代の遺跡を多く回れたので、名付けた。
神々の世界が今に繋がっているのは、日本と似ている。
それにしても、一神教の世界は恐ろしい?
その他の神を否定してしまうのだから。
日本も仏教が入って、八百万の神の国ではなくなったが、習合し、神の世界も残った。
キリスト教と、仏教との違いか。

お世話になったのは、全てトルコ航空。
イスタンブール空港の拡大により、ハブ空港としての機能が強化され、トルコ航空も鼻息が荒い。
エミレーツ、カタールに割って入った感。
ウクライナ問題により、北回りが不便になったことも、追い風になっている。
サービスは、悪くはないが、良くもない。



まずはイスタンブール行き。
トルコに行った時は、カタール経由で行ったっけ。



イスタンブール空港内には、大理石の像がちらほら。
空港内に新たにできた博物館の宣伝。
行きの乗り換え時は、時間がなくて行けなかったが、帰りの乗り換え時に行けた。
そもそもこの乗り換え、以前は乗り換えが間に合わず、イスタンブール泊まりになったことも多かったとこと。
ダイヤ変更で、それでも、少し余裕が出たらしい。
今回は、遅れもなくスムースにトランジットできた。



大賑わい。
ショップも多い。
旧正月シーズンで、中国人向けの宣伝も多い。



博物館の入り口までは行った。



テッサロニキ行き。



SELANIKは何語なのか?



ということで、テッサロニキ行きへ無事乗り換え。



ここは、たぶんまだトルコ(ヨーロッパ側)の南海岸。



テッサロニキ近郊の上空。



テッサロニキ・マケドニア国際空港。



タラップだった。



ホテルのエレベーター。
ギリシャ独特。
引き扉を手で開けると、中の蛇腹式の自動ドアが現れる。
中は、狭く、スーツケースを持っていると、3人がやっと。
中の蛇腹式の自動ドアがないエレベーターもあった。
そうなると、ほとんど人間も荷物も変わらない。
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帰国の途へ

2025年02月06日 | Europe・Middle East・Africa


楽しかったギリシャもあっというまにに、帰国日となった。
帰りは、アテネから、イスタンブール経由で。



トランジットで時間があったので、空港の博物館に入ってみた。
13ユーロで規模の割には、ちょっと高いが、トルコ各地の博物館から、トルコの歴史を俯瞰する作品が集められており、30分ぐらいで、さらっと見れる。
トルコ旅行の時は、博物館に全く行けなかったので、良かった。



行きは、満席だったが、帰りは、7割ぐらいの入りで、ナイトフライトだったので、助かった。
隣がいるのといないとでは、かなり違う。



最後の洋食。
日本食が恋しくなった頃に帰国になるのは、いつものこと。
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