かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

魅惑のトルコその28 イスタンブール⑩ ボスフォラス海峡クルーズ②

2024年06月18日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、朝から土砂降り。
幸か不幸か、家の仕事で忙しい。



トルコ旅行記もいよいよ最終回。
第1ボスフォラス大橋をくぐる。
ダイナミック。



これは、プライベート船?



山の上のモスク。



第2ボスフォラス大橋。
1988年に完成。
全長1510m。
IHI、三菱重工などが、建設に関わっている。
その先には、黒海がある。

左のお城風の建物は、ルメリ・ヒサール。
1452年に、建設された。

クルーズコースの北端で、ここでUターン。



この美しい建物は?



トルコの伝統的別荘建築。



ベイレルベイ宮殿。
1865年完成。



第1ボスフォラス大橋まで戻ってきた。



アジア側を臨む。



クズ塔。
乙女の塔と呼ばれ、マルマラ海側の入り口に位置する。
かつては、灯台や、税関として使われた。



ブルーモスク方向を見あげて、Uターンし、港に戻る。



名残惜しいが、ガラタ橋に戻ってきた。



港はすぐそこ。



着いたら、名物のサバサンドの店が並んでいた。



そんなにお腹は空いていなかったのだが、名物ということで、入ってみた。
奥でサバを一生懸命焼いている。



ボリューム満点過ぎるが美味しい。



店の前のテーブルで、ガラタ塔を見ながらいただく。



いよいよ帰路。
空港では、ラマダンの飾りつけが始まっていた。



エジプト同様、空港内には、彫像等の展示。



今回は、全てカタール航空にお世話になった。
文句なし。



まずドーハへ。



日本語かなと思ったら、やはり和食テイストのお店だった。
かなり現地化してたけど。。



そして成田へ。



帰りのルートはこんな感じで、かつての南回りのちょっと北のルート。
私が生まれて初めて飛行機に乗った時のルートは、成田→台北→香港→バーレーン→ロンドンだった。
乗り継ぎが必要なくなったのは、飛行機の性能の向上のおかげ?
素晴らしいトルコが満喫できた。
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魅惑のトルコその27 イスタンブール⑨ ボスフォラス海峡クルーズ①

2024年06月17日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、地味に家でお仕事。
蒸し暑い。



トルコで、最後のランチは、魚。
ボスフォラス海峡産?
新鮮でおいしい。



地下道で埠頭側へ移動。
満潮なのか、岸壁が低い。



貸し切りのクルーズ船が到着。



いよいよ出港。
宮殿、モスク、別荘地、港、橋....
見どころ満載。
今いたエジプシャンバザールを臨む。
にぎやか。
大きなクルーズ船は、定期クルーズか。



出港したのは、旧市街の北端だが、ガラタ橋を渡るとすぐ新市街。
金角湾という内海で隔てられている。

新市街側のシンボル、ガラタ塔。
67m。
灯台→監視塔→牢獄→天文台と変遷し、今は、観光用?
最上階は、レストランだそうだ。



朝の散歩で見たドルマバフチェ・ジェミィとドルマパフチェ宮殿。
ドルマバフチェ・ジェミィは、1843年に建設されたモスクで優美な円形の窓が特徴。
ドルマパフチェは、埋め立てられた庭という意味だそうで、埋め立てられた土地にメフメット2世によって建てられた宮殿が、ドルマパフチェ宮殿。



観光施設の上に、モスク、高級住宅街が広がる。



宮殿風の建物が続く。



クルーズ船が並ぶ港町。
高級住宅街。



チュラーン・パラス・ケンピンスキー。
スルタンの宮殿だったが、今は、高級ホテル。



第1ボスフォラス大橋が見えてきた。
7月15日殉教者の橋と呼ばれているそうだ。
全長1500m高さ65m。
1973年に開通。
イギリスとフランスにより架けられたという。
2016年のクーデター後に、今の名になった。

今は、第2大橋と、海峡トンネルができ、3ルートでアジア側とヨーロッパ側が結ばれている。
海峡トンネルは、大成建設が建設したそうで、前日のアンカラからイスタンブールへの移動時にも通ったのかもしれない。



オルタキョイ・ジャミィ。
第1ボスフォラス大橋のたもとにある。
1854年に建設されたアブドゥル・メジト1世のモスクで、オスマン・バロック様式。
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魅惑のトルコその26 イスタンブール⑧ エジプシャン・バザール

2024年06月16日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、ゴルフ。
蒸し暑い中、午前は、どうにか凌いだが、午後、バンカーて大叩きが2回。
大きく乱れた。
残念。



最終日の目玉は、ボスフォラス海峡クルーズだが、その前にも多くの見どころが。
たぶんヴァレンス水道橋。
コンスタンティヌス帝時代に、建設が始まり、ヴァレンス帝時代の378年に完成したという。
町の北側から、前日に行った地下宮殿に水が注がれていたという。
18世紀まで使われていたというから驚きだ。



ヨーロッパ側は、トプカプ宮殿のある旧市街と、宿泊ホテルがあった新市街は、金角湾という内海で分かれており、そこに、ガラタ橋が架かっている。
上に地下鉄駅があるようだ。



海峡には、大きな船が多数停泊している。
狭い所は、時間制の一方通行になっているようだ。
通行税なしに、通行できるとのことで、トルコはえらい!



ヨーロッパ風の街並み。
まだEUROへの加盟を許されないのは、宗教のせいなのか?
それとも、ギリシャとの仲たがいのせいなのか。



美しい。
イスタンブールが輝きを取り戻したのも、エルドアンの市長時代の功績という。



まずは、皮製品の店へ。
ヨーロッパの高級ブランドの革製品の多くは、トルコ製だという。



ミニファッションショー。



一応採点表が配られるが、さすがにまじめに採点している人はいなかった。
センスは、まさにヨーロッパ。
リバーシブルのジャンパーを買ったが、円安のせいで、ずいぶん高かった。
前に来ていた皮ジャンより、驚くほど軽い。



街中のいたるところに、城壁跡がある。
テオドシウスの城壁?



城壁の修復工事も行われているようだ。



城塞の跡。



ボスフォラス海峡の向こうに、アジア側が臨める。



エジプシャンバザールの入り口付近。
400年ほど前に造られた。
手前に見えるのが、イエニ・ジャーミィで、その一部として、建設されたという。



前の広場では、トウモロコシと、栗を売っていた。
ここでも選挙運動の宣伝が繰り返し流されている。



エジプシャン・マーケットの入り口。
ムスル・チャルシュ 1664とあるが、ムスルは、エジプト、チャルシュが市場。
ガイドブックには、エジプトで集積された香辛料等が扱われたため、この名があるというが、現地では、元は、魚市場でその魚の発音がエジプトに似ていたためこの名になったと聞いた。
真実は、不明だが、エジプト産のものが中心といった感じでもなく、現地で聴いた情報の方が本当?



中はこんな感じで、グランドバザールよりコンパクトだが、観光客には優しい。



香辛料のお店。



ヘチマのたわし?
子どもの頃は、日本でもよく見たが。



メフメット・エフェンディ。
トルココーヒーのお店。
大人気で、希望の量を伝えると、効率よく袋詰めにして、売ってくれる。



市場側から見たイエニ・ジャーミィ。



海峡の向こうにガラタ塔が見える。



ガラタ橋。



ボスフォラス海峡クルーズの船が行きかう港とモスク。
にぎわっている様子がわかる。



トプカプ宮殿も丘の上にちょっと見える。



大型のクルーズ船も。



ガラタ橋は、釣りを楽しむ人で、いっぱい。



トルコアイスのお店。
いかにもトルコらしい雰囲気を醸し出している。
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魅惑のトルコその25 イスタンブール⑦ 朝の散策

2024年06月14日 | Europe・Middle East・Africa
梅雨明みたいな天気。
ちゃんと梅雨は来るよね?



宿泊したホテル。
今回の旅の中では一番豪華。



ビュッフェも超豪華で、その場での手作りの郷土料理もいただける。



朝食後、ちょっと時間があったので、ホテルの近くを散策。
今回の旅行は、朝早い出発の日が多く、なかなか朝の散歩ができなかった。
これは、大学のキャンパスだったかな。



リッツカールトンだったかな。
眺め良さそう。



ホテルから、結構急な坂を降りていく。



サッカー・スタジアムがあった。
長友選手は、どのチームにいたんだっけ?



ボスフォラス海峡が見えて来た。



ボスフォラス海峡に面してモスクがあった。
ドルマバフチェモスクとある。



その向いにあったのが、ドルマパフチェ宮殿。
後で、調べたら、観光ルートにも入っている宮殿で、19世紀に建てられたものという。
トルコ共和国が誕生し、初代大統領のアタチュルクのイタンブール滞在時(アンカラが政都)の官邸だった。
まだオープン前で、入り口だけ拝んだ。



海峡を直接拝めるところを探したのだが、レストランが海峡沿いを占領している。



道の向かい側に、先ほどのサッカー・スタジアムと、リッツ・カールトンが見える。
今は、日本人選手はいないようだ。



モスクの先まで、行ってやっと海峡が臨める場所を見つけた。
7月15日殉教者の橋が見れた。
ボスフォラス海峡に最初にかかった橋。



小さな埠頭に陽が上ってきた。
向かいに見えるのは、アジア側。
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魅惑のトルコその24 イスタンブール⑥ グランド・バザール

2024年06月13日 | Europe・Middle East・Africa
今日は、午後から出勤。
湿気がひどい。
雨にならないといいのだが。



イスタンブール初日のラストは、グランド・バザール。
屋根付き市場という意味らしい。
旧市街地区は、全て歩いての移動になるので、足腰の弱い人は、かなりへたっていた。
私は、全然大丈夫。
なかなかいい雰囲気の街路を西に進む。



あちこちに、モスクがある。
これは、ヌルオスマニイェ・ジャーミー?



門が見えて来たが、本当の門は、まだ先。



ここは、まだ市場の外だが、既に、いろんなものが売られている。



いよいよ門に到着。



ここがグランド・バザールの入り口。
一応セキュリティチェックがあるが、人も多く、ほとんど形だけ。



とにかく大きい。
中東最大級と言われる。
しかもメインの通り以外は、入り組んでいて、似たような門もたくさんあるから、まず迷子にならないことが最大の目標。
メインの通りは、店に番号が付けられているので、目安になるが、中に入るとぐちゃぐちゃ。
同じようなものが、いろんな店で売られているが、品物を見比べながらなどと思っていると、元の店が見つからなくなったりする。



これは、ちょっと横道。



貴金属店が多いが、これは、インフレが激しいため、キャッシュの代わりに、貴金属を持つ人が多いためと思われる。
まさに、金本位制?



キラキラ。



ショッピングというより、このマーケット自体が、見どころ。



香辛料の店。
エジプトでも行ったので、入らなかったが、帰国後、もっと入手しておけばと思ったりした。
日本では、なかなか手に入らないものが多く並んでいる。



ということで、最低限の買い物をして、グランド・マーケット終了。
新市街のシンボルになっているガラタ塔を見ながら、夕食へ。
6世紀初めに灯台として利用されていたものを、14世紀に、ビザンツ帝国への監視塔に改造したと考えられている。



夕食後、カルフールへ。
カイロのカルフールは、品揃えいまいちだったが、ここは、まずまずで、値段もリーズナブルだったので、部屋飲み用のアルコールや、おつまみ、ばらまき用のお土産などをゲット。
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