かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

飯山温泉

2009年10月31日 | Other Eastern Japan


今日は、厚木から近い飯山温泉に泊まっている。
初めて来たけど、いいところだ。
たぬきがトレードマーク。たぬきは”他抜き”という語呂合わせで、かんばっているようだ。
「人生は、己に勝つこと大腹をもってひょうきんに悠々自適の狸面」



紅葉も盛りに近い。宿の部屋からの眺めもごらんのとおり。
温泉前のゴルフの方は散々だったが。
今日は温泉メインということで。

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京都散策その12 鞍馬寺

2009年10月30日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )



京都の北方に鞍馬山がある。比叡山が北東とすれば、鞍馬山は真北になるか。
距離は、大したことないが、相当山奥に来た気がする。都会の喧騒から離れられた感じだ。



参道を抜けると二王門がある。明治時代の再建だが、中の二王様は、鎌倉時代のものという。



坂を上るのは結構たいへんだ。上りの片道ケーブルカーを使ったが、正解だった。



これを見ればおわかりいただけると思う。



ケーブルカーを降りたところに多宝塔があった。



ようやく本殿金堂にたどりついた。眺めがすばらしい。比叡山もよく見える。



本殿金堂の前は、行列だ。何でも、金堂の前にあるサークルがスピリチュアルプレイスになっているそうで、これが目当てで、来る人も多いのだそうだ。ここで、ゆっくりお祈りする。



金堂は昭和時代の再建で、中の仏様も江戸時代以降に造られたものだ。



この石にも霊のパワーがあるのだそうだ。比叡山がちょうど正面に見える。



金堂の少し上に、霊宝殿がある。鞍馬山を全部回るのは、たいへんだが、この霊宝殿はぜひ訪れたいところ。平安時代の国宝がずらりと見れる。特に、毘沙門天は、左手を頭にかざし、京都を見渡しているようで、ユニークだし、鞍馬寺にふさわしいポーズだ。ここから、京都の町を守り続けているのだ。



由岐神社は、金堂から半分ぐらい降りたところにある。この拝殿は、重文に指定されている。上賀茂神社で見た”流れ造り”のようだ。鞍馬の火祭が行われるところだ。
鞍馬天狗には、出会わなかったが、伝承で、特にモデルがあったわけではないようだ。昔、高橋秀樹の鞍馬天狗の番組を見ていたように思うのだが、あの番組は、お蔵入りしたままか。鞍馬天狗が有名になったのは、大仏次郎の貢献が大きいようだ。

鞍馬寺は、義経が修業したお寺をしても有名だが。修業した場所は、もっと奥の方。
一日かけて訪れたいお寺だった。

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京都散策その11 上賀茂神社

2009年10月29日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


話を京都に戻そう。
2日目に最初に行ったのは、上賀茂神社。京都の町の北の方にあるが、京都最古の神社として、また葵祭りの神社として有名だ。元は、平安遷都に貢献した賀茂氏を祀る神社であるという。世界遺産にも指定されている。



神社には、神馬がいた。神社には、馬がつきもので、絵馬もそこから来ているという。



拝殿は、江戸時代の再建だそうだ。立砂(たてずな)は、神々が降り立つ神聖な場所。よく見ると、砂の上に柱を示す藁のようなものが、立っている。お清めの砂もこの姿が起源なのだそうだ。



神聖な空間に入っていく。



この奥に社殿があり、神主さんが、お祓いをしてくれて、この神社の由来なども説明してくれる。社殿は、流れ造りであるという。流れ造りは、屋根が手前の方が長くなっており、参拝する人が、濡れないように工夫されている。獅子の絵が描かれているが、駒獅子の影絵になっているという。遷宮が近く、檜皮の調達が難しくなっているそうだ。祭神は、賀茂別雷(かもわけいかづち)の神である。

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平城京アップデート

2009年10月28日 | Nara ( Japan )


去年の正倉院展の時も、平城京跡をぶらぶらした。そして、その時、まだまったく姿を現していなかった大極殿が姿を現したという記事を見ていたので、今回はそれを見に行ってみた。
広い平城京跡は、ほとんど原っぱだが、一部当時の姿が再現されてきている。



大極殿は、すでに再建されていた朱雀門を上回る見事な建物だった。
第二次大極殿の再建も計画されているようだが、そこまでする必要があるのかという気もする。平安遷都以来ずっと長い間、畑や原っぱだったのだから、そのままでもいいじゃないかという気もするのだ。財政状態も厳しいようだし。



何も知らない人が見たら、蜃気楼と思うかもしれない。



せんとくんも、いろいろ議論は、あったが、定着してきたようだ。
まんとくんなるものもたくさんあったが、せんとくんとまんとくんの関係は、親子か、兄弟か、いとこか、あかの他人か?
そもそもまんとくんの名前の由来は?
疑問は尽きない。
横浜開港150年祭でも、たねまると、ていとくんがいた。ていとくんの売りは、有料会場でしかGETできないというものだったが、終了後、どこでも買えるようになった。
かなりいい加減だ。



平城遷都1300年祭へのカウントダウンもチクタク進んでいた。
来年は、来れるかな?
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海龍王寺と法華寺

2009年10月27日 | Nara ( Japan )


ちょっと時間があったので、新大宮まで、一駅行って、ぶらぶらしてみた。

最初に行ったのが、海龍王寺。元々遣唐使の航海の無事を祈って建てられたお寺という。



小さなお寺で、お堂は、この二つ。ただ、中には、空海が自分の航海の無事を祈って書いた写経も展示されていた。しっかりした楷書だったが、本物かは知る由もない。
左に見える西金堂は奈良時代のものだが、その中の五重小塔は、奈良時代に作られた精巧なもので、国宝に指定されている。これも見事だった。塔が、建物ではなく、仏を祈るための塔であったことが思い起こされた。仏教が伝えられてから、そう経っていない奈良時代に、この和風の塔の姿が確立されていたことは、驚嘆に値する。元興寺でも同じような塔を見た記憶があるのだが。



その近くにあったのが、これも光明皇后ゆかりの法華寺だ。尼寺であった。海龍寺と同じく、藤原不比等の邸宅跡に建てられたという。現在の建物は、桃山時代のものという。
来年は、光明皇后が亡くなられてから、1250年のようだ。



こじんまりとしているが、美しい本堂だ。この中の国宝十一面観音像が、公開されていた。ごく限られた期間しか、公開されない。これも、見事だった。光明皇后の姿を映したものともいわれる。仏像ファンには、絶対見る価値がある。



庭では、紅葉が色づき始めていた。



こちらの門が、本来の門かもしれない。法華滅罪の寺と記されている。
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