かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

東福寺展

2023年03月22日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
侍ジャパンがついに優勝。
おめでとう。
9回の攻防のみ生で見たが、最後が大谷vsトラウト。
出来過ぎ!



今日は、上野の東福寺展に行った。
上野に着くと、まずは、花見ですごい人出。
明日から、雨ということで、今日がピークかもしれない。



トーハクも、陽光の下、明るい。
平和な日本をかみしめたい。



平成館。



東福寺というと、庭とか、紅葉の印象が強くて、あまり期待していなかったのだが、とんでもない。
東福寺の名は、東大寺と興福寺からつけたというだけあって、書画、仏像など超一流の逸品が大集合。
東福寺に国宝館があれば、見れるのだろうが、普段は、見れないものがほとんど。
特に開山した円爾(えんに)及びその後継者に関するお宝、伝説の絵師の明兆(みんちょう)による五百羅漢図など、すばらしい。
仏教>儒教の精神が表されていて、面白い。
円爾が宋から招来したと伝わる書画類も他に類を見ない。
本家の中国にも、残っていないものが多いのではないか。
伽藍群も、後世に再建されたものが多いが、巨大で、見応えがある。
次回の京都では訪れてみたい。



天通が再現されている。
確かに、東福寺と言えば、天通とモダンな庭。



本来の仏像類は、かなり焼失してしまっているのだが、これは、遺された光背仏。
巨大。



この手も巨大。



この蓮華も。
巨大な仏像があったことがわかる。
今ある仏像類は、塔頭から移したものが多いそうだが、それらの巨大な仏像も展示されている。
ということで、大満足の展示だった。



野口宇宙飛行士が宇宙に持って行ったという土偶のレプリカが展示されていた。
埴輪展の50年という展示もあり、かつて出土地が不明だった埴輪類を研究し、出土地を特定している様子が紹介されていた。
北関東が多い。



庭も公開されていて、ここでも花見が楽しめる。



ぜいたくな空間だ。



歴史的な建物や、博物館を背景に万階の桜が楽しめた。



ついでに?東洋館で開催されている王羲之展へ。
何度か見たことはあるのだが、1,700年前の書が、中国、日本で、こらまで愛され続けていると思うと、何度見ても、感慨深い。
楷書が確立した瞬間だ。



優雅な歌会だったのだろう。



ついでに、東洋館をぶらっとしたが、一部展示替えもされているようだ。
これは、典型的な古代の仏舎利容器。
パキスタン出土という。
亜細亜の御宝が、濃縮された東洋館。
すばらしい。

ということで、大充実の上野だった。
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太陽の塔

2022年12月20日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日も好天だが、寒い1日。
万博記念公園に行って来た。
2年ちょっと前に行った時は、コロナで、再生なった太陽の塔に入れなかった。
公開再開したので。
朝の方は、中学生の団体が入っていて、予約が取れたのは、11時半の回。
このシーンを見ると、わくわくする。
万博が開催されていた当時は、まだこのモノレールはなく、たぶんバスで行ったのだと思う。
小6の夏休み。
今から思うと、よく行けたものだ。
両親も、子供の楽しい夏休みの思い出作りのために、一所懸命だったのだろう。

 

太陽の塔を保存することは、なかなか決まらず、また、決まってからも、保存するために、相当手を加えている。



中には、後ろ側から入る。
当時も公開されていたのだが、行けなかった。



時間があったので、太陽の塔の中に入る前に、前回も行ったEXPO'70パビリオンへ。
当時の鉄鋼館の建物を移築して、パビリオンにしたそうだ。



1階が特別展、2階が常設展。
2回目なので、よりゆっくり、落ち着いて見れた。
1階の特別展の展示も、前回とかなり似ていた。
これは、当時の鉄鋼館内のイベントスペースをそのまま保存したもの。
今も、音と光のショーが見れる。
当時は、いろんなイベントが催されたようだ。



万博会場の模型。
本当に夢が、現実になった感じだった。
混んでて、ほんの一部しか見れなかったのだが。
アメリカ館と電力館に行ったことだけは、はっきり覚えている。
その他は、行列の短いところを少し行っただけだと思う。



当時の万博の歴史を説明したポスター。
何故か、渋沢栄一が行った1868年のパリ万博がない。
その次のウイーン万博が、日本政府として初参加とある。
パリ万博の時は、まだ、江戸時代だったのはわかるが、何故万博自体をなきものにしてしまったのかは不明。



前回も紹介したメリーホプキンショーのポスター。
今となっては、貴重なものだ。



さて、塔の中に入ると、まず、太陽の塔が生まれるまでの岡本太郎のスケッチ群。
どういう発想から、太陽の塔が生まれたか?
このデッサンを見ても良くはわからないのだが。



これも復元された地下の太陽。
ほとんど忘れられていた。
当時の記録、写真を頼りに見事復元。
何種類かのプロジェクションマッピングで、楽しませてくれる。
ここから、小グループに分けて内部へ。
耐久性の問題もあり、この先も、時々、人数制限のための時間調整が入る。



そして、これが、生命の樹。
見事というか、クレージーというか。
ジャックと豆の木みたいな樹に、地球誕生から、人類発生までの生命の営みが、展示される。
特に、恐竜は、大きく、場所も当時のまんまという。
塔の壁を厚くしたため、動物数は、少し減ったらしいが、見事としか言いようがない。
最初に作った人も、再建した人も。



写真は、危険防止の観点から、1階からしか撮れないが十分楽しめる。
ゴリラの頭部が壊れていたが、あえて、壊れたまま展示して、年月の長さを表現しているらしい。
当時は、ここだけ機械仕掛けで動いていたのか。
太陽の塔の腕部分が、生命の樹の最上部だが、当時は、一方の腕がエスカレーターになっていて、屋根に出れたという。
もう一方は、非常階段になっていて、それは、今も再現されていた。

岡本太郎ワールドを、巨大な3次元アートに昇華させた大作。
内部公開されている内に、一度は、見ておくべきだろう。
高度成長期のど真ん中だったから、出来たような気もするが、素晴らしい❗️
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出雲大神宮・賀茂別雷神社

2022年12月19日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日も、凍える寒さ。
とは言え、時間があったので、京都の一宮巡り。
まず向かったのは、丹波国一宮の出雲大神宮。
京都から、嵯峨野線で、亀岡駅に向かうが、電車が混んでいてびっくり。
ほとんどが、京都市内の太秦までで降りていた。
バスよりも早いので、みなJRを使うようだ。
途中、以前高雄三山から歩いて行った保津峡駅を通った。
嵐山を越えると、平野が開けた。
トロッコ列車の始発駅もあった。
この寒い中でも、結構ホームに客席の姿があった。



亀岡は、サンガの本拠地であることを知った。
京都の隣の亀岡市になる。



バスで、結構細い道を15分ぐらい行くと、出雲大神宮に着く。



立派な、神社。
崇神天皇の時代に再建されたと伝わる。
背後に、千年山と呼ばれる神体山があり、そこに神が、降臨したという。
その山には、100円の入山料を支払うと入れる。



奉社殿は、足利尊氏により改修されたとされ、重文に指定されている。
当地から、島根の杵築に大国主命の一柱を、移したとされ、元出雲とも呼ばれる。
山陰道沿道にあり、京と出雲の接点であった。
平安時代の書や、徒然草にも記載がある。



拝殿。



社殿の後ろの山には、多くの摂社、古墳、滝などが。
これは磐座。
神社ができる前から、あったものと思われる。



上の社。
素戔嗚尊と、櫛稲田姫尊を祀る。



御陰の滝。



本殿。



神饌田。



亀岡から、京都に戻り、地下鉄で北山駅からへ。
陶板名画の庭という施設があったので、入ってみた。
大塚美術館のように、大きくはなかったが、屋外で、滝とセットで展示されているのが、ユニーク。



実物大。
見事ではある。
全て見たことがある絵だった。
我ながら、ビックリ。



鴨川。
のどかで美しい。
TVドラマを思い出す。



そして訪れたのは、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、通称上賀茂神社。
訪れたのは、2回目。
前回は、拝殿の中まで入れたが、年末年始は、公開していないそうで、今回は、拝殿まで。
さすが、世界遺産、かつほとんどの建物が、国宝、重文。
重みがある。



印象に残っている円錐形の砂盛り。
神山を象ったと言われる。



美しい朱塗りの楼門。
賀茂の地は、古くから賀茂氏の勢力範囲で、平安遷都の前に、葛城の地から、当地に移って来た。
その後、平安京に都が移され、桓武天皇が行幸後、歴代天皇が、60回以上、行幸したという。



拝殿。
中の本殿も含めて国宝。
2回目だったが、山城国一宮。
流石だった。



西に進んで、神光院。
西賀茂の弘法さんと呼ばれる。



本尊には、愛染明王、歓喜天も。



その南には、大将軍神社がある。



変わった名前の神社だが、推古17年創建と伝えられ、平安遷都以降は、北方を守護する神社に定められた。



社殿が傷んできているようで、覆いが。
やや、寂れた感も。
ということで、京都府の一宮二社と、京都北西部を散策できた。
バスで、京都駅まで戻ったが、50分近くかかった。
それでも230円で、リーズナブル。
京都府は、巡り甲斐がある。
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奈良 & 京都・大原

2022年11月05日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今朝は、初めての奈良ホテルで、デラックスな、和定食。
窓からは、興福寺の五重塔が見える。
窓枠は、当初の木製の枠を残し、その外に、サッシを嵌め込む贅沢な作り。



食後、近隣を散策。
猿沢池からのおなじみの構図。



今日は、近鉄特急で、京都に移動し、大原散策。
前回は、京都駅から、バスで行ったと思うが、今回は、国際会館まで、地下鉄で行って、バスに乗り換え。
この方が早いし、渋滞リスクもない。
まずは、寂光院へ。
途中の、コスモス畑。
この辺は、野生の赤紫蘇が取れるそうで、その保護を訴える看板が、そこここに立っている。



紅葉は、まだ色づき始めという感じだが、綺麗。



寂光院は、聖徳太子が建立したと伝えられるが、なんと言っても、安徳天皇の母である建礼門院が、平家が滅んだ後、亡くなるまで過ごした場所として有名。
所縁の井戸や、住まい跡が残る。



このお堂や、中の、本尊の地蔵菩薩は、2000年の放火後、再建されたもの。
放火された地蔵菩薩は、まだ重文指定され、残されている。
胎内の無数の小仏像も、合わせて展示されている。
本当に残念な出来事だったが、地蔵菩薩が焼け焦げた後も立ったままであったことも、奇跡的。



お庭も綺麗に手入れされていた。

お寺の入り口近くに、高倉天皇の皇后の徳子様の陵があったので、お参りして来た。



ランチは、とろろ蕎麦と、梅ご飯。
梅ご飯に使われている紫蘇は、もちろんここで採れたもの。



次は、メインの三千院に向かう。
参道を歩きながら、前回来た時に、呂律の言葉の由来を知ったことや、冷やしキウリを売っていたことを、思い出した。



人出は、戻って来たが、まだ、ピークほどではない。



石段の紅葉も綺麗。



庭を見るために?お抹茶をいただいた。
京都は、寺社の入場料金などが、何でも高く、カードも使えないので、キャッシュの減りが早い。



小さなお庭だが、苔が素晴らしい。
紅葉の見頃は、まだ、これから。



目玉の本堂。
ここの阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩は、本当に凄い。
かつてのトーハクの国宝展でも、公開されたが、平安の仏像として、最高峰。
来迎図のリアル版とでも言おうか。
まだご覧になっていない方は、是非、足を運んでみて欲しい。



寺域は、さらに広がっており、小道には、かわいいお地蔵さんが、並んでいる。



鎌倉時代の石仏という。
姿は、美しいが、傷みは、激しい。



すぐ近くにある鎌倉殿の13人にも出ている後白河天皇の陵。
平安時代から鎌倉時代にかけて、重要な地域であったことがわかる。



大原のメインは、過ぎたが、さらに奥の勝林院へ。
ここからは、初めて訪れる場所。
1013年、天台声明の根本道場として建立された。
堂内では、声明の音が流れる。
法然上人を招き、極楽浄土について、議論したとのこと。
大原問答というそうだ。
そう言えば、途中、法然上人の腰掛け岩があった。
仏像は、江戸時代のもので、立派だが、風格には欠けるか。



最後に訪れたお寺ほ、さらに登ったところにある来迎院。
ここまで来ると訪れる人も少ないが、重文の三尊像がある。
小ぶりだが、藤原時代の優品だ。



ここまで来たらということで、さらに上の、音無の滝まで、足を伸ばした。
声明の音が、滝の音と調和して、滝の音が、消えたことから、この名があると言う。



ということで、高野山、奈良、京都◦大原を、満喫できた。
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近江国

2022年07月19日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今回の旅行は、元々天気予報は悪かったのだが、2日目までは、どうにか持った。
3日目にして、ついに大雨。
今日は、旅程を、大幅に変更した。
当初三方五湖レインボーラインを楽しもうと思ったのだが、この雨で、SAから、三方湖を見下ろしたのみ。



次に行こうとしていた竹生島は、何と船が欠航。
風はそんなでもなかったので、どうにかなると思ったのだが。
ただ確かにあの雨では、楽しめなかったろう。
そこで、その次に行こうと思っていた渡岸寺観音堂(向源寺)へ。
いよいよ最終の近江国まで来た。
一宮の建部神社には、先日参拝した。

こちらは、山門。



仁王像。
保存状態は、良くないが、平安時代前・中期の貴重なもの。



法隆寺の金剛力士像と同時期ではないかとのことだった。



そして、メインの本堂と観音堂へ。
本堂の方には、十一面観音が、秘仏だった時代のお前立ちがある。
小仏だが、均整が、取れている。

メインの十一面観音は、2006年の上野の仏像展で見て以来。
その時は、高いところにガラスケース入りで展示されていたので、今回は、よりじっくり見れた。
化仏の一つ一つの表情、化仏にまた化仏があったり、耳のところにも化仏があったり、優雅な中にも個性あるお姿になっている。正面の阿弥陀仏立像は、後から、加えられたものだそうだ。
実は、頭部には、十面しかない。
仏頂の化仏が、下の化仏に指示を出すのだそうだ。

豊臣と浅井氏の戦いの際、寺は、焼失したが、仏は、地中に埋めて、無事だったという。
その時の場所も、大事な場所になっている。

大日如来像も平安時代のもので、重文。
阿弥陀如来も平安時代のもの。
その他、仏像の台座である、獅子や、象の木像も残されている。
新しいの方が丁寧に説明してくれて、満喫できた。



時間が余ったので、2度目になるが、彦根城に行った。
こちらも2010年以来。
今回は。まず博物館に行った。
井伊家のお宝が、惜しげもなく展示されている。
単なる権力者だったわけではなく、文化人、知識人であったことが分かる。
天皇の許しなく開港した人物とされるが、さまざまな意見聞きながら、意思決定していた様子がわかる手紙なども展示されている。
当時の屋敷まで、復元されており、能舞台まであり、相当の気合の入れようだ。



そしてお城へ。
雨もピークで、階段の所を雨が滝のように流れていた。
お城内も雨漏りしている所があって、ちょっと心配だ。



重文の太鼓門と続櫓。



そして、国宝の天守閣。
天守閣が国宝のお城は、5つしかない。
元々は.石田三成が、敗れて、その居城だった佐和山城を井伊家が、賜ったが、井伊家は、彦根に城をつくり、居城とした。
説明書によれば、大津城を移築したとある。
城全体では、相当の規模だ。
いずれにしても、江戸初期の城で貴重。
城内も.さまざまな仕掛けが見れて面白い。



天守からは、生憎の天気で、あまり見えなかったので、パネルで。

玄宮園も見れたのだが、雨足が強いので、断念し、全日程終了後。
島根県から、滋賀まで、6県に及ぶドライブ旅行。
普段行きにくいところを回れて楽しかった。

帰りも在来線は、運転見合わせだったりしたが、新幹線は、若干の遅れで済んだ。
次は、どこに行こうかな?
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