今日は、秋らしい好天。
東洋のマチュピチュ(諸説あり)とも言われる竹田城址に行ってみた。
まずは、新大阪から、山陽新幹線で、姫路へ。
あまり乗ったことがないのだが、座席が2-2なのは、いい。
姫路からは、特急はまかぜ。
山ばかりで、はまかぜという感じではないのだが、鳥取行きなので、日本海側に出れば、はまかぜ?
播但線は、初めて。
ディーゼルの単線。
帰りにわかったのだが、寺前までは、駅にタッチ改札があるのだが、その先からは、無人駅かつタッチ改札もないので、ワンマン車両の運転手が、代金回収。
車両も1両になる。
姫路には、大阪方向から入って来るが、そこから方向が変わって、一旦大阪方向に向かってから、北に向かう。
最初びっくりした。
特急だと、姫路を出てすぐに、姫路城のアナウンスがある。
1時間ほどで、竹田駅に到着。
ちょうど、シャトルバスの出発時間だった。
歩いて登ろうと思っていたのでラッキー。
立雲峡にも歩いて行こうと思ってたら、タクシーが来て、いずれも登りだけ使った。
実は、歩きで、この時間では、両方行くのは、無理だった。
竹田城の復元模型。
たぶんこんな感じだったのだろう。
竹田城址バス停から、さらに800メートルぐらい登ったところにエントランスがある。
城址内には、各所に案内の方がいて、一方通行なので、わかりやすい。
最初は、北千畳と呼ばれるエリアから入る。
見事だ。
15世紀に山名家により作られ、代々大田垣家が城主だった。
秀吉および秀長の但馬攻めにより、大田垣家の時代は、終わり、桑山家が城主となり、その後赤松家が城主となった。
赤松家は、関ヶ原で西軍に属したため亡び廃城になったという。
まさに室町時代後期から戦国時代、武士達が、戦いに明け暮れていた時代の城だったということになる。
三の丸、二の丸方向に行くと、西方向が臨める。
右が本丸で最高地点。
円山川に沿って、平地が広がっているのがわかる。
見事な眺め。
南千畳越しに街を,臨む。
姫路方向になる。
ちょうど小雨が降ってきて、虹も拝めた。
山の天気は、変わりやすい。
石垣は、見事。
近くで採取されたものらしいが、野面積みと呼ばれ、あまり加工されていないのが、特徴という。
安土城築造でも活躍した穴太衆(あのうしゅう)が築いたものと似ており、穴太積みと呼ばれることもあるという。
左に見える大きな石が鏡石と呼ばれ、メインの石だそうだ。
駅方向に下る道は、2ルートあるが、どちらも同じ程度厳しいということで、表米神社登山道を下ることにした。
階段等しっかりしているのだが、確かに急で、登るのは大変だろう。
表米(ひょうまい)神社。
歴史のある神社。
飛鳥時代の日下部表米を祀っているとのこと。
表米は、相撲好きだったそうで、土俵の周りには、観覧席があり、かつては、大いに盛り上がったのだろう。
江戸時代の座席表が残るという。
ちょうど、1時間に1本ぐらいしかない播但線が通ったので、パチリ。
反対方向もパチリ。
てっちゃんには、人気があるのだろうか。
地味だけど、かなりローカル感あり。
そして、駅の反対側にある立雲峡へ。
たまたまタクシーが来たので、登りだけ使わせてもらったのは、最初に言った通り。
ここからが、登り坂。
歓迎の幕。
車は、駐車場までで、そこから第3→第2→第1展望台へと山道を登る。
時間の関係で、第1と第2の間ぐらいで引き返したが、残念だった。
坂は、そこそこ急だが、階段がよく整備されており、時間があれば充分登れる。
あの雲海に浮かぶ竹田城の写真を撮るには、夜明け前にここを登って、第1展望台で、シャッターチャンスを狙う。
秋のど真ん中が、狙い目。
駐車場は、整備されていたので、車で近くまでは来れる。
登る途中も、山桜や、珍しい岩や、滝など、それなりに見どころはある。
そして、いよいよ竹田城址。
第2、第3からだと、城址とほぼ同じ高さに見える。
見事な姿だ。
別ルートを行くと、愛宕神社があるようだが、割愛。
青空が戻って来た。
紅葉も素晴らしい。
ピークか?
城址ピークをズーム。
絶景を満喫。
山を降りたところで、すすき越しに。
かなり戻ってきたところから見上げる。
紅葉に埋もれる?
川越しに。
日本の原風景。
左手前の立派な建物は、地元の信金さん。
この六地蔵は、但馬で最も古いそうで、江戸時代初期のもの。
駅から見上げたところ。
紅葉が綺麗。
播但線の勇姿。
寺前までしか行かない。
寺前からは、2両編成の列車に乗り換え。
ということで、駆け足だったけど、東洋のマチュピチュを見れた。
短時間だと、結構たいへん?