かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

外交敗戦

2006年11月30日 | Books
今日は、悲しいニュースが二つあった。
一つは、ウルトラマンシリーズなどの特撮物を監督した、実相寺昭雄さんが、亡くなられた。たまたま、ちくま文庫の「ウルトラマン誕生」という本を読んていたところで、大ショック。ウルトラマン誕生時の試行錯誤が、余すところなく語られている。我々当時の少年達は、その成果を、週に一回30分、満喫させてもらっていたわけだ。合掌。

もう一つは、キャピタル東急の営業終了。6月に見納めしてきたが、いよいよその時が来た。ビートルズ4人が、唯一そろって来日した時に泊まったホテル。新聞によると、小泉さんのライオンヘアーも、このホテルの床屋で生まれたという。ジャイアント馬場、ショーンコネリーも常連だったとのこと。この床屋は、新宿の「ヒルトン東京」へ、引っ越すとのこと。43年の歴史とは、ちょっと短い気がする。

手嶋隆一さんの、「外交敗戦」とういう本を読んだ。かなり前の本だが、文庫で、再刊された。1990年の湾岸戦争の時のドキュメンタリー。かなり突っ込んだ内容で、あっという間に読んでしまった。

当時、私は、シカゴにいて、予備役だった同僚のアメリカ人が、戦場に駆り出されていくのを間近に見ていた。街の人々は、庭の木々に、黄色いリボンを飾って、兵士達の無事の帰還を願っていた。それに引き換え、日本は、戦争に直接参加することはもちろん、後方支援も、当時はできなかった。でも、増税の上、1兆円以上の戦費を拠出した。
しかし、全く世界からは、評価されなかった。
この本によれば、日本の外務省、大蔵省、運輸省が、それぞれの思惑で、ばらばらに動いたことによるものだという。悲しすぎる。

戦争が始まったまさにその日、私は、バハマ行きの飛行機に乗っていた。どうやら無事だった。ただ、その時の、搭乗時のチェックの厳しさは、並大抵ではなかった。あの厳しいチェックを、10年続けていれば、9/11は、起こらなかっただろう。

1991年のシカゴの総領事主催の新年会で、総領事が、日本は90億ドルも拠出しているのだから、何も、恥じることはなく、堂々としてくださいと参加者に言っていたのを思い出す。
後の祭りだっということか。
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法隆寺 大宝蔵院 百済観音堂

2006年11月29日 | Nara ( Japan )
昨日のBJコンサートのセットリストが早速載っていた。この曲目を見ただけでも、その盛り上がり振りが、ご想像いただけるでしょう。

奈良日帰り旅行の続き。法隆寺の大宝蔵院と百済観音堂は、昔はなかった。法隆寺の宝物館をいったところだが、展示されている宝物群も、展示方法もすばらしい。昔は、暗くてよく見えなかったと記憶する。

何と、時間がおしていて、ガイドが5分で見ろという。結局20分ぐらいはいたが、半日いてもいいぐらいだ。とにかく有名なものだけ、駆け足で見た。
注目すべき展示物としては、夢違観音、玉虫厨子、橘夫人厨子、焼け残った金堂の飛天を描いた小壁画、シルクロード伝来と思われる仏像などがあるが、挙げたら切りがない。
何といっても、百済観音が、その中のスーパースター。このような、すばらしい像は、類例を見ない。誰が、どこで、どんな気持ちで、この像を作ったのか。興味は、つきない。
これらの宝物が、1400年もの間、ちゃんと保存されていたのだ。

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Billy Joel さんのコンサート

2006年11月28日 | Music

今日は、Billy Joelさんの、11年振りの来日コンサートだった。エルトン・ジョンとは、1998年にジョイントで、ここで、コンサートしたと言ってたけど。
すごかった

早めの7時10分ごろいきなり始まったが、最初から、ヒット曲のオンパレード。アンコールのPiano Man まで、飛ばしまくった。たいした演出もなしに(ピアノがゆっくり回転したり(左右のお客さんにサービスするため)、時々立ってギターを弾きながら歌ったり、ハーモニカを吹く程度)、これだけ、自作の大ヒット曲ばかりを歌いまくれる人は、そうはいないだろう。私自身、これだけBlliyの歌を知っていたんだとびっくりしたぐらい。この曲は、日本でだけといってThe Stranger を歌ったところはよかったな。口笛は、吹いていなかったけど(聴こえていたのは、キーボードからの音だったのかな?)。多分、私がBillyと出会った初めての曲だと思う(高校の時か、中学の時か?)。

これだけ、惜しみなく歌いまくるということは、やはり、最後の日本公演になってしまうのか? MUSTだと思う。明後日のコンサートの当日券もまだあるようだ(その様子は、BSで放送されるらしい)。

New York の臭いをそのまま運んで来てくれた。ありがとう。アンコールの時、YOMIURI GIANTSのBaseball Capをかぶってたのは、松井選手を、ヤンキースにトレードしてくれたお礼のつもりかな?
コメント (5)
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法隆寺 聖霊院

2006年11月27日 | Nara ( Japan )
新聞に、ジャワ中部地震で崩れた、プランバナン遺跡の復興が進まないとの記事が載っていた。貴重な、人類の遺産なので、あせらず、じっくり修復して欲しい。

昨日の中村雅俊さんのコンサートでは、写真家の田村仁さんが、たくさん写真を撮りまくっていた(タクローのアルバムのジャケット写真を撮っていた人として名前だけは、昔から知っていた人)。先日のつま恋でも、大活躍されていたとのことだったので、団塊の世代のヒーローの写真集でも、企画しているのだろうか。


奈良の日帰り旅行記が、なかなか進まないのだが、ちょっと法隆寺の続きを。
五重塔などがある西院伽藍を出て、東に進んだところに、鏡池と、聖霊院(しょうりょういん)がある。聖霊院は、鎌倉時代の建物で、僧房だったものだが、太子信仰の高まりに伴い、聖徳太子像を安置するために、改造された。
その前にある鏡池のほとりには、柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺 という、正岡子規の有名な句の石碑がある。何でもない句なのだが.....
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中村雅俊 ON THE WAY

2006年11月26日 | Music

今日は、ぐっと趣を変えて、神奈川県民ホールで行われた、中村雅俊さんのON THE WAY コンサートに行ってきた。日本人ミュージシャンのコンサートは、シンガポールの時行ったKITAROさん以来だが、KITAROさんは、ほとんどしゃべらなかったので、本当の意味での日本人のコンサートは、久し振りだと思う。
中村さんのコンサートは、初めてだったので、どんな感じかまったく見当がつかなかったのだが、ユニークなものだった。
一見歌謡ショーのようでありながら、韓流スターのショーのようでもあり、でも時々フォークソング歌手のようでもあり、でも、ユーミンみたいな、ニューミュージック系のロック・コンサートのようでもある。観客の層もばらばらだが、主流は、中年(失礼!)おばさんか。
席も、前から12番目で、間近だったのだが、歌謡ショーのように、観客席まで、降りてきて歌ってくれるので、すぐそこで(数メートル)、俺達の旅を歌ってくれた。At Homeな雰囲気でよかった。

昨日も、1月から始まるドラマのロケが一日中あったとのことで(ドラマの題名がダイレクトでユニーク)、本業はやはり俳優なのだろう。でも、歌もいい。横浜ご当地ソングの恋人も濡れる街角もいいが、青春時代に繰り返し聴いた、ふれあいや、俺達の旅もいい。

つまるところ、私などは、同世代を共に生きてきた人生共有型ファンなのだろう。今年は、ルート66を旅されたそうで、私も、いつかはと思う。
中村さんは、出身が私と同じ宮城で(私は、仙台なので、女川出身の中村さんよりは、都会っ子)、私が生まれ育った鎌倉を舞台にした俺達の旅で人気を不動のものとし、学生時代は、横浜をベースにし(保土ヶ谷区神戸町(ごうどちょう)にお住まいだったと今日知りました)、良き家庭のパパであり?、何かずっといっしょに生きてきたような(もしくは私が真似をしてきたような)錯覚を覚える。
ただ、一番強い印象は、やはり、俺達の旅での、カースケ、グズ六、オメダの印象だろう。
中村さんのMCも、ファンの中心がその世代であることを知り尽くしての見事なものだった。

9月からスタートしたツアーも、来週の中野サンプラザが最後だそうです。私のような気持ちを中村さんにお持ちの方は、是非どうぞ。

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