かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ハウステンボス・長崎 異国情緒の街 その9 大浦天主堂・グラバー園

2021年05月31日 | Other Western Japan
ちょっと寄り道してしまったが、長崎の話に戻る。



3日目最終日は、市電の1日券(500円!)で、徹底的に市内散策。
たぶん10回ぐらい市電に乗ったから、十二分に元がとれた。
本当は、5時頃の飛行機で帰る予定だったが、よっぽど乗客が少なかったようで、キャンセルされて、8時頃の最終便で帰ることになったので、時間もたっぷりある。

最初に向かったのが、世界遺産に指定された大浦天主堂。
その登り口にある四海楼。
長崎ちゃんぽん発祥の店だそう。
この建物、相当儲かったのだろう。



その脇にあるボーリング発祥の地碑。
横浜にもなかったかな?



海を臨むと、三菱重工の造船所が。
世界遺産に指定された工場もあったと思うが、どこだろう。



稲佐山方向。
山の中腹に、泊まったホテルが見える。



旧香港上海銀行長崎支店。
今は、記念館として公開されているが、コロナ禍でクローズ。
横浜に本店があったが、現在は日本の銀行発祥の地としての碑があるのみ。



孫文さんも滞在していたようだ。
これも、華人が多く居住していた横浜に似ている。
両脇を固めるのが、梅屋庄吉夫妻で、孫文を支え続けた実業家。
彼らがいなければ、辛亥革命はできなかったか?



大浦天主堂。
ここも残念ながら、中には入れなくなっていた。
世界遺産に指定されているが、国宝でもある。
江戸時代潜伏していた隠れキリシタンがここで、信仰を打ち明けた。
1864年に、在留外国人のために建てられた日本最古の木造教会。
1597年に殉教した日本二十六聖人に捧げられた。
原爆投下で大破したが、1952年に修復され、美しい姿を見せてくれている。
大浦天主堂と違って、和洋折衷の作りとなっていて、看板も「天主堂」と日本語表記になっている。



そのちょっと奥にあるのが、グラバー園。
ここにも40数年前訪れたが、今回は、休業中で、外観のみ。
ここも世界遺産に登録されている。
グラバーが1863年に建てた住居で、港を見下ろした景色が美しかったと記憶する。
今は、いろんな洋館が移築され、よりきれいに整備されているようだ。



塀の外から見上げたところ。
展望台か。



さらに進むと東山手洋風住宅群に出る。
一般公開されていたり、個人宅だったり、様々だが、景観を損なわないように大切に使われている様子。



横浜の山手と同様、港を見下ろす好立地にある。
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ワイルドパーティー

2021年05月30日 | Movie
無事伊豆から帰ってきた。
今回は、本当に天気に恵まれた。



本DVDは、先日紹介した、ロック映画の紹介書で知り、ゲット。
原題は、Beyond the Valley of the Dollsだが、どちらの名も、映画の内容を反映している。
下品な映画と言ってしまえばそれまでだが、最後、教訓めいた語りが入り、ハッピーエンドで終わるという、奇天烈な映画でもある。
ただ、1969年頃の、酒、薬、sexで、ドロドロになり、末期的な状態になっていったカルチャーのムードをよく表している。
Creamのイメージだろうか。
そういえば、星加さんが、Creamのコンサートで、回し飲みのハッパが回ってきたと証言していたが、そういう世の中だった。
まだ、日本と世界の距離がある時代で(封切られたのは、万博の年だ!)、日本への影響が、限定的だったのは、幸いだったかもしれない。
最後の殺戮シーンは、シャロンテート事件をモデルにしているという。
たぶん、そんな感じだったのだろう。
フラワームーブメントは、その後、急に萎むことになった。



下品な映画でも大丈夫な人向け。
配給会社も、プロデューサーも、監督も一流で、後の映画作りにも大きな影響を与えたという作品ではある。
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FROM ME TO YOU SESSION

2021年05月29日 | The Beatles

今日も素晴らしい天気。
母校は、六大学で優勝を決めているが、今日も宿敵に勝って喜ばしいことだ。
一方、緊急事態宣言が延長になってしまった。
オリンピックもあるし、しょうがないとも思うが、やらせない。



ONE-DAY SESSIONと同日に着いた、本CD。
インパクトは、前者の方が大きいかも知れないが、こちらも、興味ある音源満載。
1963年3月5日の音源。
私の4歳の誕生日の直後(笑)。
3枚目のシングルとなる、FROM ME TO YOUと、B面のTHANK YOU GIRL、7年後に日の目を見ることになるONE AFTER 909が繰り返し。
コンサートもほぼ毎日というスケジュールの合間を縫っての録音で、スタジオで仕上げていくという感じ。
人気が本物になって来た頃で、ファンへの感謝の気持ちを表した曲だ。
このタイトなスケジュールもまだ苦にならない時期だった。



この写真は、3月5日のものだが、本CDでは、次に1963年9月13日の音源が入っている。
まず、オーストリアのファンへのメッセージ。
本当に楽しそうだ。
当日の活動は、まだヨーロッパ内だけだった。



そして、セカンドアルバム用のHOLD ME TIGHT。
演奏に勢いはあるが、乗りすぎて?テイク29まである。
こう、繰り返して聴くと、初期のビートルズらしいいい曲だ。
1枚目と違って、コンサートの合間を縫って、少しずつ作られた。

その日の夜は、ジョージのDON'T BOTHER ME。
迫力は、ジョン、ポールに敵わないが、ジョージらしく真面目に取り組んでいる様子が、伝わってくる。
こちらは、テイク13まである。

解説によると、ジョンバレットテープの音源も本CDで多く使われているそうで、1990年代、ゲットバックさんで、ゲットしたはずだが、たぶん重複している音源もあるのだろう。

伝説とらなってしまっているビートルズの創成期の音源として貴重。
それにしても、80年代以降、いろんな音源が発掘されて来たなぁ。

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ONE-DAY SESSION

2021年05月28日 | The Beatles



今日は、伊豆に来た。
最高の天気。
ベストシーズンかもしれない。



昨日届いたONE-DAY SESSIONを聞いた。
大ヒットとなったビートルズの1枚目のアルバムのテイク音源を全て集めたという。
1963年2月11日の音だが、音は、ひじようにいい。
セッションは、午前、午後、夜と行われたが、残念ながら夜の部の5曲の音は、ファイナルテイクのみ。
その他の5曲は、最大のThere's A Placeで、13テイクある。
最後に、Please Please Me のアセテート版の音(ハーモニカなし)が、付いていて、これも素朴でいい。
ジョンとポールのボーカルは、初アルバムの録音とは思えないぐらいしっかりしている。
一方、ジョージのギターほ、どこか自信なさげだ。
曲にもよるのだが、難易度か、習熟度合いの違いなのだろう。



それにしても、この気合いの入ったハーモニーというか、シャウトは、自信満々だし、歌い慣れている感満々だ。
オリジナル曲に対する自信も凄い。
声の掛け合いも、ライブ感満載。
プロデューサーのジョージマーチンも、大ヒット間違いなしと思ったろう。

古いスタジオ音源としては、デッカテープが有名だが、ビートルズのその後の飛躍を感じさせる音源としては、こちらの方が断然いい。
もちろんマニア向け。

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ハウステンボス・長崎 異国情緒の街 その8 平和公園・浦上天主堂

2021年05月27日 | Other Western Japan
また梅雨空が戻ってきた?
昨夜の皆既月食も見えなかったし。



ここにも、40数年前訪れたが、このエスカレーターは、たぶんなかった。



広島同様、平和を祈る公園。



残念ながら核戦争の危機は、まだ去っていない。
この祈りが通ずる日はいつ来るのか。



ここに刑務所があったのだという。
爆心地に近く、壊滅状態だったろう。
この遺構も見た記憶がないのだが、前からあったのだろうか。



北村西望作、平和記念像。
1951年に作られた。
2019年にローマ教皇も訪れ、平和のメッセージを発信した。



像の背中には、北村氏の平和へのメッセージが刻まれている。
シンプルな願いなのだが、争いは絶えることがない。



平和を祈る折り鶴。
世界で、2つしかない被爆地の一つ。
もっともっと積極的にメッセージを発信すべきだろう。



平和記念公園の奥にあるのが、浦上天主堂。
1925年に完成し、東洋一の大きさを誇ったが、原爆で、全壊。
1959年に再建され、1981年のローマ法王訪日の際、今のレンガ風の外壁に改装されたという。



原爆の際焼け落ちた塔の先端部分がそのままの姿で残されている。
ドイツでもこのような遺構を見た。



ベトナムで見た大教会を思い出すが、東洋一というから、それらよりも大きいのだろう。



1981年に訪日したヨハネパウロ2世の胸像。
バチカンで狙撃されたので印象に残っている。



立派な教会で、中にも入ることができた。
全体的に青っぽい印象だった。
被爆したマリア像も安置されていた。



山を下りたところに、原爆投下中心地碑がある。
浦上天主堂との距離は、500mほど。
このモニュメントは、浦上天主堂の焼け残った一部を移築したもの。



墓標のようにも見えるが、この上空で、原爆がさく裂した。
小倉も候補だったが、天気が悪く、長崎に投下したと言われる。
当然、今の戦争ルールでは許されない攻撃である。



当時の生活の痕跡が地層に埋もれており、見えるように展示されている。
当時の街の地図も、一戸一戸、展示されていた。



ということで、長崎市内観光1日目が終了。
いろんな型の市電が走っていて楽しいが、この特に古そうなのは、昭和41年製。
ということは、40数年前に訪れた時、既に走っていたことになる。
メンテとかよくできるものだ。



ホテルは、街を見下ろす稲佐山の中腹にあった。
頂上へのロープウェイは休止中だったので、ホテルからこの景色が眺められたちょうどよかった。
ただし、前日から長崎市の自主規制が一段と厳しくなり、ホテル内のレストランをクローズしたとのこと。
しかたがないので、ホテルに送ってもらって、駅近くで、夕食をとった。



時短だったが、新鮮な魚介類をたくさんいただけた。
やはり港に近い地方の海鮮はおいしい。



長崎駅には、新幹線開通の看板が。
確か、途中通過する佐賀県の工事費負担のところでもめていたと思うが、解決したのだろうか。
少なくとも長崎県内の方を先に開通させるようだ。
確かに、今の長崎への鉄道は、なかなか厳しいものがある。



ホテルからの夜景。
時短で少し明かりも少ないのかな?



翌日の朝食も、レストランクローズのため、部屋で。
ルームサービスみたいで、かえってリッチな気分を味わえたかもしれない。



朝のホテルからの眺めはこんな感じ。
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