かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

神秘のウズベキスタンその40 タシケント⑤ ナヴォイ・オペラ劇場

2024年10月24日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、ちょっと温度は高いが、すばらしい天気。
明日から雨が続くみたいだが。



ウズベキスタン旅行の最後の訪問地は、ナヴォイ・オペラ劇場。
本旅行記も最終回。

1947年建造で、1966年の大地震でも倒壊しなかった数少ない建物。
アリシェール・ナヴォイ生誕500年を記念して造られた。
戦前に企画されたものの、第二次世界大戦で、頓挫。
その後、シベリア抑留捕虜になった日本人の手によって建設されたことで有名。
過酷な環境下、手を抜かなかった日本兵の姿に、ウズベキスタン人は、心を打たれたという。



中には、入れなかったが、外の装飾もしっかりしている。
堂々とした建物だ。



日本人が貢献したことを示すプレート。



ユニークな形をした噴水。



最後の買い物は、近代的なビル内のマーケットで。



1階のスーパーマーケットは、充実していた。



そのまま空港へ。



これは、ロシア語?
西風に乗って、順調なフライトだった。
最終日は、暑さと、疲れで、ややバテ気味だったが、ウズベキスタンの主要な都市(+おまけ)を周る充実の旅だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘のウズベキスタンその39 タシケント④ 地下鉄

2024年10月23日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、1日関西。
朝は雨だったが、もう晴れた。



チョルスー・バザールからは、地下鉄で、移動。
こういったツアーでの公共交通機関での移動は、貴重な体験だが、タシケントの地下鉄は、特に駅の装飾が有名。
チョルスー駅入り口。



ここでチケットを購入。



改札は、近代的で、すっきりしている。
QRコード式。



チョルスー駅は、すっきり系。



まず、乗り換え駅の、アリシェール・ナヴォイ駅に到着。
地下鉄に乗って一番驚くのは、我々日本人が乗車すると、座ってたウクライナ人が、一斉に立ち上がること。
ガイドから、事前に遠慮しないで、席に座ってくれと言われていたので、甘えたが、客人を温かくもてなす文化があるのだろう。



アリシェール・ナヴォイ駅の美しさは、特に有名。
宮殿のよう。



物語のレリーフ?



アリシェール・ナヴォイさん。
ティムール朝を代表する文人で、その作品は、オスマントルコでも愛読されたという。



これは、オリンピック関連の装飾か。



プラットフォームの壁には、タイルのデザイン。



到着したのは、初日に泊まったウズベキスタンホテルと地下道でつながっているアミール・ティムール・ヒヨボニ駅。
そこで、バスに乗り換え。



入れなかったが、ティムール博物館。



元は、レーニン像があったそうだが、今は平和なモニュメントに代わっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘のウズベキスタンその38 タシケント③ チョルスーバザール

2024年10月22日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、ゴルフ。
コンディションもよく、スコアもまずまず。
相変わらず、凡ミスもあるが。
終了後、関西に移動中。



タシケントでは1966年に大地震が発生し、壊滅的な被害を受けたがその時に助け合った様子を表す像。



中央アジア最大の規模を誇るチョルスーバザール。
4つの道が交わる場所にあるバザールの意味だそうだ。
100年以上の歴史を持つ。



入り口付近にあった、赤ちゃんグッズのコーナー。
赤ちゃんが生まれると、ここでゆりかごなど一式を贈るのが習わしらしい。



いろいろ見たことがないグッズが並ぶが、おむつを使わず、ゆりかごの下の穴から排泄させる時に使う道具らしい。
そんなにうまくいくのだろうか。



こちらは果物コーナー。
野菜、果物は、どこでも本当に美味しかった。



たまご。
貴重なたんぱく源。



米にもいろんな種類があるのか。



氷砂糖は、熱中症などの時の薬代わりに使われるらしい。



みずみずしい果物が並ぶ。



パスタ、香辛料等。



結局手は出さなかったが、庶民の市場を楽しめた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘のウズベキスタンその37 タシケント② プロフセンター

2024年10月21日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日も家事に従事。
永遠に続く?
今は、大リーグ観戦。
毎試合放送してくれるので、ありがたい。



次に訪れたのが、プロフセンター。
大量にプロフを作っている。
庶民の食べ物でもあるが、ここは、観光スポットにもなっている。



近くにそびえる、タシケント・タワー。
1985年建造というから、旧ソ連時代に、建てられたことになる。



入り口近くには、ナン焼き。
奥で料金を払うと、チケットがもらえて、ここで、チケットと引き換えにナンを受け取る仕組み。
夜に帰国予定だったので、一つゲットした。
タシケントのナンは、ウズベキスタン1というが、黒ゴマが散りばめられているのが特徴。
それにしても、もう少し、楽に焼く方法はないのだろうか。
重労働過ぎる。



プロフの具を作っているところ。
羊肉が中心。



こちらは、盛り付けコーナー。
奥のレストランで、配膳される。



一番ダイナミックなお米を炒めるところ。
タシケントは、オリーブ油だが、サマルカンドは、綿花油、ブハラは、ひまわり油を使うそうだ。
具も地域によって、微妙に違う。
油が、底に溜まっており、中華のさらっと炒めるチャーハンとは、かなり趣が違う。
ピラフの原型と言われているが、紀元前300年代のアレクサンダー大王時代からあったというから、その歴史は古い。
1日千食以上作るということで、庶民の貴重なメニューになっている。



レストランの入り口。
記念撮影スポット。



レストラン内。
予約不可だそうで、ツアーには使いにくいようだが、広々していて、シンガポールのフードコートのイメージ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘のウズベキスタンその36 タシケント① 日本人墓地

2024年10月20日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、ゴルフ。
午前中荒天。
午後は、回復したが、風がずっと強く、力尽きた?



タシケントで、最初に訪れたのが、日本人墓地。
普通の墓地の中に、日本人墓地があった。
これは、そのヤッカサライ墓地の入り口。



お墓を作ってくれた方のお孫さんが、お墓を管理しており、綺麗に整備されている。
ありがたいことだ。
安部首相も訪れたそうだ。



墓碑。



タシケントでなくなった日本人捕虜は、79名。
シベリア抑留では、過酷な環境下多くの日本人捕虜が亡くなったが、ウズベキスタンまで送られた捕虜は、比較的暖かく迎えられ(スターリンに隠れて)、死亡者も少なかったという。
この話は、美談として、教科書にも載っていたそうだが、プーチン時代になって、削除された。



この方が、日本人墓地を作ってくれた方。
ガイドさんが、ウズベキスタンでの日本人捕虜の歴史を調査されていて、その調査資料を回覧してくれた。



少額だが、寄付もさせていただいた。



亡くなられた方の名前が刻まれている。
これだけ、大切にされている国も少ないだろう。



日本とウズベキスタンの平和と友好の碑。
1995年に設置されたとある。



タシケントだけでなく、ウズベキスタン各地で亡くなられた日本人捕虜の石碑が並んでいる。



周りは、ウズベキスタン人のお墓。 
墓石に、写真のような顔を刻んであるお墓が多い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする