かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

I'm in Bhutan

2010年05月31日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
I'm in Bhutan from yesterday.
It is so local but so nice place to stay.
It looks like Swiss in Asia.
Today I'll visit a temple in the mountain.
3 hours walking is necessary to reach the temple.
See you.
Kaneyan
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今デリー空港

2010年05月28日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
昨日、インドに着いた。
初めて、エアーインディアを使った。サービスは最低ランクだが、機体は、777で問題ない。お得感はある。
今日は、現地時間の3時起きで、カトマンドゥに向かう。
今デリー空港で、飛行機待っているところ。
デリー空港はずいぶんきれいになり、新ターミナルも建設中。
空港のサービスもまだまだだが、着実に前進している。
ネパールで、この借りて来た携帯は、使えるだろうか?
ではまたいつか。
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島根・神々の宿る里その22 荒神谷史跡公園

2010年05月26日 | Other Western Japan


帰りの飛行機の時間まで少し余裕があったので、古代出雲歴史博物館でもらったチラシに載っていた、荒神谷(こうじんたに)史跡公園に行ってみることにした。出雲空港からも近い。



手前は、2千年ハス池。千葉県で発見された古代のハスの種を育てたもので、毎夏多くのハスを咲かせるという。奥に見えるのが、荒神谷博物館。
現物は、ほとんど古代出雲歴史博物館にあるので、展示物は、正直たいしたことないが、やはり発掘時のドキュメント映像がすごい。

何にもなかった(荒神谷という地名すらなかった)この荒神谷で、1983年、広域農道建設時に、一辺の土器が見つかり、発掘を行ったところ、何と358本の銅剣がまとめて発掘されたのだ。さらに発掘を進めたところ、その隣で、今度は、銅鐸6個、銅矛16本が発掘された。地下レーダーが威力を発揮した。これらの発掘物は、一括国宝指定されている。

確か、昔、歴史で、銅剣文化圏(九州中心)と銅鐸文化圏(近畿中心)があったと習ったが、同じ場所から、大量に両方発掘されたのだから、常識を覆す発見であったことは間違いない。しかも多く見つかった銅鐸により、その使用法、なども解明されてきている。これも、銅鐸の用途はわからないと習ったものから大きく進歩している。



発掘場所は、埋め戻されているが、近くに発掘状況が再現されている。その時の興奮が、伝わってくる。
奥に見えるのが、銅剣、手前が、銅鐸と銅矛の発掘状況だ。



荒神谷で見つかった銅鐸の複製品をGET。色合いといい、重量感といい、すばらしい出来だ。
ということで、神々の宿る里旅行も無事終了。充実の三日間だった。

明日から、久し振りに、国外脱出。しばらくお休み。すまん。
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島根・神々の宿る里その21 須佐神社

2010年05月25日 | Other Western Japan
昨日の韓国戦はがっかり君だった。個人の技術の差もあるが、それをカバーするチームワークも感じられなかった。リーダーがずっとベンチというのも何か変?



灯台から、一転須佐神社に寄ってみた。距離的には、大したことないが、この辺の内陸は道が整備されておらず、ずいぶん遠回りさせられたように感じたことが多々あった。



文字通りスサノオノミコトを祀った神社。平安時代ごろ、当地に移されたものという。



本殿は、小さいが、典型的な大社造り。階段(きざはし)は、建物の右側にあり、神座は、建物の右奥にある。神社と住宅が分離していなかった古代の姿を残しているという。



本殿の奥には、大杉さんがある。説明書きによると、昔、加賀藩が、帆柱にするために800両で買い受けたいという話があったが、断ったという。



塩の井(しおのい)を呼ばれる小さな井戸があった。
須佐神社の七不思議の一つ。スサノオノミコトが自ら潮を汲み、この地を清めたという。

ちなみにその他の七不思議は、
相生の松→男松と女松が一本の大木となっている(今はない)
神馬→神社に奉納された馬は、白くなり、異常をよく予知した
落葉の槇(おちばのまき)→槇の葉に松葉で通した孔がある槇の喬木で、スサノオの奥さんのイナダヒメがお産の時、産具を柏の葉で包み、松の葉で綴じて流したのが、元という。須佐神社の神紋の元にもなっている。
影無桜→隠岐の国の不作の原因が須佐大宮の境内の桜が影を差すことが原因ということで、その桜を切ったという故事にちなむ。
星滑(ほしなめら)→須佐の中山に岩山の露出しているところに白の斑点があり、豊年になればその斑点が多い。
雨壺(あまつぼ)→神社の西を流れる川に沿って、下ったところに岩があり、その中の直径二尺ほどの芝生を犯せば洪水になるという。

ということで、これが七不思議?
素朴な昔ながらの生活に根付いたいろんな逸話が、七不思議という形で、伝えられたのだろう。

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島根・神々の宿る里その20 日御碕灯台

2010年05月24日 | Other Western Japan


出雲大社から、国引き神話では新羅から引っ張ってきたとされる杵築(きづき)方面にある日御碕(ひのみさき)灯台に向かった。
八雲立つ風土記の丘で購入した図録には、こう説明されている。

大きなすきを手にとって、大きな魚の身を割くように新羅の土地をぐさりと切り離しました。
そこで強い網をかけ、霜枯れたかづらを「くるや、くるや」とたぐり寄せるように、また河船を「もそろ、もそろ(ゆっくり)」と引くように、「国来(くにき)、国来」と、いいながら、引き寄せました。
そうして縫いつけた国が、杵築(きづき)のみさき(日御碕から出雲市小津付近)です。この時引き寄せた国を固めるために立てた杭が佐比売(さひめ)山(三瓶(さんべ)山)になり、引いた綱は、園(その)の長浜(稲佐(いなさ)はま)となりました。


すばらしい日本海の眺めを堪能しながらのショートドライブとなった。



灯台らしい灯台だ。世界の灯台100選に選ばれている。明治33年から、3年かけて、日本人技術者により建設されたという。高さ43.65mは、日本一。107歳の灯台ということになる。



灯台に上ることができ、絶景だ。でも、すごい風。眼鏡も飛ばされるそうで、立っているのもやっとだった。
これは、出雲方面を眺めたところ。左前方に、出雲大社、稲佐の浜。右前方に三瓶山があることになる。



眼下では、波が砕け散っている。



灯台のレンズも真近で見れる。くるくる回る部分は、水銀の池に浮かしてあるそうだ。昔ながらの技術なのか、今造られる灯台もそうなのか?



もちろん、エレベーターなどなく階段を上ることになるのだが、途中、灯台がレンガでつくられていることがわかるようになっていた。



駐車場から灯台へ向かう道には、ちょっとした土産物屋が並んでいて、海鮮丼をいただいた。リーズナブルで、おいしかった。
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