杉内選手が、ノーヒットノーラン達成!おめでとう!
たまたま見てたんだけど、完全試合寸前(あと一人)で、実は、残念って感じ。
達成してたら、1994年の槙原以来だったそうだ。
本書のことは、某雑誌で、数カ月前に知った。驚いた。
著者は、”グループ1984年”。村上春樹氏の、”1Q84”を思い出すが、村上氏が、この”グループ1984年”を意識していたかは知らない。
実際は、その10年前の1974年に書かれたものだ。
1974年と言えば、オイルショックなどは、経験していたけど、バブルが発生して、バブルが破裂して、20年の景気低迷が続く日本など、想像すらできなかった時代だ。
まさに、今の日本を予言した書。信じがたい。
プラトンによれば、ギリシャの没落の原因は、欲望の肥大化と悪平等とエゴイズムの氾濫にあり、道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会秩序を崩壊させていったという。
今のギリシャ、日本のことを思うと、どきっとする指摘だ。
ローマ帝国の衰退も似たようなパターンである。国家は、中から衰退していったのである。
本書は、日本もこのままだとそうなると、今から40年近く前に警鐘を鳴らしていて、それが今でも、まったく古臭くない警鐘に聞こえるのだ。
決してカタストロフを考えてみようとしない日本人の国民性は、長所ともなるが、致命的な短所にもなる。
本書があげる日本の重大な困難は、資源・エネルギーの重大な制約、環境コストの急上昇、労働力需給のひっ迫と賃金コストの急上昇だ。
日本は、その困難をとっくの昔にどっぷり味わって、今は、中国などが、同じ経験をしていくタイミングになっている。
日本人の思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化が、便利さの代償として生じていると指摘している。同じく、情報化の代償として生じているという。つまりマスコミの普及と教育の普及の代償として、おつむが弱っているのだ。
確かにそうだ。情報の汚染の問題は、特に、昨今の政治の混迷、大震災後の動きを見ると典型的に表れている。
情報汚染の弊害としては、人間経験のなかに占める直接経験の比重が相対的に低下し、それに代わって、マス・コミュニケーションの提供する情報を中心とする間接経験の比重が飛躍的に増大したことの副作用、情報過多に伴う各種不適応症状の問題がある。
40年前言われていたことが、数十倍の規模で、今の日本を覆っているようではないか。
過去の諸文明の没落からの教訓もまとめてくれている。
①国民が狭い利己的な欲求の追求に没頭して、みずからのエゴを自制することを忘れとき、経済社会は、自壊していくしかない。
②国際的にせよ、国内的にせよ、国民みずからのことはみずからの力で解決するという自立の精神と気概を失うとき、その国家社会は滅亡するほかはない。
③エリートが精神の貴族主義を失って大衆迎合主義に走るとき、その国は亡ぶ。
④年上の世代は、いたずらに年下の世代にこびへつらってはならない。
38年前に発表された本文の後、今だから話せる話とか、先日講演を聴いた中野さんのコメントなども載っていて、これまた極めて面白い。
このグループ1984年は、実は、G大学教授のK氏1人だったらしいということが明かされる。K氏は、1人で書いた原稿を、ゼミ員にばらばらに代筆させ、共作であるかのようにして、出版社に届けたという秘話が明かされる。
中野氏の指摘は、またまた鋭い。40年前と、今とでは、大きく経済環境が違うことを述べた上で、日本の内部的な危機についての共通点を指摘している。
一つ発見は、本書で描かれる当時の国鉄は、腐りきっていたのだが、今は、大手術により、随分改善していることだ。
早川種三さんという、高校・大学の先輩の講演を、はるか昔聞いたことがあって、(まさに本書が出たころのことだ)、国鉄解体の話をされていたのを覚えている。
当時は、夢物語と思ったが、それが実行され、国鉄は、JRとして再生した。
もちろん痛みは伴うが、一つ一つ取り組んでいけば、光明は見えるてくると思うのだが。