今日も、日中バタバタだったが、夜は久しぶりの、夕学講演会。
テーマは、「イスラエルとパレスチナ相克の歴史」で、講師は、慶應の教授の錦田愛子さん。
この戦争は、連日報道されているが、なんでこうなってしまったのかすっきりしなかったので、受講した。
総合的なお話が聞けて、よかった。
今の問題が始まったのは、1948年以降の話で、宗教対立ではなく、政治問題、領土問題であることから、頭を整理しなくてはならない。
それまでは、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が、普通に一緒に暮らしていた。
そして、その問題は、1993年のオスロ合意で、解決への道筋が見えて来たにもかかわらず、その後またパレスチナが、何度も攻撃を仕掛け、そのため、イスラエルでも右派が台頭し、対話による解決の道は、閉ざされてしまった。
パレスチナは、イスラエルの中の2つの自治区の中に封じ込められただけでなく、じわじわと侵食を受け、また、テロ集団だったはずのハマスがファタハに民主的な選挙で勝利してしまったため、経済制裁を受け、困窮していく。
この選挙は、監視団が見ていた上での選挙だったそうで、当時のパレスティナ人の総意と言える。
つまり、当時のパレスティナ人は、(西欧側の基準で言えば) 左派だったのだろう。
その後の選挙は、オスロ合意の際、4年毎とされたが、まだ2回しか行われておらず、ハマスが勝利した後は、一度も行われていない。
ファタハは、ヨルダン河西岸を支配し、ハマスは、リスク分散のため、一部が、カタールを拠点としており、パレスチナ自治政府は、3箇所に分かれてしまっている状況。
イスラエルのそれまでの行いについては、何度も国連から、是正勧告がなされていたが、アメリカが黙認を続けていたため、イスラエルのやりたい放題が続いていた。
ハマスは、落ち着いてしまったように見える中東に再び世界に目を向けさせ、上手く行けば、イスラエルから何らかの譲歩が得られるのではないかと、今回の暴挙に出たが、やっていることは、テロそのものであり、国際社会からの支持は得られず、イスラエルからの反撃により、元も子も失いつつある状況。
イスラエルも人質が返還されるまでは、極右政党も含む政権であり、停戦は不可で、現状になっている。
ただ人質を返してしまえば、ハマスは、頼るものがなくなってしまうので、出来ず、戦争を続けざるをえないジレンマ。
戦争反対運動が起こっているが、人道問題を掲げてはいるが、税金や学費が、戦争に使われていることに対する怒りが中心になっている。
一番理解が深まったのは,ハマスが何故こんな暴挙に出たのか、そしてイスラエルが何故こんなに右傾化したのかの背景が見えて来たことだ。
テレビでは、人道問題ばかりを取り上げるが、もう少し遡って、特に、オスロ合意以降の歴史を踏まえながらの議論をするべきだろう。
ただ、このままでは、ハマスが崩壊するか、イスラエルの現政府が倒れない限り、戦争は続きそう。
イスラエルへの金と武器の流れを、一旦止めるしか、方策はないか?
久しぶりにに東京駅の夜景を見た。
経済が混乱する前に、素晴らしい駅に生まれ変わって良かった、