かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

アッシリア 人類最古の帝国

2024年11月25日 | Books
今日も、ちょっと涼しいが、すばらしい天気。
大量の家事?に一所懸命取り組んだ。



本書は、まだ、出たばかり。
本屋で見つけた。

面白かった、というよりほとんど知らないことばかりだったので、新鮮だった。
アッシリアは、大英博物館で展示など見てて、存在は知ってたのだが、どの辺?いつ頃?のイメージが定まらなかった。

本書でわかったのは、メソポタミア文明(特に楔形文字)を受け継ぎながら、今のシリア(名前がアッシリアからきている説も有力という)あたりを,中心にして、イラクあたりから、地中海に面するところまで勢力を広げた大帝国だったということ。
その次の時代に勢力を誇ったのがアケメネス朝ペルシャになるが、アッシリアの威光は、意識されていたという。
しかしその歴史は、西洋の文献には、断片的にしか現れず、アッシリア人自身が記した大量の文書に残されていたのだという。
その量が凄い。
エジプトや、中国に負けない量だ。

楔形文字は、泥に刻まれるため、多くの土版が発掘され、解読された。
とっつき難い文字だが、元は象形文字で、600種類ぐらいの文字があるのだという。
ヒエログリフのようなデザイン性にかけることから、さっぱり人気がないが、かなり詳細に、王の歴史、建設事業、生活・風習などが、記されているという。

それにしても、戦いの多かったこと。
人類最初の帝国から、戦いを繰り返していたのだから、人類は、戦う動物と言われても仕方がない?
ところが、紀元前600年頃、この大帝国は、忽然と姿を消す。
気候変動もあったようだが、内政の混乱、外敵からの攻撃など、複合要因が重なったたら考えられるという。
ただ、もちろん人民は、その地に生き続けている。

大英博物館で見たアッシリア帝国の遺物は、見た目にも、質的にも素晴らしいものであったと記憶する。
その一部でも日本に持ってきて、アッシリア展でもやったら、結構受けるのでは?
オリエントの地に、最初に一時代を築いた帝国の概要を知ることができた。
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出雲神話

2024年11月24日 | Books


今日は、ゴルフ。
いい天気だったのだが、調子最悪。
どうしてこんなにコロコロ変わるのか?



本書は、本屋で見つけた。
元は、1976年に出た本だ。
帯に、時代を超えて読み継がれる最良の入門書とある。

が、結構難しい。
注釈無しで、いろんな神々が出てくるし、海外の神話との比較も随所に出てくる。
記紀、出雲風土記に精通していないと、なかなか読みこなせない水準かと思う。

ただ、かなり今の議論とは、違う考え方が、支配していることがよくわかる。
つまり、出雲には、政治的な大きな力があったと言うのは、6~7世紀に作られた記紀の誇張または、創作がほとんどで、出雲の中の権力争い、または、宗教を巡る争いを、大和朝廷の歴史につなげたものであるというのが基本的な考え方だ。
そのストーリーの中心になるのが、スサノオやオオナムチだが、記紀と出雲風土記に残されている内容が大きく異なっていることが、その大きな根拠になっている。
特に、出雲風土記に描かれた、より穏やかな姿を重視する。

三浦氏の後書きにもあるが、その後、出雲を中心とした日本海側で、弥生時代の遺跡の考古学発見が相次ぎ、当時の大和朝廷よりも、進んだ文化、政治的権力があったのではないかという考え方が主流になっており、そういった意味では、本書は時代遅れということになる。
ただ、その総合的な日本の古代神話に対する考察は、今も通ずる考え方であると評価する。
確かに、日本海側における考古学発見がほとんどなかった中で、どのような議論がなされていたかがわかるし、その集大成が本書なのかもしれない。
古代史はのアプローチの仕方を伝えてくれる興味深い一書だった。
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伽耶/任那

2024年11月23日 | Books
今日は、昼会食があるが、ゆったりした1日。
ちと寒い。



本書は、本屋で見つけた。
古代史ブームが続いている感。

伽耶/任那は、古代に韓国南部にあった国々の総称だが、実態は、よくわかっていない。
それを、本書は、原典を丹念に読み込むことにより、実態に近づこうとする。
近年の考古学的発見もあり、より明らかになってはいるが、まだまだの面も多いことがわかる。
それの最大の原因は、伽耶/任那が滅亡してしまったために、中国や、百済や、高句麗や、日本書紀のような他国の史書にしか残されていないことが大きい。
各国の都合による潤色が多く、真実が隠されてしまっている。
かつては、全否定される資料まであったが、本書は、一つ一つ検討を加えている。

4世紀ぐらいまでの歴史は、知らない国名も多く、場所の比定も困難で、なかなか頭に入って来ないが、以降は、大和朝廷も絡んで来て、面白くなってくる。
それにしても、今日の友は、明日の敵。
ころころと戦う相手が変わる。
そして、百済と新羅に挟まれた伽耶/任那は、取り込もうとする両国に取り込まれてしまう。
その中で、大和朝廷は何をしたかというと、ほとんど動けなかったのが、実情では?と。

日本書紀では、任那日本府があったとするが、その実態は、大和朝廷が人を派遣することはあったが、支配関係にはなく、倭系の在地豪族集団であり、百済と対抗する勢力の総称と考える。
したがって、任那復興会議でも、まとまりに欠け、国としては消滅。
任那に属さない倭系の人々も存在して、彼らが韓国の技術や文化を大和にもたらした。

朝鮮半島の三国の狭間で、蠢いていた伽耶/任那の様子が少し見えて来たような気がした。
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天皇たちの寺社戦略

2024年11月20日 | Books
今日は、冷たい雨。
4月から取り組んでいる膨大な作業の一つの山を越えた。
まだ、多くの山があり、まだ数年かかりそう?



本書は、本屋で見つけた。

ほとんど著書は読んでいると思う武澤さんの本。
武澤さんの本は、結構斬新な切り口で、古代史を語ってくれるので、読む度に驚きがある。
かつ、ベースがしっかりしているので、説得力も大きい。

本書は、法隆寺、薬師寺、伊勢神宮の建築から、8世紀初頭の天皇家の権力争いを裏付ける。

まず、法隆寺。
中門の中央の柱は、梅原猛さんの聖徳太子鎮魂説がかつて人気を博した。
私もその書で、古代史に興味を持つようになったと言っても過言ではない。

武澤氏は、それは門の左側が五重塔、右側が金堂への入り口という。
それは、その前にあったとされる(遺構が近時発見され、やっと場所が特定された)百済大寺に門が二つあったことから推理されるという。
そして、中門が異常に大きいことにより、中門と、五重塔と、金堂が、三角形になる。
これが大きな意味を持つ。

その前にあった焼けてしまった法隆寺(若草伽藍)は、四天王寺と同じ、縦一線となっており、同じ寺の再建とは思えない。

再建論は、ほぼ決着が着いているが(その前は、歴史から迫る派と、建築様式から迫る派と大論争が続いていた)今目の前にある法隆寺誰が建てたのかの議論は、ない。
聖徳太子は、既に亡くなって久しいタイミングだ。
それを考えると、何故様式が大きく異なっているかの答えも出るのではないかというのが、著者の論点だ。

その議論に薬師寺の議論、伊勢神宮の議論を重ね合わせると、当時のどろどろした政局?が、大きく関係していることが見えてくる。
その主人公に、踊り出るのが持統天皇だ。
そして、三角形?
この手の議論は、我田引水的な匂いが強く感じられるものだが、本書は、そうならないように、積み上げ型で議論を展開しており、読み進みやすい。
結構、大胆な内容になっているが、首肯しながら読めた。
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古建築を受け継ぐ

2024年11月19日 | Books


今日は、ゴルフ。
午前中、北風ビュービューでたいへんだったが、午後には、回復。
スコアも午後は、良かった。



本書は、新聞広告で見つけたのかな。
本屋で探して即ゲット。
技術系の棚にあった。
面白かった。

最初の方は、掘立柱から礎石建物になる話とか、屋根に瓦葺きが増える話など、構造的・技術的な話が多かったが、そこから、話は、どんどん膨らみ、古建築が今までどのように引き継がれてきたかを、様々な事例を引用しながら、論評している。
古建築を引き継ぐというと、なるべく元に近い形で残すのがいいのではと考えてしまうが、話は、そう単純ではない。
元の建築に構造的な問題があったり、歴史的に同場所で引き継げないことがあったり、経済的な限界があったり、そもそも未完のものがあったりと、ケースは様々だが、それぞれに理由があり、修繕時には、それぞれの時代の考え方が反映される。
その際のキーは、ソフト面の引継ぎと、ハード面の引継ぎのバランスをどう考えるかという哲学的なものだ。

例えば、世界最古の木造建築と言われる法隆寺金堂も、大きく改変が加えられており、それが、今は、良しとされている。
修繕されたものが、新たな歴史のスタートになるという考え方。
平等院鳳凰堂は、当初は、池に浮いているような構造だったが、今は、池と建物の間に庭が設けられている。
水が、建物に悪影響を与えたためと考えられている。
要するに、当初のままで保存するというのは、誰もが期待するのだが、そう簡単ではないということだ。
今話題の明治神宮外苑の問題も、明治神宮をいかに維持していくかという経済的な問題に端を発しており、一概に非難するのは当たらないとする。
強力なスポンサーがいれば別だが、国の文化に対する予算は、極めて貧弱という。

時代時代で、その時のベストを追求していくしかないというのが、結論になろうか。
保存の仕方については、いろいろ議論がなされて、基準が定められてきたが、修正が加えられている。
特に日本の建築は木造のものが多いから、どうしても、途中修理が必要になり(小規模修繕は、数十年に一度、大規模修繕は、数百年に一度必要という)、この議論は、欠かせない。
全く建物が失われてしまったものに対する復原には、批判が多いそうだが、私は、ベストな検討を加えて上での、再建であるから、それはそれでいいのではと思ってしまう。

様々な、建築が図面付で解説されているので、それらも極めて興味深い。
今後も寺社巡りは、続けていきたいが、本書で書かれてことを思い起こしながら、見ていきたい。
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