今日は、ゴルフと、飲み会のダブルヘッダーだったが、両方とも楽しめた。ゴルフの方は、猛暑の対処療法にも慣れてきたし。飲み会は、(相当)昔の仲間に再会できたし。
『ウルトラマンになった男』は、ウルトラマンの着ぐるみをかぶった古谷氏の本だ。
だれが、ウルトラマンの着ぐるみをかぶったかと聞かれて、応えられる人は少ないと思うが、古谷敏氏は、TVの何の番組に活躍したでしょう?と聞かれれば、我々世代は、ウルトラマンと答えられる人が多いのではないか。
それだけ、番組の冒頭の切り絵風タイトルバックは鮮明だったし、そこで表れる古谷敏氏の名前は、しっかりと、我々の脳にインプットされているはずだ。
その古谷氏が、ちょっと前になるが、自伝を出している。
古谷氏し書けない紆余曲折の人生が描かれている。
ウルトラセブンで活躍していた隊員と、ウルトラマンの着ぐるみの中にいた人が一緒だったなど知らなかったし、その後、プロダクション経営をされて....などの話は、全く知らなかった。
本書の一番のポイントは、俳優志望の古谷氏が、顔の出ないウルトラマンの着ぐるみに抜擢された時のことだろう。
その気持ちの葛藤は、想像しても、しきれない。彼も、相当悩んだという。出演するだけでも、相当なやんだろう。ましてや、顔の出ない着ぐるみだ。
でも、彼は、受けることを決断し、ただやるだけではなく、徹底的に練習して、収録に臨んだ。
だから、ウルトラマンはブームになったし、我々の脳裏に、深く刻み込まれることになった。
もし、ふにゃふにゃウルトラマンだったら、すぐにそっぽを向かれていたろう。
古谷さんありがとう。そして、これからもお幸せに。
山の辺の道を歩んで以来、出雲に行ったり、古代史の本を読んだり、結構、はまっている。本書も、大きな書店では一時平積みになっていたから、読んだ方も多かろう。
作家の山形氏は、アマチュアだが、中国の正史24史と清史稿48冊など、総数289冊3668巻を読破したという。惜しくも、いろいろ大きな発見があった昨年亡くなられたが、本書は、1995年の著作の改訂版になる。
邪馬台国は、何故だらけ。魏志倭人伝に残る邪馬台国の記録を巡っては、特に江戸時代以降、激しい議論が戦わされてきた。その辺の書も多く読んだので、いつか紹介したいが、この本は、その論争の止めをさす?
邪馬台国は、日本ではなく、韓国にあったのだ!!
あまりにも突飛に思うかもしれないが、中国のいろんな本を読むと、そうなるらしい。
我々は、教科書で、今の北朝鮮が、高句麗、韓国が、百済と新羅。そして、日本は、百済に味方したが、唐をバックにした新羅が、朝鮮半島を統一するに至ったと、習った(と思う)。
しかし、山形氏は、膨大な中国の書を読み、高句麗は、今の中国にあったに違いないという。百済、新羅の位置は、ずり上がり(百済は、遼東半島辺り)、倭は、朝鮮半島にあったのだ。
何故こんなにずれるのか。
当時の中国にとっては、朝鮮半島、日本は、まさに秘境であり、その状況は、よく把握されておらず、中国の書においては、極めて曖昧な記述になったのだ。そうすると、邪馬台国の場所についての記載の謎も解かれる。
また、倭から、百済支援のために、たびたび軍を送れたという謎も解ける。
卑弥呼にぴったり該当する日本の王が見つからない謎も解ける。
では、何故、この説が無視され続けるかというと、この説によれば、韓国は、中国にあったことになり、日本は、韓国にあったことになり、日本は、空っぽたったことになり、各々の国史がぐちゃぐちゃになってしまうのだ。
うーーん。
でも、一昨日の本でも紹介した北朝鮮にある古墳群は、誰のもの?
慶州で見た古墳群は、倭のもの?
日本に残る古墳は、誰のもの?
倭は、いつどういう風に大和につながるの?つながらないの?
ちょっとの謎を解決するために、謎が百倍になって返ってきてしまうようにも思う。
中国の本と、韓国の本と、日本の本を全部読んで、3国の遺跡を全部調査しないと、真実はわからない?
たまたま本屋で見つけた本だが、凄い本だ。まだ、出たばっかり。
私は、旅行のついでに、いろいろな仏像に出会う機会を得たのだが、著者の杉山さんは、学生時代から、その道一筋。80歳を超えるご高齢で、本書を著わした。
仏像の起源というと、ガンダーラとマトゥラーを思い起こす。本書もその辺については、徹底的に分析しているのだが、もっと深く追求し、西亜細亜文化の影響についても、分析している。
仏像のポーズ(たとえば、右手を前にかざすポーズ)などは、西亜細亜の像に見られるのだそうだ。様々な仏教用語もイラン語に起源を求めることができるものが多くあるという。
仏様の特徴である32の相の説明も圧巻だが、それぞれの起源についても、亜細亜の様々な文化(特に西亜細亜)の影響が見られるという。
元々、仏像は、仏様が入滅されてから、はるか後に造られ始めたのだから、当初の教えとは、関係ない。その後のユーラシア大陸の文化の交流の中で、生まれたものだ。
本書では、南亜細亜、西亜細亜文化の、仏像に対する影響を徹底的に分析した後、それが、東亜細亜に与えた影響についても、触れている。
中国のごく初期の仏像などは、インドインドしている。面白い!
仏像の変遷を研究することは、亜細亜の文化の交流を研究することに他ならない。
巻末に、仏像及び仏教関連地図がついているが、シルクロードと、三蔵法師が歩んだ地域と完全に重なる。
仏像が、今人気のようだが、この本から始めると、ほんまもん?
亜細亜は一つ?
よく行く本屋の中に、松丸本舗がある。松岡正剛さんプロデュースの本屋だ。本屋内本屋というコンセプトだが、単なる本屋ではなく、濃いコンセプトの古本屋が集まったみたいな不思議な空間だ。
私の好きなのは、松本清張コーナーだが、松本清張の本だけではなく、松本清張が読んでいた本が並んでいる。この、高句麗の壁画古墳もそこで見つけた。1972年発行の本だが、少し黄ばんではいるものの、定価で販売されている。
東京駅を利用される機会があったら、一度、お立ち寄りになることをお勧めする。
この本自体は、かなりマニアック。特に、北朝鮮の学者が書いた本の翻訳本など、今は考えにくい。当時、すでに、北朝鮮との国境は断絶されていたものの、今ほど完全拒絶ではなかった。著者も、高松塚が発見された時、調査のため、来日したらしい(この本を著わした後)。今では考えられない。
序文からしてすごい。
『周知のとおり、日帝は朝鮮と中国東北地方を侵略しつつ、御用考古学者らを動員して朝鮮および中国東北地方の考古学的調査を実施し、これらの考古学者らは数多くの遺跡を破壊し、貴重な遺物を略奪して行った。破壊略奪行為は占領時代さらにひどくなった。朝鮮人民が子々孫々だじに保存してきたわが朝鮮民族の高貴な文化遺産は、侵略者らによって無残に破壊された。彼らは「科学」の仮面をかぶり、わが民族文化遺産に対する悪宣伝をし、これによって自らの侵略の本質を隠蔽しようとはかった。』
今だったら、このような序文を持つ本が翻訳されるだろうか。
ただ、その後の一層の関係悪化により、文化交流の発展が、全くなかったのは、日本でその後も数多くの新発見があったにもかかわらず、本質的な、議論が進まない大きな原因の一つになっている。もちろん、一番の原因は、宮内庁所管の古墳の発掘が、ほとんど認められないことによるのだが。
この本を読むと、朝鮮ですら、中国、朝鮮、日本の、古くからの関係を掘り起こすことのリスクを冒しながら、研究を進めたことがわかる。日本では、なおさらだろう。元々の日本人は、駆逐されており(アイヌ人?)、今の日本人は、ほとんど、大陸からの移民だったということになりかねない。
本書では、高句麗(北朝鮮と中国の北朝鮮に隣接する地域を想定)の古墳群の分析を、形状面と、壁画のデザイン面から行っている。
形状面からは、北のものの方が古いと分析している。
壁画のデザインについては、人物像中心のものから、四神像中心のものにシフトしていったと分析している。
そういった意味で、中国文明の影響を認めているのだが、そのまま模倣したものではないことも、強調している。
日本では、それらの古墳文化が、一挙に押し寄せた思われるのだが、やはり、中国、韓国、日本が、共同で同じ水準で、調査を行わないと、これ以上の進展は、ないのではないかとも感じる。
平山さんが、北朝鮮との関係が最悪の時期に、北朝鮮を訪問したのも、その思いが高じたものと思う。ずいぶん批判されたが。
中国の一部の遺産とともに、これらの古墳群は世界遺産に指定されているが、いまだ、資料は少なく、訪れることもできない。そういった意味でも、本書は、今では貴重な本になっているのではないか。
この本は、読まれた方が多いだろう。今も、本屋に平積みになっている。
ほとんどの人と同じように、私も、NHKの放送が始まって、この本の存在を知った。
この本を読んで私が共感するのは、水木さんの漫画が世間に受け入れられていく過程と、昭和の都下の風景だ。
水木さんは、世代的には親の世代だが、田舎から、わけもわからず都会に出てきて、苦労する姿は、親の姿ともだぶる(私の親は、福島と、金沢出身である)。
今週は、悪魔くんのTV放映の場面になっているようだが、まさにその時の視聴者ど真中が我々世代であった。
特に漫画マニアでもない私が、この悪魔くんを見たのは、当時、特撮物や、怪奇物がはやりだったのだ。ゲゲゲのアニメが最初だったら、見ていたかわからない。
その中でも、悪魔くんは、異色だった。テーマソングは、今でも覚えているが、水木さんご自身の作詩だそうだ。
『エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、回れ地獄の魔法陣!』
そんなに怖かった記憶はない。赤影とか、怪奇大作戦とか、結構、もっとおどろおどろしい番組があったように思う。
もちろん、水木さんが原作者だったなど、知るよしもない。
その後、ゲゲゲもTVデビューを果たし、長期ヒットになるのだが、私の頭の中では、てっきりゲゲゲが先だと思っていた。
本書によれば、ゲゲゲを先にしようと思ったが、悪魔くんが先になってしまったようだ。もしかすると、我々世代のブームを勘案しての決定だったのかもしれない。
もう一つのポイントは、昭和30年代から40年代の、質素な、でも何故かみんな明るい未来を思い描いているあの空気だ。
調布にお住まいだったそうで、私も当時その隣町に住んでいて、深大寺公園には、よく親に連れて行ってもらった。回りは、畑だらけで、養豚場が臭かった。家は、板葺のボロ屋で、道路はあちこち工事中で、泥団子で、戦争ごっこをして、よく怒られた。
派手な物語ではないが、広い世代が共感できる物語だからこそ、そして、前向きだった日本を思い起こさせるからこそ、じわじわ人気が続いているのだろう。
水木さんご夫妻ありがとう。