かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Peter Asher のサイン

2017年05月31日 | The Beatles


Peter Asherさんのサインをゲット。
いろんな顔を持つ人だが、Peter & Gordonで、名声を得て、その後、プロデューサーとして、様々な歌手を、世に送り出した。
妹の、Jane Asherは、PMの元カレで、Apple社創設時の主要メンバーで、ザップルレコード興亡記にも何度も登場していた。

ということで、音楽業界で、多くの成果をあげた人だが、一番たぶん有名なのは、James Taylorや、Linda Ronstadt、Neil Diamondのマネージャー、プロデューサーとしてだろう。Apple社で、James Taylorを発掘し、育てたことが、きっかけになっている。
Sony MusicのSVPも務めた。

手紙の内容は、1970年12月、James TaylorのSuite For 20G'の録音にかかるもので、録音に関わった5人の名前と、楽器が記されている。
Robbins Music Corporationというのは、彼の会社だろうか。スタジオ使用料の支払いも指示している。

すっかりビジネスマンだが、Asherさんの音楽業界の発展に対する貢献度は、高い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Lee Eastmanさんのレターと封筒

2017年05月30日 | The Beatles









これらは、1979年と1982年の、リンダイーストマンの父である、リーイーストマンの出したレター。
内容は、誕生祝いや、プレゼントをいただいたことに対するお礼のレターのようだ。
律儀な方だったのかもしれない。

リーイーストマンは、ビートルズ解散のゴタゴタの時、娘の旦那のポール側につき、アランクレインにぞっこんの3人と、対立することになってしまったが、ビジネス的に言えば、リーイーストマンの言ったことの方が、正しかったことがわかっている。
ポール側が訴える形になったが、そうしないと、法律的に、ビートルズは解散できなかったのだ。
その訴訟は、1970年代半ばに終了するが、このレターで、その後も、リーイーストマンが、音楽業界に関わり続けていたことがわかる。

著作権ビジネスで、中心的な役割を果たし続け、ポールは、おかげで巨万の富を得たとされる。

1910年生まれであるから、このレターが書かれたころは、既に70歳ぐらいであった。
1991年に亡くなられたが、リンダが、その後倒れることは予測できなかったろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Freda Kellyさん のサイン

2017年05月29日 | The Beatles


数年前、ビートルズファンクラブを仕切っていたころの思い出をかたったDVDを出したFredaさんのサインをゲット。
しかも、ごく初期のファンクラブのレターにサインをしたものだ。

日にちは、1963年4月4日になっており、まだ、ビートルズ旋風が吹く前の時期と思われる。
ビートルズマンスリーマガジンは、まだ発刊されていなかった。

Fredaさんは、17歳の頃、キャバーンクラブでビートルズの追っかけをやってて、Brian Epstein の目にとまり、ファンクラブの事務をやってくれと頼まれた。
親には、反対されたが、結局引き受けることにして、解散まで、その仕事は、続いた。
当初、自宅を、ファンクラブの事務所の住所にして、たいへんなことになったという伝説が残るが、このレターは、その自宅の住所の頃のものかもしれない。

5シリングを払えば会員になれたようで、会員になると写真が送られたようだ。

4人に関する質問があったら、なんでもどうぞとあり、手作り感あふれるレターになっている。
ナンバーは、1440となっており、その後の騒ぎを考えたら、まだまだ少なかった時期ということだろう。

面白いものをゲットできた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慶早戦

2017年05月28日 | Sports


今日も、皐月らしい、暑くもなく、寒くもない、すばらしい天気。
今日、慶応が勝てば、久しぶりのリーグ優勝ということで、神宮に行ってきた。
ちなみに、早慶戦は、慶応から見れば、慶早戦。
これ、常識。



いつも、人数では負けてしまうが、流石に、今日は、慶応応援団も相当気合が入っている。



シーソーゲームの中、慶応が優位に試合を進めたのだが。



チアガールも、大張り切り。



逆転!



リードのまま7回まで来たのだが。



気合を注入!



でも敢え無く逆転を許し終了。
残念。
早稲田の勝利が決した瞬間歓声が上がったが、何と立教OB!
慶早戦は明日もあるが、リーグ優勝とは無縁のゲーム。



とういことで、残念会を銀座天国で。
正直、今年の六大学は、どんぐりの背比べ?
ということは、秋季には、誰にでもチャンスあり?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Pattie Boydさんの サイン

2017年05月27日 | The Beatles

今日は、ゴルフ。
気温が意外と上がらず、ゴルフにはちょうどいい気候。
スコアは、並。
来週に期待。



2017年4月は、ポールとパティの来日が重なり、盛りだくさんだった。
ポールは、何回も来日しているが、パティは、初めて。
トークイベント、二つの写真展と、大サービスだった。
いろいろサイン入りグッズを買い集めていたら、何と8個もサインがたまってしまった。
前から持っていたのも含め、9個。
当然、ビートルズ関係者のサインとしては、最多。

グッズとしては、この小さな写真集が一番。
パティさんの気持ちのこもった、写真が厳選され、年代、タイトル付だから、背景もある程度わかる。
トークイベントでは、より詳細に、本人から一枚一枚、解説があった。
ここにあるサインは、印刷。



ただ、内側に本人のサイン。



そして、フォトプリント5枚それぞれに、本人のサイン。
これは、ジョージとのツーショット。
ツイギーと共に、モデルをやっていた方だから、ジョージが惚れたのも、無理ない。



ビートルズの4人の写真は、全て、リシュケシュに瞑想に行った時のものだったと思う。



ジョージとマハリシヨギとのツーショット。



フライヤーパークでのツーショット。
幸せそうな二人だったのだが。



やはり、インドでのジョンとポール。
自然な二人がいい。
この写真のみトークイベント会場で購入したもので、裏にもなぜか本人のサインがある。



そして、ポストカードに書いたサインもおまけにいただいた。

ということで、計8個という訳!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする