かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ポールソン氏

2006年05月31日 | Books

アメリカの財務長官(日本で言えば財務大臣)が、ポールソン氏に代わった。たまたま、同じくゴールドマンサックスから財務長官になった、ルービン氏の回顧録を読んでいたので、おっ!と思った。USAの政財界の人材の動き方は、日本と大きく異なる。
ルービン氏後の財務長官交代の歴史を見てみると、ルービン氏→サマーズ氏→オニール氏→スノー氏→ポールソン氏と代わってきたようだ。Wikipediaで見たのだが、もちろんポールソン氏の名前は、もう載っていた。写真は、まだスノー氏だったが。

ルービン回顧録は、実はまだ読み終わっていない。あまりにもまじめすぎて、意外感もなく、読むスピードを遅らせている。ただ、歴史の資料として、また今後の財務政策を考える時に、貴重な証言であることは疑いない。

アウトプット(実際の政策)は平凡でも、中ではいろいろな角度から悩みぬいた末の結果であったこと、軍事だけではなく、経済面でも、アメリカは、世界の経済危機にどう対処するか、自国のことのように真剣に考えていることが理解できた。特に、インドネシア、韓国の話などは興味深かった。当時、結果がどうなるかわからない中(金をドブに捨てることになるリスクも高かった)、本当に難しい決断を、最大限の検討をした上で、行ってきたことが良くわかる。結果は、総じて成功してきたように見える。
その点、今の対イラク政策など、軍事面での施策はクエスチョンだ。勿論、9/11以降の世界が変わってしまったということはあるが。

ルービン氏は、経済が上向いたクリントン政権時代の財務長官なのだが、当時米国の生産性が向上した理由として、①財政再建による長期金利の低下②テクノロジーの進歩③テクノロジーの進歩を受け入れられるアメリカ社会の柔軟性④テクノロジーの進歩を受け入れられるアメリカの労働市場の柔軟性⑤低い貿易障壁をあげている。我田引水の感もあるが、ルービン氏の実感であるのだろう。

この本で、知ったもう一つの点は、ルービン氏が、今やオプションの世界では当たり前になっているブラックショールズモデルを、ゴールドマンサックスで最初に使った人であったということだ。アメリカの金融界の出世コースの最先端を行った人であることは間違いない。

最後に、ちょっと長くなるが、ルービン国際財務10か条という半分冗談の信条が載っていたので、載せておく。
①人生で唯一確かなことは、確かなものなど何もないということだ。
②市場主義経済は、歓迎されるが、全ての問題を解決できるわけではない。
③一国の繁栄のためには、USA、G7、国際金融機関援助より、国の政策の信用と質の方が重要。
④効果的な政策は、金で買えないが、資金は渋るよりも余るほど投入する方が効果的。
⑤債務者は負債を負うとどうなるか、債権者は融資をするとどうなるかを、心しておく必要がある。
⑥USAは、何を支持しているかばかりではなく、何に反対しているかによって評価される。
⑦ドルは、ひじょうに重要な通貨であるため、貿易手段として用いるべきではない。
⑧選択肢があることは、それだけで、好ましい。
⑨実現不可能なことを保証するような言い回しをしてはならない。
⑩意思決定においては、小手先の細工を用いてはならない。真剣な分析と配慮にまさるものはない。

有用なアドバイス(教訓)も含まれているように思う。

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横浜プリンス

2006年05月30日 | Yokohama ( Japan )

横浜プリンスと言っても、どこにあるのか知らない人も多いだろう。私も、あそこに立派な現在のホテルができた時(1990年)は、驚いた。
横浜の中心からは遠いし、駅から歩けるわけでもない。丘の上にあって、一見眺めが良さそうだが、見下ろせるのは、京浜工業地帯。
稼働率がどれくらいだったか知らないが、西武グループがホテルをリストラすることに決めた時、一番、桁外れに赤字が大きかったのは、残念ながら横浜プリンスだった。
その時から、こうなる運命は決まっていたのかもしれないが、来月末で、いよいよ閉鎖が決まり、現在最後の大売出し中。
中華料理や日本料理のレストランでは、何度かお世話になったが、泊まったことはない。でもさびしい。
マンションに生まれ変わるそうだが、ロケーションも中途半端で、ターゲット層を定めるのが難しそう。駅から、マンション伝いに、エレベーターと空中廊下を利用して行ける方法があったのだが、マンションに生まれ変わるとこのルートもなくなるらしい。駅から、毎晩あの坂を上って、自宅マンションに帰る気にはならないのだが....高級マンションにするには、ロケーションが.....
どんな姿になるのだろう。建築家の腕の見せ所???頼みますよ!!!姉葉さん???
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都市横浜の半世紀

2006年05月29日 | Yokohama ( Japan )
有隣新書から、都市横浜の半世紀という本が出た。まじめな本だが、できるだけ優しく書かれている。横浜の政治、経済にかかわる人はもちろん、横浜の歴史に興味のある人とか、横浜のことなら何でも興味のある人にお勧めだ(当たり前)。バランスよく、網羅的に書かれている。私は、昭和40年代からの縁だが、それでも、フムフムと懐かしく感じる件(くだり)がたくさんある。
この本を読むと、文明開化以来の横浜の発展の様子がよくわかるのだが、横浜は、その近代都市としては長い歴史の中で、2回壊滅的な被害(退歩)を被っている。
関東大震災と横浜大空襲だ。
横浜の歴史的な建築物が、ほとんど昭和初期の建築なのは、関東大震災でそれ以前の建物が殆ど崩壊してしまったせい。歴史的建築物が中区の一部に集中しているのは、横浜大空襲の時に、横浜がほとんど焦土化した中で、米軍が将来の統治に使える建物を残すために故意に空襲をしなかったせいだ。米軍の統治時代、横浜の主要な地区は、ほとんど接収され、米軍の日本統治の中心となった。
今日は、その横浜大空襲の日。61年前のことになる。生き証人も、少なくなっており、この記録を、意識して、きっちり残していかなければならない。
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ジョグジャカルタの地震

2006年05月28日 | Singapore・Malaysia・Indonesia

今日は、またまたゴルフだったが、山の上の方にあるゴルフ場。
OUTはしとしと小雨の中でのラウンド。調子いまいちで、午後にIN突入。ところが、雨がほとんど止んだと思ったら、温度の関係か、すごい霧となり、5m見えるか見えないかの状況。打った瞬間にボールが霧の中に消える。グリーンエッジについてもまだピンが見えない。
我慢して3ホールやったが、天候回復の気配もなく、やんなって、止めてしまった。前の組を次々と追い抜いて、クラブハウスに戻ったのだが、他に止めた組はなかったようだ。
どこに打ったらいいのかわからず、どこに落ちたかも行ってみてのお楽しみでは、ゴルフにならない。ボールに当たるリスクもある。何で続けているのか、何を楽しみにやっているのか、さっぱりわからない。


インドネシアは、本当にいろいろある国だ。テロが落ち着いてくるかなと思ったら、津波。ようやくその記憶も薄らぎかけてきたら、大地震。しかもジョグジャカルタという、インドネシアの京都と呼ばれる古都で、近くには、ボロブドゥール遺跡等もある観光地。本当についていない。
上の写真は、同じく近くにあるプランバナン遺跡(こちらは、ヒンドゥ教の遺跡)だが、今朝の新聞で、一部崩壊している写真が載っていた。

ちなみに、ボロブドゥール遺跡は、かつて近くのムラピ山の爆発で、火山灰に埋もれ、ラッフルズに発見されるまでは、忘れ去られていたという説がある。この辺は、火山地帯で、過去にも随分被害をもたらしてきたのだ。

被害の状況は、かなり深刻だ。同じ地震国として、精一杯のサポートをしてあげたい。

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同窓会

2006年05月27日 | Topics
この歳になると同窓会が増えるのは、皆同じかと思うが、35年振り初となるとそうはないかもしれない。
泣く泣く学校を転々とした私にとって、鎌倉は、小学校時代に4年以上いた懐かしい町なのだが、入学式にも卒業式にもいなかったため、同窓会となると、音信不通に近かった。ところが、ひょんなことで、コンタクトが続いていた友人の紹介で、35年振りのミニ同窓会に参加することになった。
本当に不思議なもので、小学校時代の性格は、35年経っても全然変わらないことがよくわかった。一旦過去の姿と現在がつながると、芋づる式にいろんな記憶が蘇る。特に、今の生活と関係ない分、思いっきり昔に戻れるところがいい。
子供のころは、転校、転校で、泣いたものだが、その分今は各地に旧友がいるのがうれしい。
秋には、仙台で、これも30数年振り初の中学の同窓会があるらしい。出られるかはまだわからないけど。

コメント (2)
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