かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

京都 嵐電の旅

2024年11月26日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日から関西。
ちょっと、京都に寄り道。
まずは、嵐山。
凄い外国人観光客。

天気は、曇りのち雨。
晴れだったら、最高だった。



竹の道は、去年も行ったが、ここも外国人比率8割。
日本の良さをわかってもらえればいいんどけど。



野宮神社が、最初の目的地。
去年、この辺歩いたのに漏れていた。
光る君で、源氏物語の舞台と知りリベンジ。
神社としては大きくないが、嵐山駅に近く、嵐山に来たら寄るべし。
伊勢神宮の斎宮に選ばれた皇女がこもった場所として知られる。



絵馬を見ても外国人観光客のものが過半。



次は、気になっていた車折(くるまざき).神社。
清原頼業公を祀る。
平安時代の儒学者という。
後嵯峨天皇の牛車の轅(ながえ)がここで折れたので、この名があるという。



中に、清少納言社がある。
ファーストサマーウィカさんも参拝されている。



そして、ここからが嵐電初体験の路線。
帷子ノ辻駅から、分岐して北野白梅駅に向かう。
途中有名高校、有名大学、もちろん有名寺社が多くある。
ちょっと歩くかもしれないが、バスより、時間が読める。

最初参拝したのが、大将軍八神社。
平安京のまさに北西の隅を守っている。
宝物殿は、残念ながらクローズ。
年に数日しか公開していない。
次回トライ?



そして北野天満宮。
ここは何度か訪れている。
流石、立派。



紅葉祭りで、提灯の飾りも豪華。
天気が悪かったので、入場はしなかったが。



国宝の本殿。
素晴らしい。



北野天満宮を奥に抜けて左に曲がったところにあるのが平野神社。
桜の名所。
この季節は、ちょっと寂しい?



再び帷子の辻駅を経由して、蚕の社駅へ。
何と江ノ電?
コラボしてして15年だそうだ。
江ノ電の方が長いが、見どころ満載の区間は同じくぐらいか?
江ノ電は、江の島を過ぎると、藤沢までただ走ってるだけになる?



ここも初めての蚕の社(かいこのやしろ)。
正式名は、養蚕(こがい)神社。
ところが、行ってみたら本社は、木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるじんじゃ)。
隣の広隆寺創建時に勧請された。



その右にちょこっとあるのが養蚕社。
大陸からの養蚕技術が伝えられた?
そこで出てくるのが秦氏で、先日読んだ聖徳太子の話につながる。



これが謎の三柱鳥居。
日本でここだけ。
先日読んだ本では、秦氏との関連を言う。
キリスト教ネストリウス破の影響が言われるが定かではない。
ただ異様な鳥居であることは間違いない。
みな中央を向いている。

本当は、もっと回りたかったんだけど、天気が,悪く切り上げた。
でも、行けてなかったところをかなり回れて良かった。
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光る君へ

2024年10月31日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、関西シリーズ最終日。
光る君へに関連する史跡を回った。
光る君へは、あまり人気のない平安時代の話で、かつ主人公の史実も定かではないということで、どうなるのかなと思って見ていたが、それらを逆手に取った見事な脚本で、楽しませてもらっている。
特に、女性に人気のようだ。

朝一で、JR・京阪を乗り継ぎ、三井寺に行ったが、何と9時からしか入れない。
ということで、その守護という三尾神社へ。
歴史のある神社で、こじんまりとはしているが、本殿は、重文にも指定されている見事な作り。



兎に因んだデザインが各所に見られ、ユニーク。
兎年の人に、特に人気らしい。



そして、三井寺。
2回目だが、広くて、前回どこまで回れていたか、定かではない。
最初は、観音堂。
建物のほとんどが、重文に指定されている。



三井寺では、ここからの眺めが一番いいが、今は、琵琶湖の手前に、市街地が広がっている。



唐院の三重塔。
見事なお姿。



三井寺と言えば鐘。
こちらは、弁慶が引き摺ったという伝説が残る鐘で、奈良時代のもの。
重文に指定されている。



金堂。
素晴らしい。
国宝に指定されている。
別料金で、中に入れたが、素晴らしい仏像が多い。
展示変えもあるようだ。



そして、こちらが、三井寺の晩鐘で有明な鐘。
桃山時代のもので、800円でつくことができる。
遠慮申し上げたが。
お堂ごとに御朱印がいただけたようで、全部いただいていたら、たいへんなことになってしまうだろう。



左甚五郎作。
井戸小屋の上にある。



三井寺の後は、隣の大津市歴史的博物館へ。
石山寺の特別展をやっていたが、時間の関係で割愛して、常設展のみ。
しっかりした展示だったが、今は、"源氏物語と大津" という特別展もやっていて、ゆかりの品々が展示されている。
ほとんどが、石山寺か、融神社(光源氏のモデルと言われる源融を祀った神社)所蔵のもの。
規模は、小さかったが、6回展示替えをするという。



常設展示で目立った鴟尾。
発掘されたものというが、どんだけ巨大な建物だったのか?



京阪で、石山寺へ。
京阪とのタイアップが凄い。
京都からすぐなのに、外国人観光客がほとんどいないのも面白い。
情報源に偏りがあるのだろう。



石山寺の東大門。
重文。
ポスターなどにも多く使われて、大人気。
石山寺も2回目だが、前回は、20年近く前?



入り口からすぐの所に大河ドラマ館があったので、まず入ってみた。
コンパクトだが、視聴者には、たまらない展示。
よくできている。



4K映像も楽しく、ドラマを見てる方は、訪れてみてはいかが?



石山寺のシンボルである多宝塔。
日本最古だという。
空海は、金剛峯寺に最初に作ったのだろうが。
ただ、頼朝の寄進によるもので、式部の時代には、まだなかった、



本堂。
国宝。
スーパー入場券で入ったので、内部も拝観できた。
本尊は、秘仏で、33年毎と、天皇ご即位の翌年開扉されるというが、令和2年には、見れたのだろうか?



ここに、紫式部が滞在して、湖面に映る月を見て、源氏物語の着想を得たという。
本当がどうかは、わからないのだが、それを題材にした絵が、源氏物語同様、ずっと描かれてきた。
式部が使ったという硯が伝えられている。
二つ溜まりがあり、一つに鯉、一つに牛が彫られている。
濃い墨、薄い墨を、一つの硯で、使い分けたそうだが、これも本当だろうか?



これも、スーパー入場券で入れた豊浄殿の展示。
今回見た展示の中では、一番興味深かった。
紫式部については、小説が残るのみで、その実際の人文像は、ほとんどわからないのだが、それを後世の人が、どう捉えていたかが、わかる展示になっている。
神格化されたり、悪者扱いされたり。
三回展示替えされたようで、今回の展示のテーマは、"紫式部と仏の道"。
紫式部に興味のある方は、こちらも是非。



この紫式部像は、出来が良く、前回来たこともよく覚えていた。
背後にある光堂は、記憶になく、調べたら、その後にできたお堂のようだ。
伝統のあるお寺だが、少しづつ変わっている。
帰り道にあった庭園も整備中だった。
ということで、限られた時間の中で、十分に楽しめた。



一日、光る君へ漬け!
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鞍馬寺・醍醐寺・晴明神社

2024年10月30日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、京都の寺社巡り。
天気も良くて、楽しめた。
最初は、鞍馬寺。
2回目。
たぶん前回は、観光バスで行ったので、時間も短く、たど行っただけ?
今回は、叡山電車で、じっくりと。
この天狗は、鞍馬駅前に展示されている。



山門。
その後、金堂、霊宝殿、義経の背比べ石まで行ったが、それ以上行くと戻るのたいへんなので、引き返した。
この季節は、山登りと割り切って、貴船に抜けた方が正解だった。
霊宝殿は訪れる人が少なかったが、国宝群が素晴らしく、今だと義経展をやっているので、平安末期から鎌倉にかけて、当寺がいかに重要だったかがよくわかる。
紫式部時代、どうだったのかの考察も。



その中腹にあるのが、由岐神社。
知らなかったのだが、鞍馬の火祭りの行事は、この神社のお祭りだった。



そして一転醍醐寺へ。
ここも二回目。
今回は、上醍醐もと思ったのだが、3時で、入山禁止ということで、今回も諦めた。
再リベンジはあるのか?

この三宝殿は、見事なもので、秀吉が醍醐の花見を機に整備したのだという。
凄い力がないとこんな庭園は、作れない。

隣に霊宝館があるが、これも立派でびっくりした。
先日、醍醐寺展を見たが、そこにも出展されなかったお宝が、素晴らしい空間に展示されている。
寺附属の展示館としては、日本一?
興福寺の国宝館も、スペース的には敵わない?
隣棟の仏像棟も素晴らしい。



醍醐寺と言えばこの五重塔。
迫力と美しさを兼ね備えている。



ここは、弁天堂だが、日が傾いて来て、リフレクションが美しかった。



最後に訪れたのが、晴明神社。
ここも2回目。
大河ドラマにも出て来たが、道長の時代まで、政治にも影響を与えたミステリアスな存在だ。
ただ、1000年以上祀られているのだから、得体の知れない凄い力は、持っていたのだろう。



夜は、駅近の京料理のお店。
流石だった。
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醍醐寺展

2024年06月26日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


関西から戻る新幹線内だが、午前中、大阪中之島美術館で開催中の醍醐寺展に行ってきた。
2回目の中之島美術館だが、まさに中之島ど真ん中。
近くで、地下鉄駅新設中だった。
今日は、福島駅から徒歩だったが、中途半端に距離がある。



黒の立方体に、ニャンコ。
なかなかシュール。



中も吹き抜けになっていて、特徴のあるデザインになっている。



さて醍醐寺展。
醍醐寺には、一度しか行ったことがなく、かつ時間がなく下醍醐しか行ったことがない。
ということで、たいへん勉強になった?
仏像や、書物など、国宝、重文が多く展示されているが、室町時代に焼けてしまったものも多く、廃仏毀釈、台風による被害も大きく、美術的には、圧倒されるというほどでもない。
その中で、重文の大威徳明王像、密教関係の仏画が、やはり見応えがあった。
東寺展に比べると迫力に欠けるが、当時の密教に対する強い信心を、今日に伝える。
この難解な教えを、どこまで深く理解できていたのかわからないが、その像、絵画群は、最高レベルだ。
後半は、修験道や、秀吉時代、近代絵画の展示になるが、いかに復興し、現代に引き継がれたかが、わかる。
修験道は、醍醐寺を起点に、吉野まで、続いている。
秀吉の花見で有名な、桜への強い思いが軸になっていることがわかる。
たいへん興味深い展示だった。
次回、醍醐寺に行く時は、絶対、上醍醐にも行きたい。



途中、撮影可能なのは、ミクちゃんコーナー?
VRで、ミクちゃんが、この桜の木の前で、3Dで、解説してくれる。
イヤホンがなかったので、音声オフだったが、そのリアル感は、見事。



こちらは、2Dの看板。
ということで、仏教に興味のある方にお勧めの展覧会だった。



駅弁は、とんかつ。
肉が厚くて、ソースも美味い?



お馴染み定点観測。
ほとんど、条件反射になってきた、
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長岡京散策 & 庄野真代

2024年02月27日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、関西。
長岡京駅で、初めて降りてみた。
そこここで、歴史を感じる街だった。

夜、クラブに行ったりもしたので、歩数27,700歩!
途中、道間違ったり、雨降ったりで、結構たいへんだったが。



駅前の碑によると、向日町(むこうまち)と、(あの)山崎の間が長かったため、その間に1931年、神足(こうたり)駅が作られ、1995年に、長岡京駅に改名したという。
当時、長岡京のあった場所という認識が低かった現れか。



まず、恵解山(いげのやま)古墳に向かったが、途中、勝龍寺土塁・空堀跡が、あった。
戦国時代、細川家が築いた土塁だそうだ。



その奥に、神足神社があった。
平安時代の記録に残る古社。



その先に、勝竜寺公園があった。
天気が悪くてゆっくり見れなかったのだが、結構整備されている。
明智光秀が、山崎・勝龍寺城合戦で敗れ、ここに退却したと伝わる。



明智光秀の娘(明智玉子)は、細川藤孝の嫡子 忠興のもとへ嫁ぎ、勝竜寺城へ輿入れ。
1男1女を授かるも、本能寺の変が起こり、丹後に幽閉され、大阪玉造に移った後洗礼を受け、細川ガラシャと呼ばれるようになった。
関ヶ原が近づき、石田三成に攻められ、自害したという。
悲劇だが、細川忠興は、秀吉、家康に仕え、肥後熊本細川家の基礎を築いた。
戦国時代の重要な舞台となったお城だった。



そして訪れたのが、恵解山古墳。
全長128mの乙訓(おとくに)地域最大の前方後円墳。
古墳時代中期の古墳という。



一部、葺石が、現物を使って再現されていた。
川原石が使われていたという。



埴輪が、再現され並べられている。
西の造り出しが見える。



前方部中央に刀剣類が多数埋葬されていた。
凄い量だ。
埋葬者の身分の高さを感じる。



後円部側の歩道橋から見下ろしたところ。
後円部は、墓地になっており、入れない。



長岡天満宮に向かう途中に、長岡京の発掘パネルがあった。
立命館高校の前だが、大きな都であったことがわかる。
結局未完に終わったが、確かに、川は多いし、高低差もある。
なかなか、平安京のような都を作るのは、難しかったのではないか。



発掘された道の跡が、表示されている。
校門付近。



そして、長岡天満宮。
全国に天満宮は、多々あるが、ここは、道真公が、在原業平と詩歌管絃を楽しまれたところという。



ここは、キリシマツツジが有名だそうだが、やはり天満宮といえば、梅。
満開だった。



道真公が、左遷された際当地に立ち寄り、我が魂、長くこの地に留まるべしと名残を惜しまれたことから、木像を祀ったのが、創立という。



八条ヶ池。
江戸時代、八条宮家の,御領地だった。
通行禁止になっていたが、石太鼓橋は、加賀藩の寄進。



いかにも、天満宮らしい拝殿。
白梅も見事。



紅梅は、ちょっと手前にあったが、こちらも見事。



次に訪れたのが、乙訓(おとくに)寺。
お寺が多い地域だったが、その中で、一番由緒が、ありそうだったので。
雨が一番強いタイミングで、レンズが曇りがち。

元々、推古天皇の勅命により、聖徳太子が建立したと伝えられる。
流石にそこまで古いかはわからないが、奈良時代にはあって、長岡京の時代には、増築された。
その前、継体天皇が、弟国宮(乙訓宮)を設けたという言い伝えもあるという。

有名なのは、ここで、空海と最澄が初めて出会ったというもので、今も真言宗のお寺になっている。



長岡京を造る責任者の藤原種継が暗殺されたとされる事件で首謀者とされた早良親王のお墓もある。
空海が、本寺の再興を命ぜられたのも、早良親王の鎮魂が目的とも言われる。



ここから長岡京のシンボル的なところと思って、ナビで検索したら、ずっと東の方にあって、着いたら、何と工事現場で、立ち入り禁止。
たぶん昔発掘現場だったのだろう。
途中、大極殿の信号があったので、この辺が都の北の中央だったのか。

しょうがないので、もう1回検索したら、石碑が何とスタート地点近くにあるらしく、逆戻り。



長岡京の所在は、長い間不明だったが、1956年、ここで初めてその存在が確認されたという。
まだ、発見されてから、70年も経っていない。
当時の田んぼの区切りが、元は、街の区切りではないかと発掘が始められたのだという。
一応、10年ではあるが、都であったにも関わらず。

ということで、日本の古都は、これで、ほとんど回れたかな?
先日、恭仁京も行けたし。



夜は、初のビルボード大阪。
大阪の六本木は、どこ?



初めてだと、入り口がちょっとわかりにくい。
梅田は、いつも、わかりにくいのだが。



これは、なかなかいい感じ。



ここでは、8年振りとのこと。
正直、初期のヒット曲しか知らないのだが、その後も様々な分野で、話題を振り撒いてきた。
デビュー48周年だそうだ。



会場は、結構広くて驚いた。
横浜より広く、東京より縦は短く、横が広い感じ。
もちろん入っているビルの構造により、制約を受けるのだが。

結構知ってる曲が多くてびっくり。
中森明菜のカバーで有名な曲も。
1980年で一旦休業して、ヒッチハイクに出たと言ってたから、知っていたのはほとんど学生時代に流行った曲。
一見歌謡曲?でもやっぱりシティポップ?
竹内まりあ、渡辺真知子などと同世代。
ユーミンもかな?
新しい曲では、鈴木雄大との共作も。
1990年には、普通の新人歌手として、シンガポールでデビューしたとのこと。
凄いバイタリティー。
コロナ禍の中作ったアルバムからの曲も、かなりいい。

MCも結構あって、信念の方とお見受け。
大阪出身で、昨日女子会だったそうで、何と器械体操部の仲間という。
まさか……
そのせいか、声がよく出てる!
私よりも5歳上!



帰りは、地下道経由でスムーズ。
何故、行きは、このルートで行けなかったのか?

昼も夜も、大充実の1日。

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