かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

醍醐寺展

2024年06月26日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


関西から戻る新幹線内だが、午前中、大阪中之島美術館で開催中の醍醐寺展に行ってきた。
2回目の中之島美術館だが、まさに中之島ど真ん中。
近くで、地下鉄駅新設中だった。
今日は、福島駅から徒歩だったが、中途半端に距離がある。



黒の立方体に、ニャンコ。
なかなかシュール。



中も吹き抜けになっていて、特徴のあるデザインになっている。



さて醍醐寺展。
醍醐寺には、一度しか行ったことがなく、かつ時間がなく下醍醐しか行ったことがない。
ということで、たいへん勉強になった?
仏像や、書物など、国宝、重文が多く展示されているが、室町時代に焼けてしまったものも多く、廃仏毀釈、台風による被害も大きく、美術的には、圧倒されるというほどでもない。
その中で、重文の大威徳明王像、密教関係の仏画が、やはり見応えがあった。
東寺展に比べると迫力に欠けるが、当時の密教に対する強い信心を、今日に伝える。
この難解な教えを、どこまで深く理解できていたのかわからないが、その像、絵画群は、最高レベルだ。
後半は、修験道や、秀吉時代、近代絵画の展示になるが、いかに復興し、現代に引き継がれたかが、わかる。
修験道は、醍醐寺を起点に、吉野まで、続いている。
秀吉の花見で有名な、桜への強い思いが軸になっていることがわかる。
たいへん興味深い展示だった。
次回、醍醐寺に行く時は、絶対、上醍醐にも行きたい。



途中、撮影可能なのは、ミクちゃんコーナー?
VRで、ミクちゃんが、この桜の木の前で、3Dで、解説してくれる。
イヤホンがなかったので、音声オフだったが、そのリアル感は、見事。



こちらは、2Dの看板。
ということで、仏教に興味のある方にお勧めの展覧会だった。



駅弁は、とんかつ。
肉が厚くて、ソースも美味い?



お馴染み定点観測。
ほとんど、条件反射になってきた、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長岡京散策 & 庄野真代

2024年02月27日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、関西。
長岡京駅で、初めて降りてみた。
そこここで、歴史を感じる街だった。

夜、クラブに行ったりもしたので、歩数27,700歩!
途中、道間違ったり、雨降ったりで、結構たいへんだったが。



駅前の碑によると、向日町(むこうまち)と、(あの)山崎の間が長かったため、その間に1931年、神足(こうたり)駅が作られ、1995年に、長岡京駅に改名したという。
当時、長岡京のあった場所という認識が低かった現れか。



まず、恵解山(いげのやま)古墳に向かったが、途中、勝龍寺土塁・空堀跡が、あった。
戦国時代、細川家が築いた土塁だそうだ。



その奥に、神足神社があった。
平安時代の記録に残る古社。



その先に、勝竜寺公園があった。
天気が悪くてゆっくり見れなかったのだが、結構整備されている。
明智光秀が、山崎・勝龍寺城合戦で敗れ、ここに退却したと伝わる。



明智光秀の娘(明智玉子)は、細川藤孝の嫡子 忠興のもとへ嫁ぎ、勝竜寺城へ輿入れ。
1男1女を授かるも、本能寺の変が起こり、丹後に幽閉され、大阪玉造に移った後洗礼を受け、細川ガラシャと呼ばれるようになった。
関ヶ原が近づき、石田三成に攻められ、自害したという。
悲劇だが、細川忠興は、秀吉、家康に仕え、肥後熊本細川家の基礎を築いた。
戦国時代の重要な舞台となったお城だった。



そして訪れたのが、恵解山古墳。
全長128mの乙訓(おとくに)地域最大の前方後円墳。
古墳時代中期の古墳という。



一部、葺石が、現物を使って再現されていた。
川原石が使われていたという。



埴輪が、再現され並べられている。
西の造り出しが見える。



前方部中央に刀剣類が多数埋葬されていた。
凄い量だ。
埋葬者の身分の高さを感じる。



後円部側の歩道橋から見下ろしたところ。
後円部は、墓地になっており、入れない。



長岡天満宮に向かう途中に、長岡京の発掘パネルがあった。
立命館高校の前だが、大きな都であったことがわかる。
結局未完に終わったが、確かに、川は多いし、高低差もある。
なかなか、平安京のような都を作るのは、難しかったのではないか。



発掘された道の跡が、表示されている。
校門付近。



そして、長岡天満宮。
全国に天満宮は、多々あるが、ここは、道真公が、在原業平と詩歌管絃を楽しまれたところという。



ここは、キリシマツツジが有名だそうだが、やはり天満宮といえば、梅。
満開だった。



道真公が、左遷された際当地に立ち寄り、我が魂、長くこの地に留まるべしと名残を惜しまれたことから、木像を祀ったのが、創立という。



八条ヶ池。
江戸時代、八条宮家の,御領地だった。
通行禁止になっていたが、石太鼓橋は、加賀藩の寄進。



いかにも、天満宮らしい拝殿。
白梅も見事。



紅梅は、ちょっと手前にあったが、こちらも見事。



次に訪れたのが、乙訓(おとくに)寺。
お寺が多い地域だったが、その中で、一番由緒が、ありそうだったので。
雨が一番強いタイミングで、レンズが曇りがち。

元々、推古天皇の勅命により、聖徳太子が建立したと伝えられる。
流石にそこまで古いかはわからないが、奈良時代にはあって、長岡京の時代には、増築された。
その前、継体天皇が、弟国宮(乙訓宮)を設けたという言い伝えもあるという。

有名なのは、ここで、空海と最澄が初めて出会ったというもので、今も真言宗のお寺になっている。



長岡京を造る責任者の藤原種継が暗殺されたとされる事件で首謀者とされた早良親王のお墓もある。
空海が、本寺の再興を命ぜられたのも、早良親王の鎮魂が目的とも言われる。



ここから長岡京のシンボル的なところと思って、ナビで検索したら、ずっと東の方にあって、着いたら、何と工事現場で、立ち入り禁止。
たぶん昔発掘現場だったのだろう。
途中、大極殿の信号があったので、この辺が都の北の中央だったのか。

しょうがないので、もう1回検索したら、石碑が何とスタート地点近くにあるらしく、逆戻り。



長岡京の所在は、長い間不明だったが、1956年、ここで初めてその存在が確認されたという。
まだ、発見されてから、70年も経っていない。
当時の田んぼの区切りが、元は、街の区切りではないかと発掘が始められたのだという。
一応、10年ではあるが、都であったにも関わらず。

ということで、日本の古都は、これで、ほとんど回れたかな?
先日、恭仁京も行けたし。



夜は、初のビルボード大阪。
大阪の六本木は、どこ?



初めてだと、入り口がちょっとわかりにくい。
梅田は、いつも、わかりにくいのだが。



これは、なかなかいい感じ。



ここでは、8年振りとのこと。
正直、初期のヒット曲しか知らないのだが、その後も様々な分野で、話題を振り撒いてきた。
デビュー48周年だそうだ。



会場は、結構広くて驚いた。
横浜より広く、東京より縦は短く、横が広い感じ。
もちろん入っているビルの構造により、制約を受けるのだが。

結構知ってる曲が多くてびっくり。
中森明菜のカバーで有名な曲も。
1980年で一旦休業して、ヒッチハイクに出たと言ってたから、知っていたのはほとんど学生時代に流行った曲。
一見歌謡曲?でもやっぱりシティポップ?
竹内まりあ、渡辺真知子などと同世代。
ユーミンもかな?
新しい曲では、鈴木雄大との共作も。
1990年には、普通の新人歌手として、シンガポールでデビューしたとのこと。
凄いバイタリティー。
コロナ禍の中作ったアルバムからの曲も、かなりいい。

MCも結構あって、信念の方とお見受け。
大阪出身で、昨日女子会だったそうで、何と器械体操部の仲間という。
まさか……
そのせいか、声がよく出てる!
私よりも5歳上!



帰りは、地下道経由でスムーズ。
何故、行きは、このルートで行けなかったのか?

昼も夜も、大充実の1日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木津川 & ルミナリエ

2024年01月23日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、寒い1日。
兵庫、大阪、奈良、京都を1周?
実は、南山城の行けていなかったお寺を回ろうと思っていたのだが、ルミナリエのニュースを見て、1周になってしまった次第。

南山城は、京都と奈良の間で、行きにくく、回れていなかった名刹が多い。
昨年に開催されたされた展覧会を観て、このタイミングでと。
ただ、この時期、ほとんど訪れる人は、いなかった!
特に海住山寺は、たぶん私1人!!



最初は、恭仁宮(くにのみや)跡。
加茂の駅前に、何故かタクシーがいたので、利用したら、1,000円ちょうど。
旅番組で、短距離のタクシーも使いやすくなった?
聖武天皇が、こだわったが、結局諦めた恭仁京の大極殿があったとされる。
周りに敷地は広がっているが、平城京、平安京と比べると、厳しい。
平城京から遷都できるところで、比較的近いところを探していたのか?



山城国の国分寺が、恭仁京の後に建てられたとのことで、七重塔の疎石と伝わる石が残る。
立派な疎石だ。



恭仁京跡から、2キロほど、行ったところに、海住山寺(かいじゅうせんじ)がある。
2キロというから、たかを括っていたら、凄い坂でびっくりした。
道は、舗装されているが、車で、行く人が多いのかもしれない。
バスもチェックしたが、本数も少なく厳しい。



変わった名前だが、歴史は古く、聖武天皇の勅願による観音寺に始まると伝えられる。
お寺の名前は、藤原信西の孫の解脱坊貞慶が、1208年に笠置寺から、移って名付けたもので、本尊の観音信仰に由来する。
本尊の11面観音立像は、平安時代の作で、等身大の立派なものだった。
重文に指定されている。
その他、四天王像、板絵の複製などが、見られる。
入山料は、境内だけだと100円、本堂に入ると500円。
本堂に入る価値はある。



国宝の五重塔。
初層に裳階がつく、珍しい姿で、中には、装飾が施されているという。
鎌倉時代の五重塔としては、唯一のもの。



文珠堂も鎌倉時代の建物で、重文に指定されている。



裏山にちょっと登れるようになっていて、見下ろすと、10キロほど先が平城京という。
本寺は、平城京の北の鬼門の位置にあるとのこと。
恭仁京の場所選定とも関係するのか。



別ルートで、山を下ると、お茶畑が広がっていた。
山城茶として、ブランディングされているそうだ。



万葉歌碑。
今造る 恭仁の都は山川の さやけき見ればうべ知らすらし
大伴家持が、恭仁京遷都をめでた歌だ。
その南には、百人一首の歌碑もあった。
古くから、知られた地であったことがわかる。



木津川。
氾濫して、災害をもたらしたこともある川。



加茂駅から、木津駅乗り換えで、棚倉駅へ。
歩いて20分ぐらいのところに、蟹満寺(かにまんじ)があった。
このお寺も珍しい名前だが、今昔物語集にも残る説話にちなんだもの。
本堂の中でも、紙芝居風に説明を受けられるが、極端に短くすると、蟹に娘を守ってもらったことに感謝して名付けられたということになる。
元は、奈良朝以前、秦氏の一族により、建立されたという。



本堂は、建て替えられたものだが、目玉は,中の国宝釈迦如来像。
白鳳時代のものとされるが、その大きさ、質感にびっくりした。 
お堂は建て替えられたが、ご本尊の場所は変わっていないという。
仏像のサイズといい、仏像の位置が変わっていないことといい、飛鳥大仏と似ているかも。
大きさは、飛鳥寺のものと似ているかもしれないが、やりどっしりしており、螺髪や、白毫はない。
顔も白鳳系だ。
手の指間には、水掻が認められ、仏の特徴も有する。
仏像に興味のある方には、外せない一体だと思う。

その右には、聖観音像があり、厄除け観音として、厚い信仰を集める。



蟹満寺から、玉水駅に向かったが、途中に高倉神社があった。
後白河法皇の子で、安徳天皇の父。
平家に敗れたが、高倉神社の隣りにその御陵があった。
福島県の大内宿に行った時に、高倉天皇が落ち延びる際立ち寄り、同じく高倉神社に祀られていたことを、思いだした。



玉水駅から、京都経由で、三宮へ。
玉水駅は、快速も止まるので、時間を節約できた。
思い付きで来たルミナリエだが、は平日にも関わらず、賑わっていた。

街の各所に、イルミネーション散らばっており、回り方がよく分からなかったのだが、有料展示があるメリケンパークへ向かった。



メリケンパークに到着。
大勢の人で盛り上がっている。
阪神淡路大震災を機に始まったイベントだが、従来クリスマスに合わせていたものを、今回から、1月に変更したそうだ。
クリスマスとは、別に、大震災の発生した1月開催の方が、ふさわしいように思う。
今年は、さらに能登への想いも加わってしまった。



有料エリアのイルミネーション。
外からでも観れるのだが、中に入ると、回廊というか、巨大な教会のようになっていて、光に包まれるような感触が味わえる。
ただ、前売り500円(時間制)と、当日1,000円は、差がありすぎ?
人数を制限する趣旨も強いのだろう。



流石にこの規模は凄い。
教会内部のような荘厳な歌が流れていて、大震災への想いが募る。
突き当たりには、鐘があって、鳴らす方の長い列ができていた。



オリエンタルホテルも綺麗にライトアップ。
伊豆田さんが、一昨日、コンサートを開催していた。



その時、観覧車を見て乗りたいと思ったといっていたが、結局乗られたのだろうか。
観覧車は、横浜が勝ったかな?

ということで、充実の1日。
歩数、29,500!
坂もあったし?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散策 その2

2023年11月06日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )
昨夜は、京都のホテルで、阪神の優勝を見た。
やっぱり強かった。
おめでとう。

それにしても、関西のテレビの阪神贔屓は、流石。



今日も京都散策。
天気予報がいまいちだったが、午前は持ちそうになったので、昨日、一度乗って見たかったトロッコ列車を予約。
嵯峨嵐山にJRで行って、まず渡月橋に挨拶。
帰りは、JRにしようと思っていたのだが、立ち席券を売っていたので、往復トロッコ列車にした。
帰りは、中国からの団体客で満席。
どこも、外人比率高い。
今日も、2万歩超え!



土日は、相当前から予約しないと乗れない。
平日は、時間を選べば大丈夫。
帰りは、川下りが常道だが、天気もいまいちだったので、今回は、断念。



保津川沿いにずっと走るから、途中までは、左側、鉄橋を渡って、途中から右側に絶景が広がる。
特に紅葉の季節は、最高だ。
以前、トレッキングした時は、最高だった。



往復を楽しんだ後、嵐山で降りて、最近よく報道される竹林へ。
見栄えがする。



そこから北をめざしたが、全然知らなかった御髪神社があり、参拝。



有名人の絵馬多数。
結構な人気だった。
小倉池の辺りにある。



次に訪れたのが、常寂光寺。
名前は、知っていたが、場所は、知らなかった。
瀬戸内さんの講演も何度か聞きにいった。

小倉山の中腹にあり、奥深くまで、寺域が広がっている。
多宝塔も立派。



次に訪れたのは、二尊院。
ここは、2度目。
釈迦如来と阿弥陀如来が本尊に並んでいる。
土佐派の絵が、特別公開されていたが、繊細、かつ艶やかなもの。
理想の仏の姿を追求した絵師の心意気。



庭も素晴らしく、寺域も広い。
小倉山の麓にあり、小倉餡発祥の地という。
小倉餡にも空海が、関係していたことを知った。
また、藤原定家が小倉百人一首の詩を選んだという草庵跡もある。



小倉餡は、当時画期的なスイーツだった。



そして、清涼寺。
たぶん3回目。
何度訪れても素晴らしい。
特に、本尊の清涼寺式のお釈迦さまは、貴重。 
威厳がある。



インドオリジンの仏像を宋で正確に模造したものが,招来したと伝わる。
独特の表情をしているが、全国に広まった。
霊宝館にも入ったが、素晴らしい。
源氏物語の登場人物の1人である源融の姿をイメージした国宝の阿弥陀仏像や、ご本尊のお釈迦様々の胎内から発見されたお経、貨幣、内臓の模型などが目玉。
拝観する価値大。



本日の散策のゴールは、大覚寺。
嵯峨天皇の離宮跡に作られたお寺として、有名。
嵯峨天皇と空海の関係は有名だが、空海が掘った井戸などもあった。
嵯峨天皇がいなければ、東寺はなかった?



そして、往時の雰囲気を残す大沢池。
素晴らしい。
この光景をしっかり守っていって欲しい。



1時間弱、市バスに乗って、京都駅に戻って、遅いランチは、伊勢丹のレストランで、おばんざい。
コスパ良し。



横浜で見逃したユトリロ展を伊勢丹でやっていたので、おまけ。
自然体のユトリロの絵が並んでいたが、この自然体が人気を博した理由だろう。
身近な街の風景を、多君描いた。
ユトリロと言えば、白だが、白以外の作品も多数。
それよりも、遠近法を正確に表現していたことと、アルコール依存に苦しんでいたことが、印象に残った。
皮肉にも、症状が重かった時の方が、いい作品が多かったという。

ということで、ギリギリ雨に降られずに済んだ。
昨日は、東、今日は、西を制覇?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都散策 その1

2023年11月05日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


京都も最高の天気。
京都市内を久しぶりに孫策することにした。
27000歩を超えてしまった。

まず訪れたのが二条城。
江戸時代の最初と最後に関わった。
たぶん初めて前半回ったのだが、かつて天守閣を持っていたことを知った。
18世紀に焼失したまま明治維新を迎えた。
中の障壁画は、レプリカだが素晴らしい。
本物も宝物館で展示してされていて、もちろんリッはだし、よく保存修復されている。



次に訪れたのが、先日読んだ本で平安京ができたときからあったという神泉苑。
当時から泉が湧き出て大池だったという。
様々な社が並んでいる。



その後、東大和を散策することにした。
腹ごしらえは、湯豆腐。
さすが本場。



インクラインと言うのがあって何だと思ったら,水運が盛んな中この坂は、船で登れず、船ごと貨車に乗せて運んだのだという。
古代にもそのようなケースがあった説があるが、これは近代の技術者だ。



南禅寺は、3度目か。
大寺だ。
山門に登り、五右衛門気分も味わった。



奥深くまで、寺院は広がっている。



南禅院は、南禅寺の元祖らしいが、立派な庭園を,有する。
やはり京都のお寺は、庭がポイント?




南禅寺の中には、水道橋。
日本では珍しいが、今はすっかり馴染んでいる。



永観堂は2回目だったが、こちらも、見切れない?
長谷川等伯の襖絵が、重複跡、初公開されていたが、剛と柔のコントラストが素晴らしい。
見返り阿弥陀も綺麗になっていた。



流石、紅葉の名所。



そこから、北に向かう。
熊野若王子神社。
ナギの木は、悪を薙ぎ倒す?



大豊神社は、狛鼠が、目玉。



哲学の道は、2回目だが、いい。
途中で、コーヒーをいただいた。



法然院はたぶん初めて。
これは三途の川を表しているのか?



締めは銀閣寺。
どうにか間に合った。
流石の貫禄。



夜は、擬音近くで、牛しゃぶ。
ということで、お腹いっぱいの1日だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする