かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

出雲大社などなど

2010年04月30日 | Other Western Japan
島根の旅から帰ってきた。
帰ってきたら、AUからメールが来てて、今の携帯が使えなくなるという。
TVのデジタル化は、前々から言ってるからしょうがないとして、旧東電のブロードバンドサービス取りやめなど、この類の業界は、利用者の利便性無視の話が多すぎる。特に、今回のは、サービスを受け続けたいなら、携帯買い替え強制になるというからふざけている。資源の有効活用からも逆行している。どうにかならないものか。



今日は、島根旅行の最終日。
まずは、出雲大社に行った。本殿修理中だから、そういった意味では、いまいちだが、流石の風格だ。
それから、隣にある島根県立古代出雲歴史博物館に行った。これは、すごい。特に、堂鉾、銅鐸など、あふれ返っている。当時の島根に巨大な文化圏があったことを思い知らされる。
それから、一転日御碕(ひのみさき)灯台に行った。すごい風だったが、100年以上前から稼働している日本一高い灯台。別の意味で、風格があった。
そこからまた一転、須佐神社に行った。その名の通り、須佐之男命をまつった神社。ずいぶん奥まったところにある。いろんな逸話が残されていた。
そして、最後に行ったのが、荒神谷(こうじんたに)博物館。銅剣、銅鉾、銅鐸がまとまって見つかり、日本こ古代史を塗り替えて遺跡だ。発掘物は、まとめて国宝に指定されている。
ということで、またまた大満足の一日。
今日の走行キロ97.2km、歩数は、15558歩。最終日でちょっと少なかったかな?
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水木しげるロードなどなど

2010年04月29日 | Other Western Japan
今日は、ショッキングな発見があった。
30年間、全都道府県制覇を達成したと信じてきたが、境港は、島根県ではなく、鳥取県だった。鳥取から入って、海を渡ったから、島根県と思いこんでしまっていたのだ。ということで、昨日が、全都道府県制覇の日に、図らずもなった。
それはさておき、今日も色々なところを見て回った。
まずは、先ほどの境港の水木しげるロード。予想以上に、楽しめた。単なる商店街なのだが、水木しげるの編み出したキャラクターたちにより、生まれ変わっていた。
町興しのベストケースだろう。もちろん、多くの人のたいへんな努力があったのだろうが。水木さんのキャラクターたちが、日本人の心の中の何かに触れるものであるのだろう。NHKで、水木さんご夫婦の頑張りが、みんなの知るところになれば、もっと人気が高まるかもしれない。
その次に、足立美術館に行った。大観と魯山人が凄い。それと同じぐらい凄いのが、ミシュランでも三星となった庭園だ。
松江では、島根城や小泉八雲の家の家に訪問?
島根城は、国宝ではないらしいが、理由がよくわからない。
最後に、八雲の、博物館や、神社を回った。まさに、日本書紀の世界だ。
今日の走行キロは、187.3キロ。歩数は、20219歩だった。


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石見銀山

2010年04月28日 | Other Western Japan

今日は、突然ながら、石見銀山に行って来た。
とうの昔に、全県制覇済みの私だが、かすっただけの県もある。
島根県がそうだ。
水木しげるロードができる前の、ただの漁村だった境港しか行ったことがなかった。
ということで、今日から3日で、島根県を訪れることにした。
朝、羽田でまずびっくり。鶴瓶師匠と、一緒のフライトだった。仕事か、プライベートかわからないけど、本当に普通のおっさんだった。相当目がお悪いのか、なめるようにスポーツ新聞を眺めていた。もし、あの番組で島根が出てきたら、ゴールデンウィーク前半のロケだ。
私の方の初日は、石見銀山に行ってきた。
世界遺産に指定された時は、えぇっ?と思ったあの石見銀山だ。
世界遺産に指定された理由は、当時の世界の銀の産出量の、なんと1/3が、石見銀山でのものだったということか、大きい。
今日、行ってみてわかったのだが、皮肉なことに、閉山後、世の中の変化に取り残され、見事に古い町並みが残されたのだ。
まさに、タイムトリップ。おでぇかんさまぁの世界だ。
間歩(まぶ)と呼ばれる、昔の坑道にも入れる。
銀山だけではなく、全体で楽しめるようになっていた。
町みんなで、石見銀山を盛り上げようという気持ちも伝わってきた。
まだ人も少なくて、満喫できた。明日からは、すごい人だろう。
地元紙によると、ゴールデンウィークの予想人手は、出雲大社近辺が40万人、松江近辺が22.1万人、石見銀山近辺が14.3万人、津和野近辺が9.5万人、しまね海洋館アクアスが5.6万人などとなっている。
因みに、今日の走行キロは、113.6キロ、歩数は、22330歩だった。



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奈良・桜のある風景その16 衾田陵

2010年04月27日 | Nara ( Japan )



しばらく行くと夜都伎神社(やとぎじんじゃ)がある。春日神社と呼ばれ、春日大社と縁の深い神社である。



こじんまりとしているが、趣のある神社であった。



竹之内環濠集落は、乱世の中、村の周囲に濠をめぐらせた村の一つ。濠が今も残る。七人の侍を思い出す。



中も小路が続き、とざまには、わかりにくい構造になっている。



回りには、のんびりした風景が広がる。



萱生(かよう)環濠集落に向かう途中に、柿本人麻呂の万葉歌碑があった。

あしひきの 山川の瀬の 響きるなべに 旧獅ェ嶽に 雲立ち渡る



西山塚古墳。古墳時代後期の前方後円墳で、全長114m。3月に出来たばかりの真新しい説明板があった。古墳の場合、情報が少ないケースが多いので、このような説明はありがたい。
この辺りは、大和古墳群と言われ、萱生(かよう)の千塚とも呼ばれているそうだ。とにかく古墳だらけ。



衾田陵(ふすまだりょう)はその中でも最大のもの。全長234mで、継体天皇の皇后の陵墓とされている。別名西殿塚古墳。



この付近からは、大和三山が見渡せる。ずいぶん景色のいいところに墳墓を築いたものだ。韓国で見たお墓が、小山の上に多く築かれていたのを思い出す。

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奈良・桜のある風景その15 石上神宮

2010年04月26日 | Nara ( Japan )


奈良春の旅も最終日。昔から憧れだった、山の辺の道を歩いてみることにした。
天理駅から、スタートし、三輪駅まで、JRの駅4つ分。約6時間のハイキングだった。
快晴ではなかったが、ちょうどいい天気加減で、温度もちょっと汗ばむぐらい。
すれ違う人々と「こんにちは!」とあいさつをしながら、すばらしい体験ができた。
日本最古の幹線道路と考えられ、神社、お寺、古墳群、奈良盆地の風景、歌碑など見所も多い。

スタートは、天理駅。天理は初めてだったが、天理教の街にまず驚いた。教会本部はもちろん、病院、学校、宿舎などすごい。天理市庁舎まで、独特の形状。
体力温存のため、駅から石上神宮(いそのかみじんぐう)まで、タクシーを使ったが、運ちゃんが、天理市作成のすばらしいガイドブックをくれた。完璧なガイドブック。本書によると8つのコースがあり、運ちゃんによると、全コースを制覇するには、最低3日必要とのことであった。当日は、山の辺の道(南コース)を軸に、うろちょろしたということになる。



石上神宮では、鶏が、神鶏として放し飼いにされている。



異世界のような雰囲気。百済王が倭王に献じたのではないかと言われる七支刀(ななつさやのたち)でも有名。伝承が真実なら、4世紀のことだ。蘇我氏に滅ぼされた物部氏の総氏神である。日本最古の神社の一つで、古事記に登場する神々を祀っている。万葉集にも詠われている。



楼門は、鎌倉時代末期の建造。



拝殿は、平安末期のものと言われ、国宝。まだ、宮司さんがお清め中だった。



何故か、牛様も鎮座。



楼門を挟んで、本殿の反対側に、摂末社が並んでおり、この出雲建雄神社の拝殿は、国宝に指定されている。今は、廃寺となった内山永久寺から大正時代に移築したものだ。その後、内山永久寺跡にも行ったが、跡かたもなかった。廃仏毀釈のすさまじさを感じる。



石上神宮から、いよいよ山の辺の道ハイキングに出発。



しばらく行くと芭蕉句碑があった。

うち山や とざましらずの 花ざかり

読み手が宗房とあるが、芭蕉の若かりしころの名前という。まさに、花盛りのタイミングに訪れることができた。確かに、外様(とざま≒よそ者)は、ここ(内山)が花の名所だなんて知らないよね。



芭蕉句碑は、この美しい池の畔にある。この池は、廃寺となった内山永久寺の本堂池だった。かつては、関西の日光と呼ばれ、五十余の塔頭を有したという。
水面に浮かぶ桜の花びらがご覧いただけるだろうか。
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