こんにちは、皆様。24期生の成嶋です。2回目の投稿、いかせていただきます。
パリ・オリンピックが終わりました。人生でオリンピックを見ることができるのも、あと何回ぐらいなのかなと思い、しみじみとしてしまいます。4年に1回といわず2年に1回ぐらいやってくれたらいいのに。オリンピック前半、私は毎日、柔道を楽しんで観戦していました。どの試合も紙一重の勝負で面白かったです。一番興奮した試合は男子73kg級決勝です。アゼルバイジャンのヘイダロフ選手が地元フランスのガバ選手に勝利しました。本戦と延長戦あわせて8分の死闘です。最後は相撲のような形になり、ヘイダロフ選手がガバ選手を前に押し込み小外掛けで勝利。解説者が、ヘイダロフ選手が前に出たことが勝因であり、勇気をもって前に出ることの大切さを熱く説いていたのが印象的でした。
実は私は35年ぐらい前に柔道をしていました。そして昨年の6月から水道橋にある講道館で柔道を学び直しています。日本発祥の武道でありながらオリンピック競技になっている柔道とは、そもそも何なのか。柔道の創始者は嘉納治五郎先生です。大河ドラマ「いだてん」で役所広司さんが熱演していた方です。今回の投稿では、その嘉納先生が提唱した柔道の根本理念を示す言葉を紹介しつつ、私の講道館での体験やオリンピック観戦をもとに、柔道の理念について考えたこと、柔道とは何なのかについて書こうと思います。
柔道の理念は「精力善用・自他共栄」という嘉納先生の言葉に示されています。私は次のような意味だと考えてます。
「精」とは精神・心のこと。「力」とは身体のこと。精神と身体を鍛え、それらを適切かつ有効に使用することを学ぶこと。そして鍛えた心身を善いことのために活用し、他者と協力しつつ自分と他者の幸福を実現し、社会の進歩・発展に貢献すること。
柔道とは、このような「精力善用・自他共栄」を目的としています。
最初に、柔道をすることにより「精神と身体を鍛える」ことができるのかを考えてみたいと思います。まず間違いなく身体は鍛えられます。柔道は全身を使用する競技です。3分間の乱取り(実戦形式の練習)を1本するだけで、かなり息が上がり体力を削られます。私の感覚で言うと、3分間ほぼ全力疾走しているような疲労度です。冒頭に書いたオリンピック男子73kg級の決勝戦は8分の死闘でしたが、もう最後は二人とも気力だけで試合をしていたと思います。体力の限界を超え最後はお互いに気力を振り絞って闘い抜いたことに感動しました。柔道は身体を鍛えることを通して、体力の限界を超えようとする強い意志を培うことによって精神も鍛えられるのだと思います。
次に、「鍛えた精神と身体を適切かつ有効に使用する」こととはどういうことなのでしょうか。柔道には理論的なところがあります。柔道は相手を「くずし」てから技をかけます。「くずし」とは、相手の重心が前後左右のどこかにかかるようにして不安定にすることです。相手を「くずし」てからタイミングよく投げ技をかけると自分より体重が重い人を、本当に力を使わず綺麗に投げることができます。講道館のホームページによると、相手を「くずし」てからタイミングよく投げるということが、精神と身体を有効に活用するという理念を、柔道の実践において具現化していることなのだそうです。つまり、物事には理があり、目的を達成するためにはその理に沿った効果的な手段を用いることが必要だということを、柔道の技の習得を通して学ぶことができるのだと思います。
相手を「くずし」て投げる方法の一例として、技のコンビネーションがあります。例えば、相手を背負投げで投げたい場合、大内刈りを掛けた後に背負投げをします。あるいは大内刈りを相手に意識させてから背負投げをします。背負投げは相手を前に投げる技ですから、相手の重心を前に「くずし」した方が投げやすい。大内刈りは相手を後ろに投げる技なので、相手が大内刈りを意識すると、後ろに投げられまいとして重心が前に傾く。相手が前に重心をかけたタイミングで背負投げをかけるのです。パリ・オリンピック韓国女子57kg級代表のホ・ミミ選手は背負投げと大内刈りのコンビネーションで銀メダルを獲得しました。柔道には約60種類の投げ技があるので、その中から様々な技のコンビネーションを考え、稽古、試合の中で試行錯誤して習得していく。また、練習相手と技のコンビネーションを協議、検討することが、楽しかったりします。
次に、柔道は「自他共栄」の理念をどのように実現しようとしているのか、つまり、柔道を通して「他者と協力しつつ自分と他者の幸福を実現し、社会の進歩・発展に貢献する」とはどういうことなのか、考えてみたいと思います。
講道館の柔道で最初に習うことは、柔道の礼儀作法、簡単に言うと、お辞儀の仕方です。柔道とは相手を投げたり、首を絞めたり、関節をきめたりする、一見暴力的で危険な行為です。柔道とただの暴力とを区別するものが何かというと、それは相手に対する感謝と敬意の念を持っているかどうかです。その敬意と感謝を形で示したものが礼儀作法になります。相手がいなければ柔道の稽古ができません。相手があってこそ、相手と協力してこその柔道なのだから相手を大切にするよう、相手にケガをさせないようにと講道館の先生に教えられます。稽古や試合で相手に勝とうという意識が強くなりすぎたり、相手に投げられて感情的になったりして、無理な体勢からの投げ技や強引な技をかけることは固く禁じられます。それは相手にケガをさせてしまうからです。相手に対して感謝と敬意を形で示し、稽古や試合で不必要に高ぶる感情を落ち着かせ冷静になる、そのような意味が柔道の礼儀作法にはあるそうです。パリ・オリンピックで阿部一二三選手が決勝で勝った瞬間、派手なガッツポーズをしていませんでした。これは対戦相手に失礼のないよう敬意を払ったためで、試合後の相手への礼を終えるまでは派手な行為は慎んだそうです。これを聞いて阿部一二三選手は本当に一流な柔道家だなと思いました。
柔道を学ぶことによって、社会の進歩・発展に貢献することができるのかは正直分かりません。しかし、柔道を通して分かったことは、相手と協力して自己研鑽を行うこと、どんな時も自分の感情をコントロールし冷静であること、相手に対して感謝と敬意をもつことの大切さであり、これらのことを実現するために礼儀作法があるということです。礼儀作法が「自他共栄」のための基礎であり、第一歩なのだと今は考えています。
最後になりますが柔道とは何か、私の経験からそれをまとめてみます。柔道とは、稽古や試合において他者と協力して精神と身体を鍛え、礼儀作法により他者に感謝と敬意を払う心を養い、技を習得していくことを通して理を知り、自分や他者と共に考え工夫していくことの尊さを学ぶ、そのような機会を与えてくれるものだと、私は考えています。講道館の先生が稽古中、ごくたまに講話をしてくれます。そのとき先生は「柔道を始めた頃や若いうちは、勝ち負けにこだわってしまう。それがすべてだと思ってしまう。しかし、柔道を長く続けていくと勝ち負けは全く重要でないことに気づく。もっと大切なものがある」ということをお話されていました。その大切なものが「精力善用・自他共栄」の理念、それを実践した生き方なのかもしれません。