東京都中小企業診断士協会中央支部認定!「稼げる ! プロコン育成塾」ブログ

東京都中小企業診断士協会中央支部認定マスターコース「稼げる!プロコン育成塾」のブログ。経営・ビジネスに役立つ情報を発信

講師亀田の自己紹介

2012-07-25 17:15:27 | 講師亀田からのメッセージ
稼げる!プロコン育成塾講師をいたします、亀田です。
よろしくお願いいたします。

まずは、自己紹介は3つの顔でさせてください。

1.会社員の顔
一貫して、マーケティング畑を突き進んできました。新卒で広告代理店に入り、最初のクライアントはセブン-イレブン。まさに24時間営業(笑)の日々です。夜中の2時終了、焼肉屋でやっと夕飯があたり前でした。

ですが、プロモーション、仕事の進め方の基本を叩き込まれ、今では感謝しています。

その後は、事業会社のマーケティングマネージャーに転身し、自分の財布でマネジメントする楽しさと難しさ、愛すべき自社商品を持つことの尊さを体験、学んでいます。

診断士はゼネラリストであることをベースに、スペシャリストである分野を持つことで、自分らしさ、競争力がつきます。

その面では、この会社員の顔は、診断士の顔のスペシャリストとしての基盤づくりも同時に担っているわけです。

2.診断士の顔

平成19年に登録をして、今年の4月で5年目の更新を初めて行いました。
会社員の顔と密接に関わり、診断士の活動としても、
テーマは販売促進、ブランディング、企画立案などを中心に行っています。
コンサルティング、セミナーに加えて執筆活動も積極適用に行っていまして、昨年の12月には単著で「販促Q&Aノート」(同友館)という中小企業向け販促アイデア本を出版させていただきました。

プロコン育成塾では発刊するまでの約1年間で習得した出版ノウハウを
凝縮してお伝えしたいと思います。お楽しみに!

3.父親としての顔
長女5歳、長男1歳の2児の父親でもあります。会社員、診断士の自分が活き活きと活動できるには、この父親としての役割をキチンと果たすことが重要と感じてています。逆に、父親としての顔があるから、会社員、診断士の自分が救われることも、もちろんあります。

以上が、私の3つの顔になります。
稼げる!プロコン塾では、それ以外に、義理の父が初代塾長であり、初代塾長の義理の息子という顔も。

これから皆さんと刺激しあいながら、新たな価値を生んで行きたいと思います。
よろしくお願いします。
コメント (5)
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海外の仕事が実現するまでの経緯

2012-07-25 04:37:47 | 塾長からのメッセージ
塾長の鴨志田栄子です。

12期生のブログも順調につながり、毎日、楽しみにみなさんの発信を読んでいます。
私の初回の発信は、海外の仕事が実現するまでの経緯について紹介したいと思います。

 

上記の写真は、キルギス共和国に出張した際の天山山脈と、キルギスの首都ビシュケクの市庁舎です。
いきなり、キルギスの写真の紹介から始めましたが、きっと、みなさん、キルギスに行ったことがある方はいらっしゃらないだろうと思ったからです。

キルギスについては、以下にコラムを書いています。よかったらご覧ください。
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20090311/Searchina_20090311097.html
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20090902/Searchina_20090902060.html

以下に、私の海外の仕事が始まった経緯について、紹介いたします。

私は、独立2年目に、思いがけずして、JICAの仕事でベトナムに行く機会に恵まれました。
まるで棚ボタの話でした。

なぜ、JICAの仕事に出会えたのか? ちょっと話が長くなりますが、以下に整理します。

(1)独立した年、日本経営管理教育協会(当時、日中交流委員会)の訪中団に参加しました。神吉先生もよくご存じの方から、「かもちゃん、独立してまだひまだろうから、中国に行かへん?」(あっていますか?関西弁です)と誘われたのがきっかけです。その時、一緒に行った国際部の部員の方から入部のお誘いを受け、国際部に入れさせていただきました。

(2)年あけ、当時中央支会の新年会行事の後、初めて、国際部の新年会に出席し、その席でベトナムのJICAの日本センターに赴任される方と出会いました。初めて、ご挨拶した方ですが、ベトナムに赴任されると伺い、後日「ハノイから吹く風」という本を差し上げました。というのは、私の知人の女性が書いた本だからです。知人が書いた本を少しでも多くの方に読んでいただきたいという思いからでした。

(3)その年(2003年春)は、SARSが流行していました。日本からもアジア地域への出張禁止令が各社で出されていました。そんな中、上記のベトナムに行かれた方から、ビジネスコースの予定していた講師(大学の先生)が出張禁止令で来られなくなったので、ピンチヒッターで来られますか? というメールが届きました。きっと、本をお送りしたので、印象に残られたのだと思います。私はフリーの身でしたので、出張禁止令を発する者もいないので、唯一、家族を説得して、お受けすることにしました。当時、JICAは、まだ独法化する前だったので、現地に駐在する専門家の推薦で行くことができました。

※初めての海外出張は、準備、その他、とても大変でしたが、この裏話は、懇親会の時にでもお話いたします。

(4)その後、JICAは独立行政法人となり、日本センターのビジネスコースの仕事は、すべて公示案件となりました。現地の専門家の推薦も受け、初めて、次のベトナムの案件(ビジネスコースのマーケティングの講師)に応札。書類審査は、惜しくも次点で落札できず見送り。その直後に、モンゴルの同案件(ビジネスコース、マーケティング講師)の公示が出て、今度は落札できました。思いがけずしてモンゴル出張が実現したのです。

(5)さらに、その後、ベトナムの同案件の公示は、3回続けて落札することができ、日本センターでの講師実績を増やしていきました。

(6)それと並行するかのように、カンボジアの日本センターのビジネスコースの運営を一括受託している会社さんから、やはりマーケティングの講師としての依頼をいただくことができ、初めてのカンボジア出張も実現しました。

(7)それ以来、この会社さんとのおつきあいが始まり、キルギス共和国との出会いが待っていました。最初は、JICA-NETを使って衛星テレビで、日本からキルギスの方々へ、講義をするということを2回経験。その後、実際に、キルギスにお呼びがかかったのです。

(8)2009年2月、初めてのキルギス出張、約1か月の滞在でした。その後、2009年8月にも1か月、2010年6月に2週間、2010年8月に1か月、2010年11月に2週間、2011年3月に2週間、計4回、述べ4か月半の滞在を経験しました。ベトナムにはいままでに8回行っていますが、滞在日数では、一番長いのがキルギスとなりました。

(9)ベトナムの出張時にお世話になった当時の日本センター長の方が、JICAを退職して別の形でベトナムを支援されており、その関係でも4回ベトナムに出張の機会をいただきました。

(10)キルギスでお世話になった当時の日本センター長が、今は、ロシアのニジニ・ノヴゴロドの日本センター長をしており、今年はロシアにも呼んでいただきました。11月に2度目のロシア出張が予定されています。

(11)カンボジア出張の時、私の講義をクメール語で通訳してくださった日本人女性の会社から、今年は、マネジメント関連で仕事の依頼をいただき、4月に引き続き、来月もカンボジアに行くことになっています。

こうして、お世話になった方とのご縁で、継続してこられました。
私は、現役時代は、海外の仕事など、まったく縁がなく、英語も得意ではありません。でも、独立以来、10年間、コンスタントに海外の仕事をこなしていくことができたのは、日本での仕事がベースとなっていると実感しています。

A.新潟県燕三条地場産業振興センターのアドバイザーをかれこれ10年継続しており、その販路開拓の経験も、マーケティングの講師としては役立ちました。

B.私の専門はCS(顧客満足)です。ずっと診断士以外の方々とのCS研究会の活動をしていました。その時に吸収した日本の企業の成功事例が、マーケティングの講義で生かすことができました。質疑応答で、「私の業種は・・・・です」という方には、日本の同業種では、こんなやり方をして成功していますと助言ができたのです。

C.国内では、コンサルよりも研修講師(年間平均すると100日前後ぐらいの実績あり)としての経験が豊富です。私の持論ですが、研修講師はカウンセラーであるべき、知識を受講生にインプットすることが主目的ではなく、研修を通じて、気づきを引すことが大事であると日頃から意識しています。海外に行っても、そのスタンスは変わりません。私の考えを押し付けるのではなく、受講生の意見に耳を傾けること。日本と違い、自己主張がはっきりしている海外では、それをしないと、受講生は消化不良を起こします。

講義は、ベトナム語、モンゴル語、クメール語、ロシア語の通訳さんがそれぞれつきますので、いつも日本語です。講義では英語を必要とはしません。ですから、海外での仕事をするということは、語学力ももちろん大事ですが、一番大事なのは、自分の考え方や先入観の枠で、押し売り講義をするのではなく、いかに受講生とコミュニケーションをとることができるかが重要だと思っています。

また、機会がありましたら、海外の仕事の経験など紹介したいと思います。
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独立してもうすぐ2年 第12期生 神吉

2012-07-24 10:09:17 | 12期生のブログリレー
みなさま、こんにちわ、神吉です。


初めての投稿なので、自己紹介も兼ねてお話させていただきます。


2010年の11月1日に中小企業診断士の登録をしそのまま独立しました。
僕の場合は、独立しようと決めたのが先でした。
会社を辞めてから中小企業診断士の資格を取ろうと勉強を始めたので、当時はずっと背水の陣状態でした。
数カ月必死で勉強したものの、2次試験であえなく敗退してしまいました。


早く独立したかったので中小企業大学校に行くことにしたのですが、結果的にはこの選択が良かったと思います。
大学校では、独立中小企業診断士としての基礎と実習をみっちり学ぶことができました。
また、講義や実習指導に来てくれるのは、現場で活躍しているコンサルタントの先生なので学ぶことが大変多かったです。
そして卒業時には4名ほどの先生から仕事の声をかけていただき、すんなり独立することができました。
今から思うと、ストレートに試験合格して資格を取っていたら、独立してから仕事を獲得するのにどんなに大変だっただろうかとぞっとします。


そうはいっても未だに十分に稼げるだけの仕事は得られていません。
だから今「稼げるプロコン育成塾」に入っているんですね。
独立してからずっとどんな仕事の依頼も断らず、とにかく多くの実績を積み上げようとやってきました。
でも今は少し考えが変わりました。
断るもなにも仕事の依頼なんか新人にはほとんど来やしません。
また、いいかげんな仕事をすると次に依頼が来ないばかりか悪い評判が立ちます。
だから今は仕事の質(成果)にこだわってやっています。


とは言うものの、新人にとってどの仕事も初めてなので要領が分からないことだらけです。
今も初めて協議会の再生案件に携っているんですが、報告書大変なことになっています。
守秘義務があるので誰にも相談できないし、とにかく1人で頑張るしかありません。
でも、1回経験すれば次回からはかなり楽になるはず。
だからいろいろな経験を早く積んでおきたいというものあります。


まとめると、一歩一歩着実に、歩みを止めず進むしかないということでしょうか。
中小企業診断士の仕事は、すべてが自己責任ですが、その分やりがいが大きいと感じます。
今ではもっと早く独立しておけばよかったとつくづく思っている昨今です。


本当に稼げるプロコンになるために、鴨志田先生、講師の先生方、先輩方、同期の皆さま、よろしくご指導お願い致します。



神吉耕二
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12期:佐々木 1年間よろしくお願い致します。

2012-07-23 12:00:00 | 12期生のブログリレー
佐々木祐輔と申します。

先生方、同期の皆様方、ご指導ご鞭撻、どうぞよろしくお願い致します。

どんな仕事をしているのかや、生い立ちや診断士を取った理由は、おいおい懇親会での話のネタにさせて頂くとして、
私のやりたいことや悪いところ、良いところをざっとまとめました。
そして最後に、私から皆さんに与えられる事、をまとめました。

1.私のやりたいこと、なりたいこと
・戦略(マーケティングなら尚可)を考える仕事がしたい。
⇒今まで仕事で経験したことはない。人間の気持ちを予測する仕事が面白く感じる。
・課題、原因を突き止め整理整頓ができ、適切な対策を考えられる自分になりたい。
⇒全体的に、網羅的に、体系的に、全体/部分最適的に。
・社会経験がまだまだなので、本塾や診断士の諸先輩方から色々ご指導、ご鞭撻を受けたい。
⇒びしびし、よろしくお願いします。

2.私の悪いところ
・意外と人見知りで、恥ずかしがりなため、クールを装う。
⇒生意気に見られる。鴨志田先生みたいに、良い雰囲気を出したい。
・単調なことの繰り返しの耐性は無い。(飽きる)
・短期的な視野が強く、計画性がない。
⇒これはホント直したい。
・感情豊かなので、嫌だなと思うと顔に出る。
⇒昔よりは大分良くなった。

3.私の良いところ
・走りをやめない人がゴールに辿り着く、と心に刻んでいるので、しぶとい。
・他者の意見や行動は、良い部分を捉えるので、素直に受け止め、自分の成長の糧とできる。
⇒大野さんのあの独特感が非常に羨ましく感じましたが、習得は難しそう。。w
・困難な事や、皆がやりたくなさそーな空気のものでも、1度は経験と思って挑戦する。
⇒岡本さん、ブログリレーリーダーは渋っちゃいましたが。。w 岡本さんがやりたそうで譲ったということで許して下さい。
・子供の頃のゲーム好きや漫画読み(今で漫画は読む)のおかげか、子供っぽい、希望を信じる気持ちを忘れない。
・父母が良く喋る性格だったせいか、性格が明るい、よく話す。(沈黙が好きじゃない)
⇒高校時代は、弁当を食べるのが一番遅かった。他の人が喋らないから代わりに先に喋っているため。
・多分、初対面ではクールを装うので、イメージがないと思うが、とても協調性がある。
・感情豊かなので、好きだなと思うと顔に出る。

4.私から皆さんに与えられる事(大したことじゃないですが)
・明るいので、気軽に話せる空間を与えられます。
・協調性があるので、一緒にWorkしても気持ちよくできると思います。
・素直に意見を受け止めるので、私に教えている時、気持ちいいと思います。
・漫画で盛り上がれると思います。(ジャンプ限定)

本塾での指導、また皆さんとの交流の中で
2.私の悪いところ は改善し
3.私の良いところ は伸ばし
1.私のやりたいこと、なりたいこと、を実現し
4.私から皆さんに与える事 で恩返しをしながら
今年1年間、どうぞよろしくお願い致します。
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私が診断士をとった理由(12期志倉)

2012-07-22 14:38:18 | 12期生のブログリレー
12期生の志倉です。

最初の投稿という事で何を書こうか迷ったのですが、

「私がなぜ診断士になろうと思ったのか」

についてお話させてください。

第一回の講義で同じお題があったと思うのですが、
その際は診断士になった理由のうち1つをお話しさせていただきました。

私が診断士になろうと思ったのは2つの理由があります。


①会社で新規事業を任される事になり、自分の力不足を痛感したから
②中小企業の大変さを痛感したから


第一回目の講義で皆さんにシェアさせていただいたのは①です。

今回は②を痛感した経緯をお話しします
(長いです・・・)


[経緯は社会人新卒時代]

私が現在の会社に入社して1年目、配属された部署は営業部でした。
当時の営業部の仕事は自社のエンタメパッケージ(当時はVHS)を全国のレンタルビデオチェーンに売り歩く仕事で
私は東北+長野県を担当していました。
成績が導入本数で決まる事もあり、営業マンは皆、月曜日に出張に出かけて金曜日に東京に帰ってくる
ようなスタイルで仕事をしていました。


[5か月目で成績NO1に!天狗に!!]

当時の私の担当の中に非常に景気の良いクライアント様がおり(長野で7店舗を展開する中小企業)
同クライアント様から大量発注が毎月のようにあり、私の成績はうなぎ上り。

入社5か月目にして何と8月・9月連続で受注本数NO1を達成。
舞い上がった私は「仕事って楽だな~。出張して提案して話を聞いて、夜飲めばいいわけだし」などど
同期に言う始末。つまり天狗状態でした。


[売掛金ってなに??]

しかし11月頃、経理から「例の長野のクライアントさんから2か月間売掛金(3000万)の入金がない」と注意がありました。
当時の私は売掛金の事などまったく知識がなく、前々から注意を受けていたものの
売る事に精一杯で「発注をもらえればお金も入るのでは?売掛金ってどういう事?」と本気で思ってました。


[しぶしぶ回収に長野へ]

早速長野に行き社長を訪問。

私「社長、うちの経理が御社からお金の入金がないっていうんですよ」

社長「すまん、すまん、ここ最近忙しくて忘れてたよ。まあ儲かってるし安心してよ」

私「ただうちの経理も入金を今すぐしてくれないと納得してくれないんですよ。今日入金してください」


私はこの後の出来事を今でも鮮明に覚えています。

社長はまわりに社員がいるにも関わらず(20名くらい)


土下座をして、明日には払うからすまん!!


と叫ばれたのです。

私はそれまでの人生で土下座をされたのは初めての経験でしたし、
何より土下座をさせている自分が非常に悪い人に思え、

私「すみません、こちらこそ。明日でOKです。ほんとすみません」

と逆に謝ってしまいました。
そしてそのあと、いつものように社長・専務と朝方まで飲み、ホテルに帰りました。


[次の日]

そして次の日、本社に行くと・・・

会社はすでにありませんでした。

焦った私は7店舗を全部まわりましたが全店閉鎖。
社長は入院するので連絡が取れない、と貼紙がありました。

私は何が何だかわからず東京に戻りました。
最終的に回収できたのは3000万円の売掛のうち50万円程度。

処分は私の上司の減給。私は新卒だったという事もあり、お咎めなし。
これが逆に非常に辛かったです。

この経験は私にとって「仕事は甘くない」という強烈な学びになったと
同時に入院した社長への憎しみはいつまでたっても消えませんでした。


[それから4年後]

例の長野の企業に勤めていた店長(彼も倒産を当日知った)と東京で飲んでいる際に
同店長に例の社長から電話がありました。
なにやら社長は私と話をしたい、との事でした。

私は鼓動の高まりを抑えきれず、憎しみを持って電話に出ました。


すると社長は電話の向こうで泣きながら謝ってきました。


「あの時は本当にすまなかった。どうしようもなかった。本当にすまん」


その声にはすでに昔の社長の威厳も何もないように感じました。

私は何も言えず、電話をそのまま切りました。


と、同時に本当に意外だったのですが
当時(新卒)の自分に物凄く腹が立ちました。


毎月顔を合わせ、飲みに連れて行ってもらっておきながら私ができたのは自社商品の提案のみ。
社長に会社の他事業部の状況や悩みなどヒアリングする事も無かったし
思いもしませんでした。

もし私がもっと優秀な営業マンであれば、色々な提案ができていれば、
結果は違っていたのではないか、自分はもっと成長しなくてはだめだ。

きっと同じような中小企業の社長はたくさんいて同じように悩んでいる。
この状況を改善する仕事があるなら非常にやりがいがあるのでは、

と強く感じました。


ではそういった知識はどうすれば身につくのだろう、と調べていくうちに
たどり着いたのが診断士。という経緯です。

書いていたら自分の中で盛り上がり、非常に長くなってしまいましたが、
以上が私が診断士を取ろうと思った2つ目の理由になります。


第2回目以降も熱くいきます!
今後ともよろしくお願いします。


志倉
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