あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

「夢は第二の人世である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」第126回

2023-06-06 10:22:24 | Weblog

 

西暦2023年弥生蝶人酔生夢死

 

われら巴里写真学校の奇習。それは、ひさしぶりに会った2人が、素っ裸になって、尻と尻を突き合わせて、久闊を叙すことだった。3/1

 

夜遅く会社に戻ると、北海道の友人が送ってくれた牛乳が、机の上に置いてあったので、その場では飲まずに、大切に家に持ち帰った。3/2

 

私は下宿先の娘をモノにしようと秘かに狙っていたのに、異人たちは彼女を通訳という名目で攫っていったのよ。3/3

 

私が生涯の今までに閲したすべての風景をレントゲンで透視して見せてくれたが、私にはそれが自分の脳内の線虫の仕業だとよーく分かっていた。3/4

 

おらっち、この節は、自素意自素意自炊宿泊機能が備わった、ワーゲン特製ロングトレインに乗って、全国各地を、気儘に放浪しているのよ。3/5

 

その半透明の空気袋には、日本映画の1時間半分のタマシイが内蔵されている、そうだが、おらっちは、あんまり信用していなかったずら。3/5

 

同じ程度に優秀な2人の、どちらを採って、どちらを落とすべきか、迷いに迷っていたら、人事のウチダ君が、「ササキさん、両方とも採用したらどうですか」と軽く言うたので驚いた。3/6

 

夜中に顔面に異常を感じたので、そっと触ってみると、鱗のようなものが顔全体を覆っているので、びっくりして飛び起きると、おらっちの体全体が、魚のように鱗でびっしり覆われていたのだった。3/6

 

不思議なことに、その地のそのお寺にやってきて半時もすると、驕り高ぶって狂乱していた我が心に、静謐と平安が訪れるのだった。3/7

 

アテナイの専制君主は、犯罪者を拘束しても、時々鉄火面を外してくれたが、ここスパルタでは、24時間鉄火面を被せたままで立たせ、糞便は垂れ流しのまま、という残酷さだった。3/7

 

ふと見上げると、私はモスクワ宮殿の大広間の巨大なシャンデリアの下で眠っていて、その時、暗殺を恐れて、ロシア各地の地下壕から地下壕へと逃げ回っているツァーリの孤独を、少しは理解できたと思ったのだった。3/8

 

「緑の会」の青空教室の日だというのに、おらっちが先生の傍にくっついて離れないのは、今日とうとう、第3次世界大戦が始まった、からだった。3/8

 

いつもは死を洒落のめしているおらっちだったが、近所のおばはんたちが、「あんときゃ、あんたは、ほんまに死ぬとこやったんよ」と詳しく教えてくれたので、ほんまに感謝感謝やった。3/9

 

のぶいっちゃん、ひとはるちゃんの凸凹兄弟と、ひがな一日、たのしく遊びましたあ。3/10

 

乾いてパサパサになった私は、総身をしっぽり濡らすために、女と事に及ぼうとしていたのだけれど、ベッドの左上方に据え付けられている監視カメラに気づくと、萎えてしまった。政府は今年からマイナカードと監視カメラを結びつけて、帝国臣民のAI管理に乗り出したのだ。3/11

 

タマラおばさんとターニャおばさんが、しぶるおらっちを、ここ豊岡のセーターフェスタに無理矢理引っ張り込んだので、どうでも1着買わないわけにはいかなくなってしまったずら。3/11

 

北大阪の駅の近くで、5月2日には巨大なテントを設営しなけりゃならんので、夜を日に継いで懸命に作業している。グレゴール先生から、「この近所に働く女たちのアジールがあるから、一度訪ねてみないか」と誘われたが、そんな暇はてんでなかった。3/12

 

なにせ昭和10年代だから、がら空きの省線電車に乗りながら、おらっちは、衣料雑貨類の中古品販売を、新しい商売にできないだろうか、と考え込んでいた。3/13

 

新宿の文化学園に寄ったら、顔見知りの教務の人が何人かいて、「毎週火曜日に、ちょっと手伝ってくれませんか」と、モデルを頼まれたのだが、「やっぱ裸にはなりたくないずら」というて、断ったのよ。3/14

 

すると2週間後に、文化のムラカワさんから連絡があって、「裸モデルはもういいから、なんとしても、出来ることでいいから、なんか手伝って欲しい」というので、体育館の右側の出版局に出かけてみると、仇原に強風が吹き付けて芒が騒ぎ、ウグイスが鳴き騒ぐばかりだった。3/14

 

おらっち、仏蘭西のオルラガとかいう田舎村で、狂犬を窒息死させるくらい強力な毒薬を一服盛られて、危くいのちをおとすところだった。くわばら、くわばら。3/15

 

永代トイレ名人賞を受賞したおらっちが、招待されて巴里へ行き、名物のエスカルゴ・トイレの周りをぐるぐる回っていると、ペっペッと血を吐きながら、猛烈な勢いでスケッチしている、画家の佐伯祐王三氏に出くわしたのよ。3/16

 

団塊丘陵の段々に、だんだん迷い込んでしまったのだが、それをグンと引いて眺めてみると、おらっちは、かの脳味噌の内部を、さ迷い歩いているのだった。3/17

 

一致団結して難事業を成功させた3人だったが、その後の行きかたはてんでばらばらで、A男は鯨飲を、B男はC女との性交を、そしてC女は、乳児への授乳を望んでいた。3/18

 

我々は大空の上に大きく広がった1枚の絨毯に乗って、世界の果てから果てまでを放浪し続けていたが、下界を覗くためには、絨毯のいちばん端に寄って、頭を下げる必要があるので危険を伴い、すでに数名の墜落者が出ていた。3/19

 

久し振りに東京の街を歩いていて、明治座の前を通りかかったら、株主総会をやっていたので、そのままどんどん入っていったら、死んだはずのタツミ君が議長を務めていたので、とても驚いた。3/20

 

英国から公侯伯子男の爵位を持つ連中が一同に揃ったのだが、テーブルの上に、名札がなかったので、誰が誰だか、さっぱり分からなかった。3/21

 

私がプランナーを委嘱されている京の亀甲通りをぶらぶら歩いていると、私の左手が、向こうから歩いてきた人物の右手と軽く触れたので、「おや、手と手が触れましたね」と言うて立ち止まると、彼が「手と手が触れ合うも何かの縁」と言うたので、すっかり意気投合してしまったのよ。3/22

 

60年代製のおんぼろバスなのに、ほぼ垂直に切り立った倶利伽羅峠をらくらくと登っていくのには、乗客全員が吃驚仰天だった。3/23

 

一緒に歩いていた親友が、信号機の袂でしゃがみこんだので、思わず背負おうと腰を屈めたのだが、「大丈夫、大丈夫」というので止めてしまったが、それから間もなくして彼は死んでしまった。自分はあの時、どうして無理にでも彼を背負って、スチュクスの流れを渡らなかったのだろう。3/24

 

いつの間にか夜型生活のパターンになってしまったので、今年も大学の選択科目の申し込みが出来ず、余儀なく留年して、徹マン大学への通学が続くことになっちまったずら。3/25

 

「世界お料理コンテスト」で優勝したおらっちのメインメニューは、蜘蛛の糸料理だった。アコーディオンを演奏しながら、7色の色彩豊かな細い糸から、さまざまな料理が湧いて出る。夜店の綿菓子を参考にしたのである。3/26

 

国がやっている共通1次試験を受けようと思ったおらっちは、交差点の真ん中に立って、やって来た自動車を次々に停めて、「試験用紙持ってる?」と尋ねたら、みんな協力して貸してくれたのよ。3/27

 

彼女は度重なる不正を働いている男から、時々金を盗み取っていたが、自分ではそれを天罰と位置付けていたので、彼女の良心はちっとも痛まなかったのである。3/28

 

真夜中に「おとうさあん!」という呼び声がする。きっと長男の声だと思ったが、もしかすると難聴や空耳のせいかもしれないので、またの呼びかけを、じっと待っているところ。3/29

 

なんせ警察墓地なので、普通の墓地にもまして、静粛さと清和さが隅々まで行きわたっているようだったが、私は、とある著名人の墓の前に、一片の肉塊が落ちているのに気づいた。3/30

 

第3次世界大戦が沖縄で始まり、西側の世界各国から精鋭軍隊が集結してくるので、兵士たちは、なんとなく五輪気分で浮かれてしまって、各国があちこちに張った天幕を、お互いに訪問しあったりしているようだ。3/31

 

  ゴダールもケンザブローもサカモトもいないがオクムラまだまだ生きてるぜ 蝶人

 

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