照る日曇る日 第1991回
「古事記」は何度か読んだことがあるが、ヤマト政権の正式歴史書である「日本書紀」はこの年になっても未読だったので、もちろん現代語訳ではあるが夜な夜なちらほら読んでみると意外に面白かった。
上巻では巻1&2の神代記から始まって巻3の「神武記」、巻5「崇神記」から巻9「神功皇后記」、巻10「応神記」、巻11「仁徳記」、巻14「雄略記」を経て巻16の「武烈記」までを収録している。
天地開闢、イザナギ、イザナミ2尊の国生み、神生み、天照大神、月神、素戔嗚尊の誕生、天照大神の岩屋隠れと出現、素戔嗚尊の出雲下りと八岐の大蛇退治、海幸山幸の物語などのモノガタリ的な部分は、おおむね「古事記」上巻と対応しているが、巻5「崇神記」から巻16の「武烈記」に至る各天皇統治下の帝紀・旧辞的な政治外交記述部分は、「日本書紀」の方が充実しているといえそうだ。
また「日本書紀」ではイザナギ、イザナミ、海幸山幸の物語などのカタリの別バージョンが多少の反復を恐れず多数収録されており、それらは恐らく膨大な漢籍・仏典をはじめ、中国大陸、満蒙・朝鮮半島を含めた東・北アジア、古代の南島や国内各地の語り伝えの残滓なのだろうが、それらを丁寧に味読すると古代の農民や漁民と気脈が通じたような気がして、どこか心躍るものがある。
井上選手の解説によると、景光から仲哀天皇までの記述は実際の歴史的事実や記録に基づかないまったくの創作箇所らしいが、そもそも「日本書紀」の天皇記自体が迷妄と潤色の産物なのだから、あまり目くじらをたてず、それこそ昭和天皇張りに「文学的に」楽しみたいものである。
真っ暗なこの世の中をただ一人明るくしている大谷翔平 蝶人