遥かな昔、遠い所で 第116回
第4話 株が当たった話 その2
一方、蚕具の方も専門技術者に好評を博し、郡長から町村長への紹介状を貰って売って回ったのだから、これもよく売れた。
戦局が進むにつれて、世界の金が米国に集まり、米国の好景気を反映して、糸況も日を追って好転し、郡是株もメキメキあがった。津山ではまだ十二円五十銭で楽に買えるのに、綾部ではすでに二十円もするようになり、毎日綾部から電報で相場をいってくるのを見て、「今日は一億円儲かった」と思った日が、三日も四日もあった。
蚕具の方は、後に大成館が会計の不始末で破産同様になり、私は旅費を出してもらったくらいのことで、売上から貰うはずの割り前は一文も貰えなんだが、そんなことは何でもなく、片手間仕事の株買いで大もうけをして、昨日の貧乏から一躍して、小型ながら株成金と地元の人から謳われるようになった。
郡是は翌五年には百億円近い大儲けをして、一挙に頽勢を挽回し、五月には優先株を抹消し、資本金二百億円となり、将来の大飛躍が約束され、株価はグングンあがった。まったく波多野さんの手腕と徳望の然からしむるところ、私の予想はちがわなんだ。
大正五年三月の郡是株主名簿を見ると、三千余の株主中、私は第二十五位の大株主になっていた! といっても持ち株はわずか七拾八であるが、この時の郡是は、まだ何鹿郡以外には出ていない時で、私以上の二十四人の株主といえば、波多野さんをはじめ葉室一統の人々、その他地方にソウソウたる素封家揃い! 私などとは提灯と釣鐘以上に何もかも段違いの人たちばかりだったのである。
昨日まで借金取になやまされて、日本一の貧乏人だと思っていた身で、「いったいこんなことでいいのか」と私は迷った。そこでさっそく波多野さんのところにお礼かたがた相談に行った。(この一条は「波多野鶴吉翁伝記」にも載せられている。以下これを引用する。)
……すると翁は、ありあわせの紙に宥座の器を描き、「この器は平生は傾いておる。水を注いで半ばに達すれば、正しく真直ぐになる。なお注いで一杯にすれば、覆ってしまう。君も自分の財産との釣り合いを考えて、ほどほどに株を持っとれば好い。私などはしょうことなしに今度はたくさんの株を持たされて、払い込みの準備などあるわけでなく、全く困っている。君もいつ払い込みがあっても構わぬ程度の株を持っとるのでなくてはいけない」といわれた。
なお宥座の器のことは荀子宥座篇にあり、魯の恒公の廟にあるもので、孔子がこれについて教えを垂れている。ただし翁は、その愛読せる「二宮翁夜話」にこの記事あるに拠ったものであろう。
韓国の漁船に釣られ我が国の沼津でヒライたアジの開きだ 蝶人