「私たちみんながサンタクロースなのよ」~トルーマン・カポーティ著・村上春樹訳・山本容子銅版画「あるクリスマス」
を読んで
照る日曇る日 第1994回
6歳の少年バディーが、父に呼ばれてアリゾナの田舎からしぶしぶ都会のニューオリンズに行く。
そして、クリスマスの贈り物をそれまで信じていたサンタロースではなく、父がモミの木の下に置くのを目撃して、激しく幻滅して家に戻る。
すると60歳を越しているスックおばあさん、(彼らは遠縁のいとこ)と犬のクイーニーが、「主は、みんなにサンタクロースの仕事を、少しずつお分けになっているのよ。私たちみんなが、サンタクロースなのよ」といって慰めてくれるという、作者が生涯の終りに近い1982年に発表した、とてもほろにがい人世物語である。
主人公バディーは本書では6歳、1956年の「クリスマスの思い出」では7歳になっているが、これは「少年の成熟と喪失」という主題と道行、そして作品の制作年代から考えて、無視してもいいだろう。
訳者の村上春樹の見解とは違って、私は本作はイノセンス賛歌の前作よりも数等優れた作品だと思うのである。
余談ながら本書では、大金持ちの年増女のジゴロの父親が、息子に牡蠣をご馳走してやるシーンがあるが、私は最後にパリに行ったときに、名物の牡蠣料理をご馳走になって猛烈に食あたりし、ホテルのトイレにしがみついて1週間を過ごした、みじめな日々を思い出した。
とりあえず安倍派以外ジミン以外にしたい次の内閣 蝶人