照る日曇る日 第1999回
下巻では巻第17の継体天皇から巻30の持統天皇を収める。
継体没後、安閑、宣化、欽明までの皇位継承にあった内紛の紆余曲折を書かない「日本書紀」には政治的忖度の問題があるようだが、この継体から巻21の崇峻を経て持統に至る帝紀じたいは、おおむね史実に即しているようだ。
そのつもりで読んでみると、継体・欽明期における新羅による任那の滅亡、天智期における百済滅亡と白村江の戦における日本水軍の全滅が、(あくまでも他人事ながら)致命的な軍事外交的失敗として浮かび上がってくる。
当時朝鮮半島に任那という強固な橋頭保を確立していた日本国は、近隣の百済、新羅、高句麗からも毎年のように貢物を受け取り、半島において自他ともに認める圧倒的な存在感を発揮していたわけだから、この6世紀の100年の指導者の無為無策と外交政策のでたらめさで、営々と築き上げた政治的優位性と植民地をずるずる失っていく道行には、(あくまでも他人事ながら)歯がゆさを覚えてならない。
内政面ではやはり百済からの仏教伝来に崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏、中臣氏の対立抗争だろうが、廃仏派に勝利した渡来人の蘇我一族が政治を独裁し、厩戸皇子の息子の山背大兄子を虐殺するくだりは何度読んでも切歯扼腕する。
山背大兄子というのはマハトマ・ガンジーの先駆者あり、日本国憲法憲法第9条の先進的体現者ではないだろうか。
安倍蚤糞を支えたこんな人たちが腐肉を貪る禿鷹みたいに 蝶人