あまでうす日記

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佐藤幹夫著「裁かれた罪、裁けなかった「こころ」」を読んで

2024-01-11 08:55:37 | Weblog

照る日曇る日 第2003回

 

レッサーパンダ帽男の事件の後、2005年2月14日に大阪府寝屋川市立中央小学校で元OBの17歳の少年が同校の男性教諭1人を刺殺し、2人の女性教職員に重傷を負わせるという殺傷事件が起こった。

 

少年は当時「広汎性発達障害」と診断されていた「知的な遅れを伴わない自閉症圏の障害」を持っていたが、大阪地裁の11回の公判の後、懲役12年、その2年後の大阪高裁における控訴審で、懲役15年の最長刑が確定した。

 

げんざいでは「広汎性発達障害」という命名は「自閉症スペクトラム症」に統合されている。毎年のようにコロコロ変わるネーミングなぞどうでもよいが、肝心要のその圏内の障害児者は、診断機会の増加と社会環境の急変に乗じるように、年年歳歳増加の一途を辿っているようだ。

 

前回のレッサーパンダ帽男では、それと認定されなかった「自閉症」だったが、今回の事件の犯人はまぎれもない自閉症者であり、自閉症児者は、よしんば他人から殺されても、人殺しはできないし、しないと思っていた私にはショックだった。

 

でも実際にはこの少年はどういう風の吹き回しでか、殺人を犯した。でも前回のレッサーパンダ帽男の事件と同様、その日に実際とは違った風が吹いていれば、偶然と条件の作用次第で、この殺人事件も起こらなかったに違いない。

 

著者はじつにきめ細かく、執拗に犯罪の全貌と本質の提出に力を尽くし、少年の心的状態を解明しようと努めているのだが、検察、弁護、専門家の法廷での長大な審議記録を読んでもそれがなかなか浮かび上がってこないのは、彼らの立場の違いというよりも、現代の最新医学&犯罪心理学の成果をもってしても解明できない少年の病理の暗闇の深さのゆえだろう。

 

そして結局法廷は少年の罪を裁いたけれど、それを引き起こした内面に迫ることはできなかった。

 

今から半世紀以上も前のこと、私は健常者の専制に苦しむ障碍者が大同団結して武装蜂起し、彼らを皆殺しにする小説を書こうとしたが、どうしても主人公に引き金を引かせることができなかったのだが、この裁判もきっとこれと同じような困難に直面したのではないかと想像したことだった。

 

死ぬ人の話はやめて新しく生まれる人の話をしよう 蝶人

コメント
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