あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

高原到著「戦争論」を読んで

2024-01-15 11:22:02 | Weblog

照る日曇る日 第2007回

 

いまやアメリカをはじめ全世界が「復讐の連鎖」で戦争をまき散らし、ガザで、ウクライナで、その地獄のような惨禍は留まるところを知らない。

 

しかしながら、我々自身もかつて侵略戦争と経済的搾取でアジア各地に「復讐の連鎖」をばら撒いてきた張本人であるにもかかわらず、その「復讐の連鎖」を無理やり抑圧しているようにみえる。

 

また日本人は広島、長崎に2発も原爆を落とされ大きな被害を受けたくせに、その当事者のアメリカに抗議せず、「なんなら3発目も落として下さい」と言わんばかりの卑屈な奴婢と化している。ようにみえる。

 

そこで著者は、「無差別爆撃や原爆で数十万の市民を虐殺されたのに、日本人の復讐心はいったいどこへ行ったのか?」と自問し、こう答える。

 

「戦後の日本人は自らの戦争責任をチャラにしてもらい、経済的な豊かさを追求するために数百万の同胞を殺した敵への復讐心を棄てたのだ。断じて倫理やモラルの問題ではない。復讐心はカネを生まない。ならば進んで棄てるに如くはない。要はそうした薄っぺらな経済合理性ゆえの選択に過ぎない」と。

 

ところが現在の我が国は、ソ連崩壊後の野放図なグローバリゼーション下で、一夜の淫夢のごとくカネとセキュリテイが蒸発し、空疎な平和主義が失効し、もはや一人前の思想も経済力も持ち合わせない醜い「半国家」に転落してしまった。

 

では我々は、どうやってこの窮地を脱出することができるのだろう?

 

その答えは、「この「戦争論」を書き終えた著者によるまだ見ぬ「平和論」に書き込まれることになるだろう

 

      全員が日の丸入の作業着で能登会議するキシダ内閣 蝶人

 

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