あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

正岡子規著岩波文庫版「子規歌集」を読んで

2021-10-07 09:21:30 | Weblog
照る日曇る日第1641回

子規の作歌と摸索は、おおむね明治31年から始まったようだ。同じ年の「歌よみに与ふる書」であれだけ啖呵を切ったからには、よほど革命的な作品を打ち出さねばと焦ったようだが、その成果はあまりはかばかしくない。

明治の和歌革新運動に命懸けで取り組んで和歌から短歌への転換を図った子規の数少ない武器は「現実写生、新現実生起」に過ぎず、同じ新派でも「個性発現」を明確な旗印に掲げていた鉄幹、晶子、啄木の明星派には一籌を輸すると言わざるを得ないことは彼の作品を見れば一目瞭然だろう。

さはさりながら、35の若さで死ぬ子規が、たった26で死んだ実朝を激賞し、追慕し、兜を脱いでいる歌を前にしては絶句するほかはない。

けれども、だんだんと「写生」の焦点が定まり最晩年の明鏡の境地に到りつくすと、あの有名な「藤の花房」シリーズや「今年ばかりの春ゆかんとす」の絶唱などが生まれたのであった。

曙覧、蘆庵、香樹を批判的に学びつつ継承した子規にはじまり、アララギから現代へと続く流れは、奥村晃作の「ただごと歌」で一つの頂点に到った観があるが、新旧激突&混淆、口語短歌全盛のこんにち、短歌界はいかなる「未来」に突破口を見いだすのか興味は尽きない。

   朝7時18分に止まったという小田急線に息子は乗ったか 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする