あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

正岡子規著「歌よみに与ふる書」を読んで

2021-10-06 13:35:37 | Weblog

照る日曇る日第1640回 


「貫之は下手な歌よみにて「古今集」はくだらぬ集に有之候」という世に有名な一行は、正岡子規渾身の命懸けの一行であった。
この一行を書くために、子規は当時の歌壇主流派はもちろん、自分の恩人であり雇用主でもある 陸羯南や数多くの友人知己とも決別絶交を覚悟したのである。
羯南主宰の「日本」紙上に連載されたこの火の出るようなコラムは、、幕末以降も長きに亘ってぬるま湯に浸かり続けていた歌詠みたちへの頂門の一針、というより痛烈な爆弾テロ攻撃だったが、明治も遥か遠くなり、いま本書をゆっくりひも解いてみると、さして驚くようなことはまったく書かれていないことに驚く。
現代に生きる我々の目からみれば、「古今集」の紀貫之は、雪と梅をわざと取り違えて粋と勘違いしている超ダサい「粋人」だったし、「新古今」や「百人一首」の藤原定家も弟子の3代将軍実朝の足元にも及ばぬ退屈な歌詠みであった。
「新古今」でゆいいつ近代的な感覚をもって歌に臨んでいた詩人は西行くらいのものであることは、子規にわざわざ言われるまでもない話であるが、かというて、この2書よりも「万葉集」が圧倒的に優れているかというと、(「雑」の部で多少はリアルで写実的ではあっても)、現実から目を背けて花鳥風月を観念的に詠歎するその本質においては、すでに一つ穴のムジナであったと言えよう。
「古今」「新古今」直伝の守旧派を難じて「万葉に帰れ」と大きく旗を振った子規は、実朝、田安宗武、橘曙覧を持ちあげ、本書では曙覧の生涯と作品解説に力を入れているが、確かに群鶏に鶴の趣がある。

 皆様の官許広報が詰まらない「マー姉ちゃん」に即切り替える 蝶人
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