私は2ヶ月入院しました。
その病院はリハビリが徹底しており、手術の翌日からベット上でPTの簡単な 足首を動かしたり 人によっては 歩行サークルで立たせたり、積極的にリハビリを行っている所でした。
だから入院を決めた一因でもあります。
私は生まれてこのかた 健康だけには自信がありましたので、 お産と原因不明のウィルスで40度 の熱のために4日間 入院した以外は、毎日 飛び跳ねて 家にはあまり居ないタイプの外向的な性格でした。
ベット上の 2週間は 初めての 辛い 悲しい 苦しい 体験でした。 でも この体験は これから先 何が起こっても ドントコイ 何でも大丈夫 何でも出来ると いう 自信 は出来ました。 自骨の手術を経験されている方は、そうそう と 思い出される事でしょう。 自骨の術後が 大変だからこそ、人工股関節置換術 が今 多くなってきた のだと思いますが - - -。
私は 間接唇切除と筋解離 と 今は もうあまりしなくなつた手術をしました。
なぜ セカンドの先生にも 『僕だつたらしないよ。』 と いう様な 手術 をしたのか、 というのは、 私は踊りを踊りたかったから- - -。
180度開いていた脚が 130度くらいに 閉じてきたのを 手術で又 開ける様に なると 思い込んでいた ! そう 勝手に自分で手術をする 意義を 納得するために。 主治医は そんなに改善しないとは、(私が必死に 人工は嫌だけどこのまま悪くなるのも嫌だ、 と言っていたので) 可哀想で 言えなかったんだろう。 私は 一次性の変形性股関節症 ( 1000人に1人の割合 ) まだ 進行期でした。 そう、 私は バレエを辞めたくない 一心 で 手術を決心した。
でも 結果は そんなに甘くはなかつた。
退院して2ヶ月後、バレエの先生は 「いつからレッスンに来るの 」 生徒さんの父兄は 「口だけでも良いから 教えに来てください。 早く先生のレッスンを受けたい、と 子供たちが言っています。」 と 私を 励ます意味で 言ってくれているのは 分かるけれど 、 ちっとも 進まない 進歩しない 私の脚。 3ヶ月立ち 6ヶ月立ち 1年立っても 走れない、 痛みがあり 中殿筋 が ギク カク とした。
1/3 荷重で プールに浮かび わかめの様に漂いました。 2/3荷重で退院し 自分で リハビリ。 松葉杖をつきながら、車を運転して プールも週に1回行き、脚上げも腹筋もストレツチも 本も買い 良いと言われていることは ドン゛トン やろうと 頑張ろうと した。 そして、私は頑張ったのに、頑張る 痛みがでる 休む 動かない 太る 動けない 頑張る 痛い - - -。 の 繰り返し 。
でも 脚は痛く PTの先生の言う 脚上げ 10回 3セツト あれこれ 毎日やるメニューは とんでもなく 出来ずに焦る 気持ちばかりが、大きくなっていきました。
主人は言った。 「今まで頑張ってきたんだから、辞めるのはもったいない。 指導だけでも出来ないの?」 私は言った。 『走れない 飛べない スキップも出来ない 先生に 習いたい 生徒はいないよ。 口だけじゃ 指導出来ない。』
今なら 絶対 手術をしなかった。
もっと早くに 【 股関節痛の痛みは筋肉が病気で痛むから。筋肉を 解せば 変形性股関節 の人 の痛みは 取れて 手術をしなくても 改善する。 】
私の尊敬する 理学療法士に めぐり会えて いたら、私は 手術をしなくても 痛みが 軽減し バレエを引退しなかっただろう。
私は 筋肉が病気だと思わなかったから、一生懸命筋トレ だ プール だと 頑張った。 だから 痛みが取れなかったのだ。 と 初めて 納得 痛みを取って 取りながら リハビリ すれば 良かったんだ。 しかも 無理せずに 楽しく 。
私は 体操教室で 無理せず 楽しく イキイキと 今(同じ病気の人たちと) 頑張って います。
勉強し どうしたら良かったのか? 今なら わかる事 を 今 悩んで 暗く なつている 人たちに 言いたい。
迷っていたら 手術を直ぐに しない。 ( 中には 手術が5ヶ月待ちの病院もあるけど)
今の状態から どのくらい 改善するのか と 手術のリスク と を比べて 自分が 絶対に 一生 後悔 しない、 と 思うかどうか を 何回も 考えてから 手術を するのか、しないのか を 決めた方が絶対 良い と思います。
病気に負けない 『心 と 身体』
笑顔 を 取り戻そう が 合言葉 です ! ! !