まだまだ梅雨明けは遠い… うっとおしい…
昨日の‘きらら'体操に5月11日に、日産玉川病院で、人工置き換え
術を受けたお仲間がまた帰ってきました。前回の方に次いで2人目
の復活です。
この方も、60代で脚長差があったのですが、すっかり足もそろい、
爬行もなくなり、笑顔満開で戻られました。
今日は、泣けた『高野山教報』からの記事をご紹介します。
{善意のバトン} 清風中学1年 長尾竜弥
僕の母は数年前のある出来事が誘因となり病気になってしまった。
ある日の夕方、いつものように母と買い物に出かけた時、母が急に
具合が悪くなり、運転していた母はすばやく路肩に止めた。まだ
小学生だった僕は、車から降りて救助を求めた。夕暮れで薄暗くなっ
ていく中何台もの車に腫れられそうになりながら
「誰か止まってください」と、何度も何度もさけんだ。が、スピードは
落とすが一台も止まってくれない。その間も母の容態は悪化し、
全身が冷たくなり、痙攣し意識が遠のいていく母を「もう少し待って
大丈夫」と声を掛けた。救急車を呼ぶために電話をかけることは出来
るが現在地が何処か分からないので、大人に助けてもらうしかなか
った。そんな時通り過ぎていった一台が戻ってきてくれた。
「僕どうしたんや!何があったんや!」とおじさんが声をかけてくれ
た。おじさんの顔をみてビックリした。スキンヘッドに大きな体と真っ
黒のサングラスでとても怖そうな人だった。でもおじさんはとても優し
い人だった。救急車を手配してくれ意識のない母には、「おかあちゃ
ん、大丈夫やで。もうすぐ救急車来るからな」と母を励まして下さった。
そして、「救急車来るまでおっちゃんも一緒におったるから安心しい
や」と僕にも励ましてくれた。気がつくと知らない人たちが大勢きて
僕たちを心配し励ましの言葉をかけ続けてくださった。
救急車が来て僕はおじさんに心からお礼を言って連絡先を聞いた
が「困った時はお互い様や。また僕も誰か困った人がいたら助けてあ
げてな」とだけ言って名前も教えてくれなかった。
人を外見で判断してはいけないと思った。怖そうに見えても優しい
人はいくらでも居る。反対に優しそうに見えても相でない人もいる。
あの時おじさんから言われたことを今も覚えて実行している。あの
おじさんへの恩返しになると僕は思っている。
しかし、助けてくれる人がいる一方でとても嫌な人も見てしまった。
母の病気のことで色々と言うある男性。「世の中にあんたの病期なん
て何の役にも立たん。生きている価値ない。死ねばいい」と母に言い
放った。僕は怒りで全身が震えた。許せない。母だけでない母以上
に苦しい病気と闘っている人はたくさんいる。自ら望んで病気になっ
たひとなんて一人もいないと思う。そんな非人道的な発言を平気です
ることができることが理解できない。母は心が疲れ切って病気になっ
た。不思議なことに心の病は、全身をしびれさせたり、痙攣させたり、
心身共に病に冒されてしまう。
僕はあの出来事でたくさんの人の優しさに触れることができた。気
付くことができた。普段の何気ない日常では、色々な大切なものを通
り過ごしているかもしれない。
また、母をののしり、傷つけた男性により僕も傷ついた。簡単に人が
人を傷つける怖さを学んだ気がする。
僕は、母を助けてくれたおじさんから頂いた言葉を一生忘れない。
そして、困っている人がいたら、直ぐに手を差し伸べられる自分でい
よう。なぜなら僕は、あのおじさんから善意のバトンをこの手に受け
取ったからだ。
善意のバトン、確かに受け取りました!次は、皆さんにタッチ!!