昨日は、出版パーティーの疲れを取るために‘きらら'のSさんと
温泉施設に行きました。
夏の温泉は、気持ちが良いけど暑くて暑くて…露天風呂ばかり
入って(だけど足だけみたいなー)いたら…ジャーン………
鼻の頭と腕が日に焼けて赤くなった!
汗をかくから、日焼け止め塗れないし… 次回はなるべく室内に
しなくっちゃ…
今日は、亡き実母の祥月命日、朝の読経で思い出して涙が…
私の愛読している『高野山教報』からご紹介します。
『盂蘭盆会と親の恩』
大分県弘法寺住職 吉武隆善
お盆は「仏説盂蘭盆経」というお経がもとになっています。お釈迦
様のお弟子に、目連尊者というたいへん神通力に長けた方がおら
れました。死んだ母親がどうしているか神通力を使って見てみると
極楽で楽しく過ごしていると思っていた母親が、地獄の餓鬼道に
落ちて苦しんでいたのです。
何とかして母親を救いたいとお釈迦様に頼んだところ「夏安居と
いう夏の行を終えたお坊さんを供養すれば救われるだろう」とおっ
しゃいます。そこで夏安居を終えた沢山の僧を供養し、母親は無事
極楽へ成仏を遂げたというお話です。死んだ後まで親孝行をした
目連尊者の報恩の心を汲み取ることができます。私たちの命は親
からいただいたものです。そして親はその親から、またその親は
その親からと、命を受け継いでいるのです。今一度、命のあることを
先祖に感謝し、お参りすることがその恩に報いることです。お大師
さまも「恩を知り、恩に感謝し、恩に報いる」と説いています。
高野山の麓、九度山にある慈尊院は、お大師さまのお母様が
おられたお寺です。お母様はお大師さまが開かれたお山を一目
見たいとの一念から、高齢にもかかわらず香川県から慈尊院に
来られ、本尊の弥勒菩薩さまを篤く拝まれました。そんなお母様を
思ってお大師さまは高野山から二十数㌔離れた慈尊院を月に九度
訪ねられたと言われています。それが九度山の地名の由来です。
一中略一
お大師さまは、「性霊集」のなかでこう説かれています。
「私たちが生まれ、私たちが育つのは父母の恩である。父母の恩は
天よりも高く、地面よりも厚い。私たちが身を粉にして命を損じても
報いきれるものではない」父母の恩の深さをしみじみと表されている
のです。
親は子を思い、報いを期待せず、あらゆる愛情を注いでくれます。
しかし子は、親の愛情を当たり前だと思っているところがあります。
また、育ててもらったことは忘れ、都合のいい時だけ親子であり、親
に経済的能力がなくなれば見放して別離する例も多くなっています。
思い返してください。私たちはどうやって生まれ、どうやって育って
きましたか。今まで父母に感謝し、それに報いたことがありますか。
まず、恩を知ることです。そして、そのことに感謝し、いつの日か
報いることができるように努力したいものです。ご先祖さまに、
今ある自分の命に感謝し、そして、お父さん、お母さんに親孝行して
下さい。
もっと母に親孝行がしたかった!
と今も思っています。主人の両親、私の両親みな亡くなりました。
ですから、叔母に今、親孝行が出来ます。
親御さんが元気に内にどうぞ皆さん親孝行をなさってください!
温泉施設に行きました。
夏の温泉は、気持ちが良いけど暑くて暑くて…露天風呂ばかり
入って(だけど足だけみたいなー)いたら…ジャーン………
鼻の頭と腕が日に焼けて赤くなった!
汗をかくから、日焼け止め塗れないし… 次回はなるべく室内に
しなくっちゃ…
今日は、亡き実母の祥月命日、朝の読経で思い出して涙が…
私の愛読している『高野山教報』からご紹介します。
『盂蘭盆会と親の恩』
大分県弘法寺住職 吉武隆善
お盆は「仏説盂蘭盆経」というお経がもとになっています。お釈迦
様のお弟子に、目連尊者というたいへん神通力に長けた方がおら
れました。死んだ母親がどうしているか神通力を使って見てみると
極楽で楽しく過ごしていると思っていた母親が、地獄の餓鬼道に
落ちて苦しんでいたのです。
何とかして母親を救いたいとお釈迦様に頼んだところ「夏安居と
いう夏の行を終えたお坊さんを供養すれば救われるだろう」とおっ
しゃいます。そこで夏安居を終えた沢山の僧を供養し、母親は無事
極楽へ成仏を遂げたというお話です。死んだ後まで親孝行をした
目連尊者の報恩の心を汲み取ることができます。私たちの命は親
からいただいたものです。そして親はその親から、またその親は
その親からと、命を受け継いでいるのです。今一度、命のあることを
先祖に感謝し、お参りすることがその恩に報いることです。お大師
さまも「恩を知り、恩に感謝し、恩に報いる」と説いています。
高野山の麓、九度山にある慈尊院は、お大師さまのお母様が
おられたお寺です。お母様はお大師さまが開かれたお山を一目
見たいとの一念から、高齢にもかかわらず香川県から慈尊院に
来られ、本尊の弥勒菩薩さまを篤く拝まれました。そんなお母様を
思ってお大師さまは高野山から二十数㌔離れた慈尊院を月に九度
訪ねられたと言われています。それが九度山の地名の由来です。
一中略一
お大師さまは、「性霊集」のなかでこう説かれています。
「私たちが生まれ、私たちが育つのは父母の恩である。父母の恩は
天よりも高く、地面よりも厚い。私たちが身を粉にして命を損じても
報いきれるものではない」父母の恩の深さをしみじみと表されている
のです。
親は子を思い、報いを期待せず、あらゆる愛情を注いでくれます。
しかし子は、親の愛情を当たり前だと思っているところがあります。
また、育ててもらったことは忘れ、都合のいい時だけ親子であり、親
に経済的能力がなくなれば見放して別離する例も多くなっています。
思い返してください。私たちはどうやって生まれ、どうやって育って
きましたか。今まで父母に感謝し、それに報いたことがありますか。
まず、恩を知ることです。そして、そのことに感謝し、いつの日か
報いることができるように努力したいものです。ご先祖さまに、
今ある自分の命に感謝し、そして、お父さん、お母さんに親孝行して
下さい。
もっと母に親孝行がしたかった!
と今も思っています。主人の両親、私の両親みな亡くなりました。
ですから、叔母に今、親孝行が出来ます。
親御さんが元気に内にどうぞ皆さん親孝行をなさってください!