3・11から昨日で3ヶ月が過ぎました。
まだ、ご遺体も見つからず…
避難所生活を(経済的なことも含め)余儀なくされている方も多いことでしょう。
避難者数、実に9万人…
いつまで、続くのか?
ご高齢の方、持病持ちの方、私と同じ変股症の方…
お風呂もままならず、ご苦労・ご心痛、心が痛いです。
まだ、たくさんの義援金もきちんとすべて分配されていないようですし…
「頑張ろう、日本!」の声も弱くなってきたように感じます。
少し前まであった、スーパーの義援金募金箱も無くなっていました。
せめて、インターネットのクリック募金は、まだ続けています。
http://www.unilever-sabd.jp/
今日は、あの時の気持ちを忘れないように、3・11に関しての記事(4月26日付けの)をご紹介
します。
『自然を操るのを止める時』
げんゆう・そうきゅう(作家、僧侶 1956年福島県三春町生まれ。慶応大卒。芥川賞受賞。)
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」
花は時期が来れば毎年同じように美しく咲きますが、人の境遇は変わります。初唐の詩人・劉廷芝の
一節を、これほど切実に感じた年はありません。福島では桜が間もなく満開です。
毎年ここ三春町にある滝桜を大勢の人が見に来ます。でも今年は少ないでしょうね。
現代人は、自然に逆らう生活のために、たくさんの電気エネルギーを使ってきました。
なぜコンビニが24時間開いていなければならないのか。なぜビニールハウスに暖房をかけてまで
正月にイチゴを食べなければならないのか。今回の事態は、そんな暮らしに対する逆襲のような
気がします。
人のつくったものは、かくもはかなく壊れてしまう。この後に及んで、まだ自然を人間が操れると思って
いるとしたら、大バカです。
人事を尽くして天命を待つと言います。天命には逆らえないけれど、人事は尽くすべきです。
これまで前例がないという理由で、いろいろなことが却下されてきましたが、前例に基づいたマニュアル
が、今回破られた。前例のあるなしに関係なく、智恵をしぼる必要があります。
私は政府の復興構想会議のメンバーに入りました。創造的復興と言っていますが、
「何も描いていない白いキャンバスに、どんな絵を描こうか」という話ではありません。何もないわけ
じゃなくて、既に描かれていたものが、壊れたのです。まずは可能なかぎり修復する気持ちが必要
ではないですか。
ここにアンケート結果があります。福島原発に近い富岡町を離れ三春町の避難所で暮らしている
人への調査です。
「仮設住宅ができた場合、申し込みをしますか」という質問に
「申し込まない」という人が25%。そのうち「今のまま避難所にいたい」という人が31%もいるのです。
「大勢一緒ではつらいに違いない」というのは、都市生活者の思い込みです。
同じ不安を持つ人たちと一緒にいたいということに加え、1ヶ月の間に新たなコミュニティーが
できたともいえます。
あまり社交的でなかった若者が驚くほど人と話すようになり、また原発で働いていた人と反対派が
仲良く会話していたりします。
実際、仮設住宅に入ると、光熱費や食費が必要になります。仕事も生活も断絶されてしまった人々は
集団だからなんとか耐えているのです。孤独にしない住宅の在り方を考えるべきです。
東北は多様性があります。三陸海岸は、浜ごとに暮らしが違う。隣の浜にさえ行ったことがない
お年寄りもいる。それを無視して集約化しすぎると、弱者を切り捨てることになりかねない。
復興も住宅も被災者の気持ちをくみ取り、コミュニティーを生かす形でならなければなりません。
先日、花作り農家の檀家さんが、提案書を持ってきました。農地にヒマワリと菜種を植えようという
のです。
米国のスリーマイル島の原発事故の後、汚染された土地にヒマワリを植えた。チェルノブイリでの
事故の後は、菜種でした。ヒマワリや菜種は、放射性物質を吸収する除染能力を持つという実験
データがあるそうです。
植えて育てて収穫する作業に被災者も募り、国が報酬を払う。そんなシステムにしたいです。
自然の回復は、やはり自然の力に期待するしかない。
春は桜と菜の花、夏にはヒマワリを見に福島へ行く、というようになればいいですね。
あの日を境に、私たちの原発に対する意識は変わった。その変化は、今後いろいろなものを
生み出すように思います。節電も一過性で終わらない可能性が出てきました。
そうすれば生活の細部まで、この福島から変わっていくと思います。
被災者の方々が幸せになりますように!!! ずっーと応援します!