変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

曼荼羅の教え

2011-06-24 16:56:03 | Weblog

 電力の需要と供給の値地を見ながら… 控えめにクーラーを使用しています。
 なんて、暑いのでしょうー!
 被災地の避難所暮らしの方々の熱中症と食中毒が心配です!!
 がれきが、まだたくさん残り…津波の産物で海水が土地の所々に残り、海産物が腐敗してハエやカに
 害虫に…
 冬の毛布と長袖、冬の衣類しかなく… とテレビで訴えている、映像を見ました。

 どうして! なんで! 
 国は、行政は、何にもできていないの? 
 先進国なのに!!
 
 ただただ、病気が蔓延しないように祈るばかりです。
 「ふくしま」原発の作業員の方々も… 先が見えない苦しみに… 


 今日は、私の愛読「高野山教報」からご紹介します。

          『曼荼羅の教え』  河合了宣(岐阜県 円明院住職)
 
 幼稚園の先生からこんな話を聞きました。給食の時間に園児たちが大きな声で「いただきます」と
 言っているのを聞いた母親から、「私の子どもは給食費を払っています。給食を貰っているわけでは
 ないから、いただきますと言わせるのはおかしい」との苦情があったそうです。
 こんなバカな話はないだろうと思っていましたが、給食費を払わない家庭があるとニュースで聞き、
 驚くばかりです。

 「いただく」という言葉は「もらう」という謙譲語でもありますが、やはり「いだきます」は食事を始めるとき
 の挨拶であり、多くの人によって食事が用意されていることへの感謝を表す言葉ですから、心から
 「いただきます」と言うべきです。その反面、飽食の時代となり、食べ物が満ちあふれ、たくさんの食物
 が残飯として捨てられています。そこには勿体無いという気持ちなどありません。

 檀信徒の方が戦時中の話をしてくださいました。毎日毎日、朝早くから夜遅くまで戦争物資を作り、三度
 の食事もろくに食べたことが無いし、ましてお米なんて食べたことがない。毎日芋ばかりの生活で
 お腹一杯になったこともない。だからこそ今、「勿体無い」を心に刻んで生活しているということです。
 
 息子さんが、いただいた餅米を忘れていて、袋を開けたところコウゾウムシが一杯湧いていました。
 息子さんは「お母さん、捨てておいて」の一言でした。餅米で作るお餅や赤飯は、家で手間隙かけて
 作らなくてもスーパーへ行けば年中売っています。お金さえ払えばなんでも買える時代です。
 しかし、お母さんは勿体無いと思い、餅米を天日に干し一粒一粒選って、ぼた餅を作りました。
 その夜、家族でぼた餅を食べた時、息子さんが笑顔で「うまい、うまい」と言ってくれたそうです。
 お母さんは息子さんの「うまい」の一言で、「勿体無い」というこれまでの自分の信念が間違っていな
 かったことを実感したそうです。

 私たちはすぐに「時代が違う」と口にします。戦時中と現代とでは生活状態は違いますが、物への
 感謝や物を大切にする気持ちはいかなるときでも持たねばなりません。そして感謝や大切にする
 気持ちは物にとどまらず、私たちの心にもあたはまるのではないでしょうか。

 真言密教に「瓦石に黄金の性あるといえども磨かざれば器とならず、仏陀に慈悲あるといえども
 信じざれば能をはかず」という教えがあります。
 意味はこの石はただの石ではなく、すばらしい宝石の原石であることを知り、この石を磨いて宝石に
 する鍛錬や知識も備えなければならない。
 また仏に慈悲があっても信じることができなければ、仏から功徳をいただくことはできないという教え
 です。

 戦時中の勿体無いの経験や信念が、捨てられるはずの餅米をぼた餅という立派な宝石にして家族
 みんなに幸せを与えたのです。私たちの心も磨くことによって、家族に感謝する仏の心になるのです。

 


 今回の震災で多くの尊い‘命'がなくなりました。まだ、ご遺体も見つからない方もいらっしゃいます。
  こうして、毎日、普通に暮らす、暮らせることに、心から私は感謝しております。
  皆さん、頑張りましょうー!!

コメント
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