連日の暑さに閉口しています。
が、いつものように…睡眠中断なりでも… 元気にしています。
夏休みに入り、皆さん、どちらかへお出掛けなさいましたか?
私は、相変わらず、何処へも出かけず、いつもと変わらぬ生活です。
暑いので、不要不急です。
今日は、私の愛読誌「高野山教報」から、ご紹介します。
『心の垢を落とす』 ~その1~
高野山真言宗管長 総本山金剛峯寺座主 松長有慶
家族全員が安泰に暮らしたい、親の病気が早く直って欲しい、子どもが希望する学校に合格して欲しい、
自身が関係する仕事がうまくいけばよい、良縁が得られますように、といった日常生活を送る上でのささやかな
願望は誰でも持っていて当然です。
私たちはこれらの願いを、神さまや仏さまの前で披瀝して祈ります。
それらが見事に叶えられた時は嬉しいものです。有頂天になって思わず万歳を叫ぶこともあるかも
知れません。
神社やお寺にお礼参りをする方もありましょう。家族でささやかなお祝いのお膳を囲む方もおられましょう。
でも願いが首尾よく叶ったからといってそれだけで済ませては十分ではありません。
戴いた御利益の食い逃げは許されません。ではどうすればよいか。
自分が苦しみ、悩んでいた時の事を思い出して、今苦しんでいる人にそっと手を差し伸べ、少しでもその人の
力になることが出来れば、それがお蔭を受けた神様や仏さまに対する何よりの報恩行となります。
私は健康であるし、経済的にも他人に迷惑をかけたことなどまったくない。いつも人には気を遣っているし、
よその人の世話をしている。だからみんなから喜ばれ、頼られている、と思っている方がよくおられます。
でも私たちは日常生活を穏やかに、他人に全く迷惑をかけないで過ごしているように思っていても、
なにがしか他人の手を煩わせたり、迷惑をかけながら生きているものです。
私たちは生きている限り、呼吸をし、なにがしかの食物や水を消費し、物を使っています。
そのことは間違いなく地球環境の劣化と、地球資源の搾取に寄与していることでもあります。
どのように生きていても自分ひとりだけの力で生きているわけではないようです。
在家勤行の法則に掲載されているお勤めは、
「我昔所造諸悪業」という懺悔の文で始まります。
「私が生まれてよりこのかた、つくり続けてきた諸々の悪い行い」を懺悔することなしには、仏さまに
お仕えするどのような所作も開始されないのです。
懺悔の行は、在家の方々だけではなく、真言や天台の僧の「行法次第」でも、五種類の懺悔行として
最初に揚げられています。
僧侶でも懺悔することはお祈りのために最初に行わねばならぬ必須の所作とされています。
昔の日本人は、普段の生活の中でも、知らず知らずのうちに人様に迷惑をかけたり、他人の心を
傷つけているのではないかと考えて、それを罪として自覚していました。
それらの諸々の罪を消すためには、日頃、他人のためになにがしかの償いの行動をする必要があると
信じていました。
このことを「作善(さぜん)」といいます。他人に対する奉仕活動は、自分自身の贖罪の行でもあったのです。
~つづく~
話は、全然違いますが…
オリンビック、日本選手が、頑張っていますね!
やっぱり、メダルを取ってくれると、とても嬉しく、誇らしい気持ちになります。
でも、金メダルを取るのって、ものすごく難しく大変なことなんだと、改めて、思いました!
やっぱり、世界1 は凄いことです!
2位も3位も凄いですが…
やっぱり、金メダルが、いいですね!!
みんなで、応援しましょうー!!!!!
『変形性股関節症に負けないでね!』