とても爽やかな天候になりました。
暑くなく、寒くなく、過ごしやすいです!
熊本 大分の余震が、まだ続いて…
被災された方々のご苦労が、胸がいたみます。
すずらんさん、はじめ九州の方々、
睡眠不足と目まい状態のような感覚になられているのでは?!
どうぞ、ご自愛くださいね~。
そして、忘れてはいけないことは、2011年の3月11日東日本大震災の時の
原発事故で、いまだに戻れないで憔悴しきっている人々がいることも、
いまだに、放射能に脅えなければならない事実を
私たちは、忘れてはいけないと思います!!
原発事故については、何もできない自分がいて、とても歯がゆいです。
忘れないことが、私にできる今のことと思っています。
今日は、「母の日」です。
押し花アート教室で、カーネーションを押したので…
その押し花で、額をと 思いましたが…
前々回の押し花コラージュの額の時に、カーネーションを使ってしまったので
明日、カーネーションを購入して(淵に色が違うタイプの方が、押したときに
奇麗な色として出る様なので、そちらを購入予定)、後、アネモネも押してみようと
思っています。
なぜ、明日 お花を購入❔ するのかというと、
母の日には、お花の需要があるので お高くなる、翌日は 定価になる、と
いうことです。
実母も義母も叔母もいなくなったので、
母の日は、事実上関係なくなりました。
そして、うちは、息子なので…
母の日のプレゼントは、もらえない、ので、
自分で買ってしまい、息子に少しだけでもお金をもらうつもりで…います。が、
どうなりますか?
引っ越しでお金をかなり使った❔ようです。
すべて、息子は、何もない所から、自分で揃えました。
親の援助なしで。
家から持参したのは、洋服だけです。
だから、いつでも戻れるように ベッド 漫画 少しの服 あります。
期待はしていないのですが…
そういうとき、女の子のお母さんが 少し羨ましくなります。
ほんの一瞬のことです。。が、、。
今日は、「東京新聞」 5/6日付けのコラムの記事が 目に留まりました。
ご紹介します。
『母の日に思うこと』
下村 朱美(ミス・パリ社長)
49歳だった母が、食欲がないと病院に行った時にはすでに末期の胃がんだった。
8時間の大手術の後、毎日38.6度の熱は下がらず、髪は抜け、口の中は口内炎で
ただれる。
そんな状態が4ヶ月続き、そして、旅だった。
父も私も、母本人もあまりにも早く訪れつつある別れが悲しくて、残念で、
それぞれに隠れて泣きながら、互いの前では笑顔で振る舞った。
病気になる前、私たち家族はハワイ旅行を計画していた。
そんな折、祖父の具合が悪く、母の
「来年にしましょうよ」という言葉で取りやめた。
しかし、母に来年は来なかった。
その後、私はやりたいことはすぐやる、行きたい所には飛んでいく…
というように、次にという考えがなくなった。
私は、病室で苦しそうな母を見て、早く楽になりたいと思わないかと
聞いたことがある。
母は、「人は、みんな神様の子どもで、地上に修行に降りてきたの。
修行中だからつらいのは当たり前で、その中で楽しいことがあったら
もうけもの。この命は神様に頂いたものだから、一生懸命に生きないとね」
と言った。
最後まで、自慢の美しい母だった。
亡くなる少し前、母は夢を見て泣いていたと父から聞いた。
どうしたんだと揺り起こすと、
「お父さんとお母さんが迎えに来た」と母は答えたそう。
それから、私は死ぬ時が怖くなくなった。
『変形性股関節症に負けないでね!』